憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

湯来に伝わる民話「明楽寺の梵鐘」

2012年10月04日 07時00分10秒 | 民話
10/4(木)18℃     

 おはようございます。


 久々に、湯来に伝わる民話です。

 今回はは「明楽寺の梵鐘」です。

 川角から西へしばらく行くと、重光というところがあります。ここの神社の近くに、見晴らしのよい小高い丘があります。
 むかし、この丘に、明楽寺と言うお寺がありました。その寺が火事になり、本堂も鐘楼(しょうろう:鐘突き堂)も燃え上がり、全焼しました。
 鐘楼に吊るしてあった大鐘(梵鐘:ぼんしょう)もあえなく焼け落ちてしまいました。お寺はこの火事のため、廃寺になりました。
 村人達も、
 「わしらだけの力では、お寺を建ててあげることはできんわい」
 「大鐘は、どうしたらええんかいのお」
 村人達は話し合い、大鐘は丁重に地中に埋めて祀りました。その時、金のトビも一緒に埋めました。
 村人達はお寺がなくなったので、小さな堂を建て、毎年4月3日の節句には近所の者が三色のひし餅を作ってお供えをしていました。
 それから何百年かが経ちました。
 「重光の里には、大鐘が埋めてあるそうな。もし、それを掘り当てたら、金のトビも手に入れることができるということじゃ」
 と、このことが言い伝えになりました。
 しかし、誰も大鐘を掘り当てることはできませんでした。
 1984(昭和59)年、この丘一帯が圃場整備のため、ブルドーザーによって掘り起こされ、造成が行われました。施工者には言い伝えではあるが、大鐘が出るかもしれないからと注意を促していました。
 施工者は大鐘と大金(金のトビ)を思い違いをして、ブルドーザーで大鐘を一度掘り当てましたが、また埋めてしまいました。
 みんなの要請で探し、大鐘はかなり離れた場所から再発見されました。が、金のトビは遂に捜し当てることはできなかったそうです。

 皆さんの地域にも「民話」とか「言い伝え」とか色々ありますよね。
 ちゃんと紙に書いてあったり、ただ単に口伝えで伝え継がれていたり。
 今回の民話、言い伝え、本当だったんですね。もう一つの金のトビが発見されていたらと思うと、いや、発見されていないから一帯を掘り返して一攫千金を狙ってみたいところですが・・・・、ロマンで終わったほうがいつまでも”夢”があってイイのかな?

 こんなことがあると、徳川さんちの埋蔵金探しをしたくなっちゃいますよね。

 明楽寺の梵鐘 推定制作年代:室町時代
        規格・サイズ:高さ85cm、外径50cm
        作者:不明


 次回の湯来に伝わる民話は「虫送り」です。お楽しみに。


 皆さんはスヌーピーを御存知ですよね。実は、一昨日10月2日がスヌーピーの日だったんですが、あえて今日のブログに載せたのは実際のスヌーピーが雑誌に登場したのが今日だったんです。(犬違い)
 1950(昭和25)年10月2日、チャールズ・シュルツ作の漫画『ピーナッツ』がアメリカの新聞7紙で掲載を開始。 飼い主のチャーリー・ブラウンの誕生日が2日と言うこともあって2日前が「スヌーピーの日」となています。
 10月4日、天(10)使(4)の日、もうずいぶん前にどこかのメーカーが天使のブ○ってCMしてましたけど、覚えてる方いらっしゃるかな~

 
 今日も開催日が迫っていますので、今週末に予定されている『第13回おいしい!!牛乳フェスティバル』開催について、情報提供しておきます。

 ◆日時:平成24年10月6日(土)10:00-15:00 ※雨天中止
 ◆場所:広島市佐伯区湯来町サゴタニ牛乳・久保アグリファーム
 ◆内容:①味覚-サゴタニ乳製品、手作りコンニャク、生鮮野菜、ミルクジャム、
         牛足丸焼き、焼きそば、焼き鳥、寿司、うどん、石焼ピザ、蒸し饅頭
     ②大型酪農機械の展示、作業の実演
     ③乗馬体験(500円)、ミニ牧場
     ④手作りバター教室(午前中のみ、300円、参加定員あり)
     ⑤体験乳搾り(500円、参加定員あり)
     ⑥ステージイベントあり(湯来南高校和太鼓上演、キッズダンス、クイズ他)


↑ジェラート各種
 ◆問い合わせ先:砂谷株式会社(0829)86-1009(9:00-17:00)



湯来交流体験センター等の体験メニューのお知らせ

 ◆いつでも体験コーナー(休館日を除く毎日)
  ①たらようの葉でハガキを送ってみよう
   1枚200円、体験時間15分
  ②マイ箸作り
   大人1,000円、子ども800円、体験時間1時間程度
  ③マイスプーン作り
   大人1,000円、体験時間1時間程度
  ④ストーンアート
   1個に付き100円、体験時間20分
  ⑤親子でペーパークラフト
   1個に付き100円~、体験時間30分
  ⑥プリザーブドフラワーバイキング
   1個に付き1,500円、体験時間30分
  ⑦風水キャンドル作り
   1個に付き1,300円、体験時間1時間程度
  ⑧オリジナル押し花ストラップ作り
   1個に付き700円、体験時間30分
  ⑨押し花ハガキ作り
   1個に付き500円、体験時間30分
  ⑩風鈴絵付け
   1個に付き600円、体験時間30分
  ⑪グラスアート
   1個に付き600円、体験時間1時間程度


 え~と、湯来に伝わるというか広島弁と言うべきかよくわかりませんが、①ほうとくない②ねき③うぐろ④みてる⑤ねきetcなんてお解りになります????


 この冷え込みで松茸が生えてこないかと期待してたり、何らかのおすそ分けの連絡が無いかと気を病んでますがなかなか・・・・。去年は豊作だったということですが、さて今年は?家宝・朗報は寝て待てって言われますけど、口をあけて待ってましょうかね?


 天気良ければ、今月末あたり、湯来の山のどれかに登っちゃおうかな


 でわ、今日も一日、充実した、楽しい一日でありますように!!
コメント (3)
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湯来に伝わる民話「岩淵谷の砂金」(後編)

2012年09月11日 06時55分30秒 | 民話
9/11(火)21℃   


 おはようございます。

 秋雨前線の影響でここ数日は天候が安定せず、局地的な雨が瞬時に降り、ビックリしてしまいます。幸いにして、災害に直結するような事には到っていませんが、これからやってくる台風シーズンを考慮すると常日頃から、災害を前にした「防災意識の啓発」や災害に著面した場合の「物資等の準備」をしておく必要があります。

 災害が発生しても大丈夫なように、事前準備を怠り無く。


 一般的には、土砂の流出とか、屋根瓦が飛ぶだとかの心配が多いと思いますけど、農家はこれからが収穫期。実るほど頭を垂れる稲穂が雨風で倒れてしまうと、刈り取りにも支障をきたしますし、水に濡れたまま放置していると実った稲の穂から新たな芽が出てしまって米の収穫ができなくなったり、第一、ぬかるんだ田んぼではコンバイン等の機械が埋まってしまったり、故障したり。
 兼業農家の悩みは収穫終了まで続きます。


 民話の続き


 三太郎は父の話を一生懸命聞いていました。すると父は、
 「三太郎、また砂金が出るようになったのは何故だと思う?」
 と聞きました。しばらくしてまた父は、
 「他人を押しのけてまで幸せになるな。なぜなら人間は動物と違うからじゃ・・・・」
 父はしばらくして、
 「三太郎よ、なぜ、あの岩淵谷が元のようになったかと言うとね。貧しい人達のことを思って、山神様があの谷に砂金をばらまかれたのだよ」
 「でも、独り占めにしようなど、欲なことをする人がいたら神様は、ばらまかれないんだよ」
 三太郎は話を聞いているうちに、岩淵谷へ行ってみたくなりました。
 「お父さん、岩淵谷へ行って、ほんの少し砂金を採ってきてもよいだろう?」
 すると父は、
 「そりゃあ、ほんの少しだったら山神様は怒りはしないだろう。しかし、人間という者は、もう少しは良いだろうもう少しは良いだろうと、欲が出て来て、時間の経つのも忘れて夢中になり、ついにはヘビやトカゲや死んだ人の亡霊が出てきて永久に帰れなくなるものよ」
 三太郎は話を聞くうちに恐ろしくなって行くことを止めました。
 「今、あの岩淵谷が光っているのは、みんなの暮らしが楽になったからだ」
 と思いました。

 現在では岩淵谷の砂金も、その下に祠があると言われていますが、その祠も無く、山の幸、シャクナゲ、、ヤマユリ、岩松など、地域にあるべきものは地域にそっと残してやろうと言うことなんでしょうね。
 人間の欲深さを戒めるような湯来に伝わる民話でした。
 次回の湯来に伝わる民話は『明楽寺の梵鐘』です。お楽しみに。


 直前のお楽しみ情報をひとつ。

 湯来の特産品も販売される「五日市商工祭2012影弘交流会」開催のお知らせです。

 日  時:平成24年9月12日(水)12:00-19:00
         〃   13日(木)10:00-17:00
      少雨決行
 場  所:五日市商工会
 主  催:五日市商工会商業部会(082)923-4138
 主な内容:12日(水)
       ・安心安全な和牛のジャンボ串焼き
       ・空間に描くAIR SHODOU(エア書道)
      13日(木)
       ※ヤマメのつかみ取り&塩焼き①10:30②11:30③12:30各25名
      2日間連続出店
       ※砂谷牛乳、ヨーグルト、ジェラート販売
       ※100cmの生きたチョウザメの展示、加工品販売
       ※田舎寿司、手作りコンニャク、新鮮野菜販売
       ・乾物、うどん、焼き鳥、金持ち関連グッズ販売
       ・税務、法律相談
       ・学術発表
       ・地元企業製造機器の展示販売
       ・健康関連イベント、色材の展示販売
       ・佐伯影弘「歴史パネル展」
       ・絵画、鳥瞰図展示
     ※は「湯来特産」です。是非どうぞ。


 今日は「愛国者の日」だそうです。

 2002年に制定。そう、12年前の今日、ハイジャックされた旅客機によるマンハッタンの貿易センタービル他への同時多発テロが発生した日です。テロ主催者も「愛国心」を持っていたんでしょうが、誰もが公平に心から幸せになれる「愛国心」をいつまでももち続けたいものです。

 もうひとつは「公衆電話記念日」。

 1900年(明治33年)の今日、日本で最初の公衆電話が東京の上野駅と新橋駅に設置されたことに由来しています。最近、災害対策を兼ねて主要な場所へ公衆電話が再設置されています。携帯があれば大丈夫なんて過信しがちですが、電波障害が発生した時のことを考えると「公衆電話」の重要性を再認識することになるかも知れません。それに、先日、携帯のバッテリー切れに直面してしまって右往左往。機能しなければ単なる「モノ」。ビックリしました。


 今日も一日充実した一日でありますように、頑張りましょう
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ヘルシー

2012年09月10日 07時03分34秒 | 民話
9/8(月)23℃    


 おはようございます。

 週末の土日は充実した時間を過ごされましたか?


 旅行に行かれた方、

 ドライブされた方

 温泉で心身をリフレッシュされた方

 夏の終わりを告げようとする海でのんびりされた方

 チョッと標高のある山に登山された方

 のんびり読書を楽しまれた方

 観戦に行かれた方

 された方


 今日から気分一新、仕事モードに突入です。計画的な有意義な週が過ごせるように頑張りましょう。


 今朝は久しぶりに湯来に伝わる民話です。今回は『岩淵谷の砂金』です。


 そもそも岩淵山(いわぶちやま)の名が、この谷に付いたのかいつの頃からかわかりません。
 三太郎少年の父は山仕事で暮らしを立てていたので、小さい時から父についていろんな山に行って、手伝いをしていました。
 三太郎は、いつものように父について、いくつもの谷や丘を越えて岩淵谷の向かい側まで来ました。一休みして水を飲もうとしましたが、竹筒の水は来る途中飲んでしまったので一滴もありません。
 周りを見渡しましたが、谷川はありません。三太郎はその時、太陽の光に照らされて向かい側の山にひとすじ銀色に輝いて水が見えます。
 「おや、あそこに水があるぞ」
 「お父さん、あそこに谷があって水が流れているらしいから汲んで来るよ」
 と駆け出そうとすると、父が、
 「三太郎、待ちなさい。あれは水のように見えるが本当は水ではないのだ」
 と言って、次のような話を始めました。
 「わしが子供のころ、お父さんと、お前から見ればお爺さんと、今日のようにこの辺りまで来たが、父は決してあの水のように見える岩淵谷には近づかなかった。そして、こんな話をしてくれた」
 「むかし、何人かの仲間があの谷に仕事に行ったそうだ。その時には、岩淵谷にはきれいな水が流れており、更に、その谷のあっちこっちから砂金が取れたそうな。みんな初めは共同で砂金を採り、お金にしてみんな同じように分けていたという」
 「さて、そこでひとりの悪賢い人が全部自分のものにしようと、次々に仲間を殺してしまった」
 「殺された人たちは、必ず復習してやる、と言ったそうだが、その悪人は、ふん、死んだ人に何ができると言うのじゃ、と言って恐れなかったという」
 「ひとりになった悪人は、ある朝、弁当をいっぱい持ち、水稲に水をいっぱい入れ岩淵谷へ行った。しかし、どこを探しても、いつものように谷は輝いていなかった」
 「そこで、悪人は、あっちこっちをめちゃくちゃに掘りまわったが一握りの砂金も出なかった。陽は西の空に沈み、暗くなったので悪人は帰ろうとしたが、自分が掘った所が凸凹で深く険しく、もがけばもがくほど足をとられ、そこから出られなくなり、悪人は遂に帰らぬ人となったそうな・・・・その人が死んでからまた、谷には昔のように砂金が出てくるようになったという話じゃ」
 三太郎は

「ここからは、明日に続きます」



 今日は「カラーテレビ放送記念日」だそうです。

 1960(昭和35)年、NHK・日本テレビ・ラジオ東京テレビ(現在のTBS)・読売テレビ・朝日放送の5局がカラーテレビの本放送を開始したんだそうです。
 今でも時々、白黒映画で『七人の侍』とか『四谷怪談』とかが放送されるのを見て、色が無くてもストーリーに釘付けになってしまうことがあります。
 裕福な家庭に育っていなかったので白黒テレビを見ていたような記憶が残ってまして、先日ひょんなことからマンガ「エイトマン」の話になって、確かにこのマンガも確か白黒だったような・・・・、頭眉間に白抜きの「8」が書いてあって、腕を振らずに走っていたイメージ・・・・、違ってたかな?


 「正義は勝つ」。家庭内暴力や陰湿ないじめ、単純な暴力などがストーリーの番組・映画より、純真な心を持った主人公の番組・映画はできないものでしょうか?やっぱり私は時代遅れかな???


 冒頭の写真は、おしゃれ工房湯来さんが作られた元祖湯来コンニャクバーガーです。こんにゃくやゴボウの味が新鮮でした。(パンは私が持ったために凹んでしまってます。)


 今週も充実した週でありますように。よろしくお願いします。
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湯来に伝わる民話「やあ山爺さん」

2012年08月23日 07時07分36秒 | 民話
8/23(木)22℃      


 おはようございます。今日は、暦の上では「処暑」。

 夏の暑さが衰え始める頃なんだそうです。今朝の通勤時の車の中で聞いた歌の無い歌謡曲って番組も夏の終わりを告げる歌が流れてきて、後1週間もすれば夏休みも終わるんだと実感した次第です。
 ?、皆さん知ってますかねー井上陽水&玉置浩二さんの歌った「夏の終わりのハーモニー」とか杉山清貴さんの歌った「さよならオーシャン」とか・・・。

 処暑。暑さが体に与える影響は大きいですから、体調管理に気をつけましょう。


 久しぶりに湯来に伝わる民話です。今回のお話は「やあ山爺さん」です。

 むかし、打尾谷に、やあ山と言う名のお爺さんが住んでいました。どうしてやあ山と言ったか解りませんが、
 「やあ山爺さん、やあ山爺さん」
 とみんなが呼んでいました。炭焼きを主な仕事にしていました。
 ある日、山仕事を終え、炭焼き小屋で休んでいると、疲れが出て、眠たくなり、むしろを敷いて横になりました。足を残り火に近づけ心地よく眠っていましたが、足を伸ばしたため火の中に足を突っ込みました。
 「あちちー、これは大変なことをしたわい」
 見ると、履いていたわらじに火がついています。大急ぎで脱ぎましたが、大やけどをしていました。
 どうにか家に帰りましたが、一人暮らしなので誰も手当てをしてくれる者がいないので寝ころんでいました。
 やけどは一向に良くならず、傷口は広がるばかりです。
 「こう、えっと(たくさん)膿が出ちゃあ、どうしようもない」
 やあ山爺さんは、膿を紙で拭いては、障子の破れから裏庭に投げ捨てていました。
 その裏に、その頃から大きな古狸が現れるようになりました。
 動物の死骸まで食べる狸は、お爺さんが膿を拭いて捨てた紙を舐めていました。
 その味を知ってしまった狸は、村人に化けて、やあ山爺さんの見舞いに来ました。
 「やあ山爺さんは、山で大やけどをして寝付いてしまったげな」
 と村の人たちも見舞いに来ていました。
 夜も更け、みんな帰ってしまいましたが、村人に化けた狸は最後まで残りました。
 「お爺さんよ、寝ていただけじゃ治りゃせんよ。ええお医者さんを知っとるで、連れて行ってあげよう」
 やあ山爺さんを騙して山の奥へ連れて行きました。
 翌日、やあ山爺さんの家を訪ねた近所の人が、
 「爺さんは居なさらんで、どうしたんだろう」
 とみんなに知らせました。村の人たちは、
 「狸かキツネに騙されたんじゃろう」
 と近くの山を捜しましたが見つかりません。それから何日かして、早郷谷(はやごうだに)と言う谷の奥にある小樽山に何人かが赤土を掘りに行きました。
 その穴の前で、やあ山爺さんが白骨になって死んでいるのを見つけました。膿の付いた紙を舐めた狸が、味をしめ、やあ山爺さんが白骨になるまで食べたのでした。


 次回の湯来に伝わる民話は、知る人ぞ知る湯来に伝わる黄金伝説「岩淵谷の砂金」です。お楽しみに。


 そうそう、山里で生活しているといろいろなことがありまして、野菜ができればサルの出没を危惧し、稲穂が頭を垂れるようになれば猪が到る所に出没するようになるし、昨晩は遂に物語じゃありませんけどキツネまで出没し始めました。
(本当は、いつも出没してたんでしょうけど、バッタリしてしまったのはお久しぶり。ブリ・ブリ・ぶり)
 細い身体に大きなシッポ。黄色いからだが身軽にピョンピョン。キツネもこんな時間に人間と出会うことは無いと思っていたでしょうから内心ビックリしたことでしょうね。

 暑さしのぎのために夜空を見上げるために外に出ていると山里でしか体験できないことがいっぱい。

 寝苦しい夜には、水分補給して朝までグッスリとする予定で、畑で穫れたスイカ2切れ(スイカ1/4)を食べたところ、夜中に目が覚めておトイレタイム。今朝は30分も寝過ごしちゃってチョービックリ。
 規則正しい生活を送るためにも、就寝前の飲食が身体によくないことを実感した次第です。皆さんも、お気をつけください。


 今日も暑くなりそうです。
 充実した一日が過ごせるよう、お互いがんばってみましょう。


 でわ、今日も一日充実した一日でありますように・・・・
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湯来に伝わる民話「きゅうし山」

2012年08月09日 07時03分32秒 | 民話
8/9(木)23℃      



                 

                    

                                

            

          

              

                  

                       

                         

                

             

               



 まさに、真夏の夜空を見上げると見える「S」字のさそり座。「さそり(Sasori)」を英語標記のスコーピオン(Scorpion)に似ていてどちらの説でも大丈夫な気がします。
 さそり座は正確にはS字と言うより、上端が鍵の様に左右に出ていている両手のハサミと、尻尾の部分の反り返った毒針をイメージする形になっています。さそり座を見つけるには南側の空の比較的低い位置でアンタレスと言う一等星の赤系統の星が目印です。
 アンタレスと言う星座名は、”火星に対抗するもの”と言うギリシャ語をローマ字標記にしたもので、その昔、二つの星が近づくと災害や戦争が起こると考えられてたそうです。
 同じく、南の空の頭上45度角に夏の大三角形を見ることができます。七夕で見る織姫と彦星ともう一つの星で構成されてて、逆三角形になっています。(その昔、私の身体も逆三角形でしたけど今は見る影も無く・・・・)
 織姫星=こと座のベガ、彦座のアンタイル、白鳥座のデネブ

 最近では、携帯電話でインターネットサイトから検索して、携帯電話をその方向に向けると星座を簡単に探せる機能もあるようです。
 蒸し暑い夜は、星空観察を湯来で是非どうぞ。


 湯来に伝わる民話『きゅうし山』

 むかし、白砂・鹿ノ道(かのち)にきゅうしと言う人がいました。きゅうしさんは一徹な人で、みんなが
 「今度のお祭には、みこしを出そう」
 と話がまとまりかかると
 「みこしを作ればお金がかかるのでやめてしまえ」
 と言い、
 「どこ、そこの道普請(新しく道をつけたり、改良したりすること)をしよう」
 と言えば、
 「今のままで人が通れるのでこのままでよい」
 と何をするにも一人反対して、まとまりませんでした。そこで、鹿ノ道の人たちは困ってしまい、
 「きゅうしさんがいたのでは、この村では何にもできん」
 「何とかして出て行ってもらおう」
 と追い出す相談を始めました。ある人がこんな相談を持ちかけました。
 「年貢を納めてある倉から米を盗んで、それをきゅうしさんのやったことにすれば、役人が来て村を追放してくれると思うがどうだろうか」
 それは名案だと言うことで決行することになりました。そこで村の若い人が、年貢を納めてある倉から米二俵を盗んできました。
 「さて、この二俵を盗んだのを、きゅうしさんのしたことにするにはどうしたらええかの」
 と話し合いました。
 「きゅうしさんの納屋の天井に上げよう」
 と言うことになりました。そして、ある夜、きゅうしさんが留守をした間に、みんなできゅうしさんの納屋の天井に隠しました。
 それから何日か経ったある日、役人が倉の米を調べに来ました。
 「おや、二俵足りないぞ」
 役人は村の人達を集めて、
 「米俵が二俵足りない。誰かが盗んだに違いない。正直に申し出て米俵を返せば罪にしない」
 と言いつけましたが、誰も事実を知っていても申し出ません。
 「では家々を調べて廻るぞ」
 と言って一軒ずつ調べて歩きました。ついに、きゅうしさんの納屋の天井から米俵が二俵見つかりました。
 きゅうしさんは、
 「わしの存ぜぬことです。どうか、お許しください。」
 と役人に訴えましたが、
 「無くなった米が納屋の天井から出てきたことは事実である。これで倉の米俵の数は合ったが、許すことはできない。早々にこの村から立ち去れ」
 と命令されましたが、きゅうしさんは行くあてがないので仕方なく、山に逃げ込んでしまいました。
 それから後、誰もきゅうしさんを見たことが無く、みんな悲しい気持ちになりました。
 そこで、
 「せめて、この山をきゅうし山と名付けてあげよう」
 ということになったそうです。

 鹿ノ道に「きゅうし山」が実在するのかどうか、今度調べてみようと思います。もしも、実在したなら人が住んだ形跡があるかどうかも見たいと思いますが・・・・。
 でも、この民話が民話を聞いていただいた方に伝えたいのは「人を陥れた後の後悔」についてなんですね。皆さんはどうお感じになられましたか?

 次回の湯来に伝わる民話は「やあ山爺さん」です。お楽しみに。


 さて、夏休み皆さんしてますか?
 行き先色々ですよね。

 私の場合、明日から来週15日(水)まで長期お盆休暇に入らせていただきますので、書き込みができませんでしたらお許しください。ただ、いつものことですが、色々な場所をチョロチョロしてますので、携帯から情報発信することもあろうかと思いますのでお楽しみに。
 行き先ですか?明日はでしょ、それからその後はお墓参りでしょ、その後は・・・・、まだ行った事のない南の島に言ってみたいなー


 
湯来のイベント情報


 「大森フェスタ大盆踊り大会」

 大森公園広場で8月13日(月)19:30~
 売店あり
 来場者には抽選券が配布され、ナナナント、1等はだそうです。
 もちろん、我が家の寝室用に使いたいと思いますので応募する予定です。(当たるのはバチかな?、バチって広島弁?よくわかんないな~)


 「広島市国民宿舎湯来ロッジ&湯来交流体験センター」

 10日(金)水彩画教室
      ぐるっと湯来ロッジ(温泉、売店、ランチの利用でドリンクをゲット)
 11日(土)クラフト体験
      ヤマメのつかみ取り
      アイスクリーム作り
      気軽にティラピス
      草木染め教室
      フラワーアレンジメント教室
 12日(日)漫画・イラスト教室
      ヤマメのつかみ取り
      アイスクリーム作り
      エレクトロニカ環境音楽フリーライブ
 12日-15日湯来ロッジランチバイキング(毎日11:30-14:00)

 詳しくは、下記にお問い合わせください。
      広島市国民宿舎湯来ロッジ(0829)85-0111
      広島市湯来交流体験センター(0829)40-6016


 でわ、今日も一日楽しく過ごしましょう。でわ、
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心の中・・・

2012年07月05日 07時20分33秒 | 民話
7/5(木)21℃      


 おはようございます。


 なぜか、どこか、お天気同様に体調不良からか、今朝は気持ちがスカッとしていません。

 梅雨シーズンですから仕方ないと言えば仕方ないんでしょうけど、何か、気分転換になることや気力が満ちてくるような楽しいことがありませんか????あれば是非、おすそ分けをお願いします。


 今朝は久しぶりに、湯来に伝わる民話『鍋石の奇水』です。


 大森から水内川に流れる谷川の途中の川底一面に大きな石があります。
 むかし、弘法大師がここを通られた時、凹(くぼ)んだ石に鍋をかけ、食事をされたところから、ここを鍋石と名付けられました。
 その時、そばに箸を立てられました。その箸は逆さまだったそうですが、そのまま生えつきました。大きくなった木の枝はすべて下向きになっていたと言ううことです。人々はこの木のことを弘法杉と呼び、名物になったと言うことです。
(実際は、「川を流れる水による侵食で、川底の岩盤が削り取られ凹凸になり、鍋がかけられるようなへこんだ場所ができていることから」が最有力説です。杉の根っこも現存しています。)
 また、身体を洗われた所をたらい岩と言い、川底の大きな平岩に凹があり、弘法大師の足跡だと言われていました。
 江戸時代の藩絵師の岡 目民イ山(おか みんざん)によって書かれた「都志見往来日記」には、鍋石のことが風景画と共に次のように書かれています。
 『下伏谷より鍋石に至る。谷川の向こうに明神杉一本あり、根は広がり、岩をからみ、枝や葉は谷川を覆っている。この谷川の底のすべて一面が大石である。杉の木の下流の底の大石に二つのくぼみがある。これを釜石・鍋石と言っている。石は三尺(約1メートル)余り、この釜石を洗って雨乞いをしていた。洗う人は蓑傘をつけ「大雨じゃ、やれうるさ、やれうるさ」と言って雨乞いをすれば雨が降ると言っている。そのわきに、馬のひづめ跡が一つあり、枕石がある。ここから、十間(約20メートル)ばかり下に、厳島明神の小社がある。その社の後より泉が流れ落ちている。これを眼洗水と言って眼を病める人がこの水で眼を洗い、平癒したと言う。この水は清泉鏡の如し、青黒き石の間から伝わって流れているのに、この水逃れた跡は赤く鮮やかで朱のようである、奇(めずらしい)とすへし』。


 民話には、実在する場所に昔から伝わる言い伝えや史実、想像の世界をはるかに超えたおとぎ話など色々。皆さんの近くにも言い伝えや史実はありませんか?次回の湯来に伝わる民話は『きゅうし山』です。お楽しみに。


 もう、まとまったホタルの飛翔が観察できる「見頃」のピークが過ぎ去ったみたいで、日ごとに目撃数が少なくなっています。それに、飛び方も元気良くスイ~スイ~から今朝の私のように見るからに元気がなくなっていて、今週末まで大丈夫かなっていう現状になってきました。お天気具合を気にしながら、ホタルを見たいって方はお早めにどうぞ。



 先週の日曜日に、「讃岐うどんが食べたい」って思い立ち、四国香川県まで出かけてきたことは書き込みしてたんですけど、「どうして行きたくなったか」を書き込んでなかったので、チョッとだけゲロしておこうと思います。


 人間ドック受診のことも少し書き込みしましたけど、病は気からじゃありませんが、数ヶ月前からフラフラっとしたり、胸が急に痛くなったり(恋愛の、胸キュンなら大歓迎なんだけど・・・)、何が原因か特定することのできないもやもやな日が続いてます。男の更年期障害って聞いたことがあるんですけど、これに当てはまるんでしょうか?
 まあ、体調が思わしくなかったので、気分転換にドライブがしたいなって思い立ったので出かけてみた次第です。くしくも、立ち寄った先が弘法大師の生誕の地である讃岐・善通寺。広い境内を歩いたり、本堂・お堂を見て廻ったり、気分転換のきっかけとなるような小物を捜してみたりなんかして、雑念と邪気と心の中のモヤモヤを吹き飛ばそうとしたんですけど、なかなか思ったようにはなりませんでした。

 気晴らし、気分転換、無心・・・、何だっていいんですけど何かヒントありませんかね?
 四国善通寺が弘法大師の誕生の地、昔の記録や民話で語り継がれている湯来の鍋石。どこかに奇縁で繋がっているんでしょうか?不思議さを感じてます。


 長い人生、思い通りにならない時は、風向きが変わるまで、じっとしているのが一番いいんでしょうかね。
 あ~、今無性に”肉食いたーい”衝動に駆られてます。

 今日は「ビキニスタイル発表の日」

 1946年(昭和21年)の今日、デザイナーのルイ・レアールが世界で最初のビキニスタイルの水着を発表した日だそうです。これまで最も小さくて大胆な水着を「アトム(原子)」と呼んでいたので、その頃アメリカが原爆実験を行った”ビキニ環礁”からヒントを得て名付けたそうです。広島県内の海開きが確か今週末に行われるところが多いように聞いています。事前検査した水質もいいようですし、「海辺」=「水着」で眼から元気になれたらいいな~って思ってます。

 
 
 気持ち半分しか篭ってませんけど、今日も一日楽しい一日になることを祈ってます。


 雨が降る日ってゆうつだな
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湯来に伝わる民話「じんげんとろ」

2012年05月18日 07時02分53秒 | 民話
5/18(金)11℃     


 おはようございます。

 今朝は、お久しぶりの湯来に伝わる民話「じんげとろ」のお話です。

 むかし、矢田ケ原(今の和田、天上山林道に沿った右岸地域)に、じんで、という人が住んでいました。家の前を流れる水内川が大水のたび、瀬になったり、とろ(渕や、緩やかに流れるところ)になっていました。
 しかし、じんでの家の前は、いつもとろになっていたので、
 「じんでのとろ」
 と呼んでいました。それがいつの間にか、
 「じんげんとろ」
 と言われるようになりました。
 ある年、大水の後、じんでのとろに、何かピカピカ水のそこに光るものがあります。
 「金か銀が沈んでおり、それが水にピカピカ光るのだろう」
 と、人々は水の中に潜って捜しましたが何も見つかりません。そんなことがあり、みんな不思議がっていると、考え深い次郎兵衛という人が、
 「これは神業かも知れん」
 と諸口(もろくち:障子紙)で裃(かみしも)と、袴を作りそれぞれを着て静かにじんでのとろのピカピカ光っているところに入りました。水の中に沈み、やがてあがってきました。
 なんと、裃と袴に、金色に輝くものがくっついてあがりました。
 「これは、神様の乗り移りに相違ない」
 と、紙で作った裃と袴で御幣(ごへい)を作って、麦谷の八幡神社に祭りました。麦谷の八幡神社はその頃、五カ村の氏神でした。
 お祭の日、五カ村のうち八幡神社に遠い多田村や菅沢村の村人が来るのが遅いときが多かったので、お祭のお神酒は、その人達が来た時には無いことがたびたびありました。
 「飲んだが悪い」
 「遅いのが悪い」
 で、喧嘩になることがありました。
 こんなことがあるたびに、多田村と菅沢村の連中は、
 「地の利が悪い。わしらの村にご神体の御幣をいただこうではないか」
 と話がまとまりました。
 そこで、ある年のお祭りの日、御幣を奪った両村の人たちは、あらかじめ計画していたとおり、追って来る人達をよそに、リレー式で上水内に持ち帰ったということです。


 今回の民話、いかがでしたか?
 通常、一般的に、民話・物語だとストーリー性があって、○○したからこうなったとか、・・・・・だったとさ。みたいな終わり方になっているんですけど、このお話には「オチ」が無いんです。持ち帰ったからどうなのか、どうなったのか、麦谷八幡宮と上水内地域の人たちに確執は生まれなかったのか、地域で語られていた古老の語りをまとめたものなので、文献や史実の無い物語については、「今の場所はここなんだ」とか、「顛末はこうなった」とかがないのも仕方の無いことかもしれません。また、本当はこの後に続く何かがあったのかも・・・なんて考えるとチョッと奥深く感じてしまいます。
 何事にも、名残やオチあったら記憶に残っちゃいますよね。
 創作民話・・・・、文才があればなぁ。

 次回の湯来に伝わる民話は「鍋石の奇水」です。お楽しみに。


 今週も”あっという間のタメ五郎~”でしたね。タメ五郎を知らない?????
 クレージーキャッツの一員の「はな(?)肇」さんの古いギャグ。知らない???、本当に知らない?????、こりゃまた、失礼いたしました。(チャン、ちゃん)



 湯来の山々、緑がいっそう濃くなって、絵画趣味のある方は、ロハスな気分で、森林浴しながらのんびりとした時間を過ごしてみるのもいいと思います。


 私の土日フリーは来月16日以降。好きな釣りやドライブ、映画や廻らないお鮨を食べるなどして、早くのんびり、ボケーっとした時間を過ごしたいなぁ
 またまた、新しい情報を仕入れておこうと思いますので来週もお楽しみに


 書き込み、情報提供待ってまーす。


 でわ、楽しい週末をお過ごしください。
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湯来に伝わる民話「馬頭観音(その2)」

2012年04月23日 06時49分58秒 | 民話
4/23(月)8℃     

 おはようございます。

 出勤して一番、いつものことですけど、職場の朝のコーヒーを準備していて今朝は一段といい香りが匂っています。


 今朝は、湯来に伝わる民話『馬頭観音(その2)』です。

 湯来温泉から打尾谷に入る、湯来のはずれにも馬頭観音といわれる小さな観音様が祀ってあります。
 むかし、山県の筒賀や戸河内から猪又山の峠を越え、打尾谷を通って何十頭かの馬が毎日送られてきたり、隅や米を積んだ駄馬や人が通っていました。
 けれども道が悪く、雨が降るたびに小石がゴロゴロと出ていましたので、人さえ歩きにくく、よく足を痛めたり、怪我をしたり、病気になって死んだりする馬もいました。
 そこで村人たちは
 「観音様をお祀りして馬を守っていただこう」
 ということになり、
 「昇飛天馬(しょうひてんま)観音」という馬頭観音を祀りました。
 そこを通る多くの人馬は、馬頭観音様にお祈りして通っていきました。
 今は、馬も通らず、観音様はひっそりとして、自動車の安全を祈っておられるのではないでしょうか?


 この民話に出てくる馬頭観音は湯来温泉河鹿荘に渡る赤い橋のすぐ上流、県道沿いに今もあります。昔は、現県道よりも上側にあった里道横にあったそうで、この民話の時代とは場所が変わっています。10年近く前の災害時では、周りの杉が倒れたにもかかわらず社は壊れることはありませんでした。大きな神社で事故防止の祈祷も効果はあるんでしょうけど、こうした小さな社でも信じれば「無事故」が叶うかもしれません。一度尋ねてみてはいかがかな????


 次回の湯来に伝わる民話は「じんげんとろ」です。お楽しみに。
 「じんげんとろ」って何だと思いますか????わかる方がいらっしゃるかな?


 今日はこれから天気が良くなりそうです。日中は暑く感じることもあるでしょうから、外出される方は日焼け止め対策をお忘れなく。


 では、今週もまたまたよろしくお願いします。
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湯の山温泉しだれ桜の開花情報

2012年04月17日 06時27分06秒 | 民話
4/17(火)8℃     

 おはようございます。


 冒頭の写真は、今朝5時50分の湯の山温泉しだれ桜の様子です。
 今朝も、本格的なカメラと三脚を持参された自称カメラマンらしき方々が男女数名いらっしゃって、色々な角度からベスト写真を撮ろうと動き回っていらっしゃいました。私のようなデジカメと携帯電話での撮影をしている方は一人もいなくてチョッと肩身の狭い思いをしましたけど、”今”の最新情報を元に気軽に皆さんに見ていただけるだけでいいくらいの気持ちで撮っていますので、仕方ないことだと自分自身に言い聞かせています。持ち運びに便利だし、気軽に撮れるデジカメが私には丁度いいんです。そうそう、フィルムで撮影するカメラならペンタックスなんですけど、6×45とXLっていう機種と110(ワンテン)っていうミニのカメラを持ってます。が、最近は使わなくなったので誰か欲しい方がありましたら、安価でお譲りしたいんですが・・・・、ムリかな?・・・・
 

 桜の状況ですけど、散りはじめました。

 風が吹けば一気に散ってしまいそうです。お早めにお越しください。


 久しぶりに湯来に伝わる民話です。今朝は、馬頭観音(その1)です。

 むかし、赤土地や大山の辺りから十文字方面に通じる道は、木炭や生活物資を町へ運ぶため、駄馬の往来の多いところでした。
 道が狭く険しい坂道もあるので、人も馬も難儀をしていました。そこで人々は安全な往来を願って馬頭観音を安置しました。
 河内原外れの路傍に、観音様思えるような自然石を立てて祀りました。
 それから何年かが経ちました。ある年の秋、大雨が降り、土地が崩れ、自然石の観音様は土に埋まってしまいました。
 ある時、河内の古老の喜八さんという人が寝ていると、観音様が枕上にお立ちになって、
 「これこれ喜八さんよ、わしは馬頭観音である。人馬の安全を守ってきたが、土砂が崩れて、一緒に落ちてしまって伏ったままで苦しい。起こしてくれたら、ここから川上の人たちは胸を患うことのないようにしてやる」
 お告げを夢見た喜八さんは、さっそくこの話を村の人たちに話しました。
 村の人たちは大勢集まって、高さ数メートルもある自然石の馬頭観音を起こしました。そして、花や線香をお供えして安全を祈りました。
 それから、胸を患う人がいなくなったかどうかはわかりませんが、観音元という地名が今も残っています。

 次回の湯来に伝わる民話は「馬頭観音(その2)」です。お楽しみに~。


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短期は損気

2012年02月28日 07時10分58秒 | 民話
2/28(火)-1℃       


 おはようございます。
 今朝のお目覚めはいかがですか?

 早朝のでは、お寺の住職さんや美輪さんが「今日のお言葉」みたいな数分間のお説教やお話をされていますけど、「短期は損気」なんてよく話題になっています。
 『”自分らしく素直に生きる”のも大切だけれど、相手を思いやる気持ちを心の片隅に持ち続けましょう。自分自身のおろそかに気付きましょう・・・・。』なんて聞いたときには、”うん、そうそう”って相槌打つのに、いざその場になると私の場合、「その場しのぎ」になってしまうこともしばしば。気をつけたいところです。
 でもでも、ここ数日、連ちゃんで駐車場のシステムダウンと故障が連発。イライラした出勤時に故障してしまうと修理に来ていただくまでの時間が長いこと長いこと。血圧ドバーっとしているのが自分でも分かるので、今朝は、故障があっても大丈夫なくらい少し早めに自宅出勤したんですけど、またもや故障。メーカーが来て今日は本格的に修理するそうです。
 怒る気にもならないというのは、諦めの境地に達したときなんでしょうか?????
 昔の諺に、”バカは死ななきゃ治らない”じゃありませんけど、私の場合はまだまだ修行が足らず。根本的に、性転換じゃなかった、性格転換しなきゃダメみたいです。
 ご提供いただける方がいらっしゃいましたら、爪の垢でもいただければと思います。(よろしくね


 今朝は、久しぶりの湯来に伝わる民話です。今回は「明神滝と消えずの火」です。

 むかし、田代川の上流に、「こうのみ」という里がありました。広い田畑を耕して、人々は豊かな暮らしをしていました。
 こうのみに九郎太夫という人が住んでいました。ある日となり村へ商売に出かけました。秋の日は釣瓶(つるべ)落としに暮れるので、早めに切り上げて帰り始めました。
 九郎太夫が田原山の麓にかかる頃には、まだ大峯山の頂に夕日が残っていましたが、竜石が丘にたどり着くと、もう霜月初めのかすかな星明りだけとなり、くしげのえきの森林に入ると、
 「まるで、鼻をつまんでもわからない」
 といわれるほどの真っ暗闇になりました。
 一歩あやまれば千イ刃(せんじん)の谷底、九郎太夫は木の根や岩角を手探りで歩いていました。
 「もう少しすると消えずの火が見える」
 と、心に言い聞かせて進んで行きました。やがて、消えずの火が闇に浮かんできました。
 「やれやれ、一安心」 
 と九郎太夫は岩角に腰を下ろし一服しました。
 ふと、おじいさんから聞いた話を思い出しました。

 『むかし、むかし、明神様(宮島の祭神、イツキシマ姫のこと)は乳飲み子を抱えて、別れた愛人を慕って、故郷の出雲の国を出られて流浪の旅を始められた。石州から芸州を経てこの地においでになった。雲出の一軒の民家に、金のちきり(はた織りの道具の一つ)を預け、明神滝の近くでしばらく滞在されたそうな。ちきりを預かった家では、その名にちなんでちきりがーちの屋号で長く続いた。預けた金のちきりを受け取ったイツキシマ姫は、山の深い防州路で難儀を重ね、時に苦の坂越えは大変な苦しみだったとみえて、必至で持ち歩かれていた金のちきりをこの地に留め置き、旅を続けられた。金のちきりを置かれた周防の国には、今もちきり明神があるということじゃ。さて、この消えずの火のことじゃが、イツキシマ姫が滞在されたので明神滝と言うようになった。
 明神滝の三段に積んだ自然石、二丈(約6m)ばかりの石灯籠に神秘の常夜灯がその時に作られ、消えずの聖火として幾千年も光り輝いているのじゃ』

 九郎太夫は闇の中、消えずの火を目指して歩き始めました。
 「こう暗くては家に帰りつくのは容易なことではない。今夜だけ、この消えずの火を借りて帰ろう」
 と聖火を借用し、こうのみの自宅に帰りました。
 ひとたび人間の手に触れた聖火は、永久に再び輝きませんでした。
 それだけではなく、こうのみの田や畑は、鳥獣虫害しきりに襲い、米麦をはじめ五穀が実らず、次第に荒れていきました。遂には、人々が住めなくなり、こうのみも消えずの火とともに無くなりました。
 文久元年の記録によると、
 「往古の荒田方御座候へども家の有無の儀、申し伝えも御座なく・・・・・・・・」
 とあり、同じ記録に大原、白井田原、すきまき、熊が杉などに家があったと明記してありますから、こうのみがあったのはかなり古いことのようです。
 また、この地を浄蓮(じょうれん)屋敷と呼び、万正寺の前進、万願寺の遠祖はここから出たと伝えられています。

 今の湯来温泉から数キロ上流の山間の里に伝わる民話です。大原、白井田原、白井、熊が杉、豆栃、日室、赤谷・大山地・蕨さで(?)・・・、色々歩き回りました。今流行の源平にまつわる場所もありますけど、事静かに、静観しているのがそこに棲む動植物にはいいのかも知れません。
 やっぱり、そっとしておきましょう。


 次回は、「馬頭観音」です。お楽しみに~。


 では、今日も一日、楽しい一日でありますように。 
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2012年02月23日 07時17分13秒 | 民話
2/23(木)3℃

 おはようございます。

 風邪薬と頭痛薬が手放せないここ数日ですけど、皆さんは大丈夫ですか?偶にはヒットするような話題を振り撒こうと情報収集をしてるんですけど、中々これといったモノがなく、いつの間にか週末・月末になってしまいました。

 今年のNHK大河ドラマで「清盛」が放送されていますけど、広島市内で関わりのある人物がいないかと調べてみました。
 
 湯来町は「旧佐伯郡」に属していましたので、「佐伯(さえき)」に絞ってネット検索したら「佐伯景弘」なる人物がいらっしゃいました。

 原文そのままですが、

 『佐伯 景弘(さえき かげひろ、生没年不詳)は、平安時代末期・鎌倉時代初期の厳島神社の神主。

平清盛に接近し、その家人として活躍する。長寛2年(1164年)、景弘が史料に初見される時には、既に清盛と密接な関係にあった。景弘は、衰微していた厳島神社の興隆を目的に、早くから清盛に接近していたという。さらにこの年、清盛は安芸守に任命されており、それが契機となって両者の関係はより緊密となった。清盛の厳島神社への信仰は厚く、積極的な支援を行い社殿の修繕に寄与した。

景弘は社の郷司、地頭となって神宮の経営に関与し、清盛から平氏姓を名乗ることを許され、平氏の軍勢に従軍、源氏との戦いでは一貫して平氏を支持した。平家方:寿永4年/源氏方:元暦2年、文治元年(1185年)、壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡したが、景弘は新たに台頭した源頼朝に接近し、その後も神主の役職にあった。文治4年(1188年)には頼朝に命ぜられて壇ノ浦で安徳天皇と共に海中に沈んだ宝剣の捜索を行った。 』
 とありました。
 景弘の登場は大河ドラマ第16話。お楽しみに。


 私の勤務地には、平清盛の娘「天女姫」が、当時では不治の病と恐れられていた天然痘にかかり、わずか14歳の生涯を終え、亡骸を葬り、近くに神社を建てて祀ったとされる伝説の伝わる場所があります。先日、この神社を見に行ってきましたが、神社の名前は『疱瘡(ほうそう)神社』と言うんですけど、神社の一角に社名入りの石柱が地元の方々の寄進によって建てられ、その上の手毬を見ていたら、気持ちはタイムスリップしたかのような錯覚をしてしまいました。
 私の義祖母方の親戚の家に立ち寄った際に、ショーケースの中に沢山の手作りの毬が飾ってあるのを思い出し、昔の遊びを正しく教えてくれる方って居ないのかなーって。
 最近になって、ホンモノを追求することが多くなって、昔の遊びを知る人に手ほどきを受けたいと思うようになりました。蹴鞠とは違うんですかね。???
 昔を知られる方、是非ともホンモノをご教示ください。よろしくお願いします。


 今日は「皇太子誕生日」です。
 浩宮徳仁親王殿下は1960年(昭和35年)に生誕されていますので、いずれは祝日になるんでしょうか? でもって、ナマズ記念日になるとか・・・、ああ、薬が効いてきたみたいで目が虚ろになってきました。

 今日も良い一日でありますように・・・・・・・・・。
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広島市内最高峰の大峯山(1,050m)

2012年01月16日 06時57分31秒 | 民話
1/16(月)2℃       


 おはようございます。


 最近、湯来の民話を掲載してなかったので書いてみました。今朝の湯来に伝わる民話は『大山の氏神様』です。


 むかし、白砂(しらさご)の大山(おおやま)や河内原、鹿の道(かのち)は家が少なく、これらの人たちは八幡原神社の氏子になっていました。しかし、大山では開拓も進み、家数も多くなりました。秋祭りが来ても、山を越えて八幡原の神社まで行かなければなりません。
 「なんでも、大山に社を建て、神様をお迎えしようではないか」
 と話がまとまり、神社を建てましたが肝心の神様がおられません。そこで、出雲の国へ神様を迎えに数人が出向きました。
 「話では聞いていたが、なんと出雲大社ちゅうのは大きな神社よ、のぉ」
 「こがぁに、ぎょうさんの(たくさんの)人が神様を迎えに来られちゃあ大変よのぉ」
 と話しながら出雲大社に参り、出雲の神様に
 「このたび、大山に社を建てましたが、神様がおられないのでお一人お願いいたします」
 しばらくして、大山に来られる神様が決まり、お供して大山に帰ってきました。すると神様は、
 「ここは大山か?わしが聞いた大山は海の近くだということだが・・・・」
 「ここは安芸の国、白砂村の大山でございます」
 「わしの行く大山は、伊勢の国の大山じゃ、そこへ案内せい」
 大山の人たちは困りました。そしてみんなで、
 「せっかくおいでいただいた大山でございます。何でも言われたことをいたしますので、ここに留まってください。」
 「では、今から言うことを聞いてくれれば承知する」
 一つ、秋祭りを盛大にすること。
 二つ、神社に高提燈をあげ、太鼓や笛で一晩中賑やかに祭礼を行うこと。
 三つ、参拝者に、甘酒を作り、酒とともに振舞うこと。
 この約束を守り、大山では賑やかな祭りが続けられました。酒や甘酒が振舞われるので近隣の村からも参拝する人が多くありました。
 この神様は火を嫌う神様でしたので、大山では今も”とんど”をしないことになっているということです。

 大山集落は、大峯山の山麓近くにある集落で、「大峯下ろし」という季節風で雪がたくさん降る地区でもありますが、種の少ない(無い)柿の実がなる木や、昔ながらのコンニャクイモを栽培している地区でもあります。
 以前は、トマトやインゲン、ほうれん草などの適地でもあったんですけど、今はどうなってるのかな?
 今度暇な時に訪問してみようと思います。


 次回は『明神滝と消えずの火』です。お楽しみに。



  今夕、おしゃれ工房湯来のTV放送があります。

 1月16日(月)16:45頃~
 広島テレビに出演!
どんなお店か、是非見てくださいね~。


 冒頭の写真は、広島市内最高峰の大峯山(1,050m)。ご覧のとおり、山頂には雪が積もっているようです。湯来側からの登山時間は40分程度。山頂からの360度の眺望が自慢の山です。
 雪が解けたら、春山ハイキングを計画したいと思いますので、一緒に登ってみましょう。


 先週の金曜日と昨日は消防と地区町内会の新年会で、久しぶりに和気藹々の時間と美味しいお酒を飲ませていただきました。(飲みすぎシールが頬っぺたに貼ってあるような気がします。)
 旧正月も明けたことだし、今日からビシッと襟を正して公私に頑張ってみようと思いますので、応援をよろしくお願いします。


 今週もよろしくお願いします。
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湯来に伝わる民話「日浦畑の始まり」

2011年12月15日 07時06分46秒 | 民話
12/15(木)      


 おはようございます。気持ち寒さが弛んだような気のする朝です。

 今、月が出ていない時間帯では夜空の星がとてもきれいで、目が慣れてくるとオリオン座がハッキリくっきり。

 こんな感じかな?

      (この辺に「ふたご座」)



                                (この辺に「おうし座」)


                  これが「ペテルギウス」
(この辺に「こいぬ座」)                



                             



                                       


          (この辺に「おおいぬ座」)     


  オリオン座の「ペテルギウス」とこいぬ座の「プロキオン」とおおいぬ座の「シリウス」の3つを見つけられるとこれが『冬の大三角』。
 見つけられるかな?????

 ネットで星座について少し勉強して夜空を見上げると日頃気付かなかった星や星座を観察することができるはず。同じ空を見上げてる人がいっぱいいると思うと心が和みます。



 今回は、湯来に伝わる民話『日浦畑(ひうらばた)のはじまり』です。

 むかし、戦いに負け、命からがらに逃れてきた吉六という侍が、日浦畑の山の奥に嫁さんと二人で隠れ住んでいました。
 山小屋を建て、周りの山林を開墾し、ソバや粟(あわ)を作り、ひっそりと暮らしていました。戦いに負け隠れ住んでいるので、吉六さんはいつもびくびくして
 「どんなことがあっても、尋ねてくる人と話をしても、家の中に入れてはいけない」
 と嫁さんに言っていました。
 山奥なので里の人が来ることもなく、吉六さんと嫁さんは仕事に精を出し、平穏な毎日が続いていました。
 その年の秋の深まったある日、吉六さんが山仕事で帰りが遅くなり、途中で日が暮れてしまいました。
 家の近くまで帰ると、家の中から話し声が聞こえてきます。嫁さん一人しかいないはずの家の中に誰かもう一人います。
 「さては、隠れ家を捜し当てて、間者が現れたか」
 「いや、待てよ、どうも嫁さんと親しく話しをしているようだ。さては魔物が嫁さんをかどわかしているのだろう」
 とそう思い込んだ吉六さんは、刀を抜いて家の中に飛び込みました。見ると嫁さんが二人います。そして二人とも笑顔で吉六さんを見ています。
 吉六さんは、嫁さんと妹との二人とは知らず、魔物が化けたと思い込み、無我夢中で
 「えい、やあ」
 と二人を斬り捨ててしまいました。
 魔物なら正体を現しますが、嫁さんと妹は息絶え絶えです。吉六さんは、
 「しまった、大変なことをした」
 と、嫁さんがかすかな声で、妹が来たことを話しました。
 吉六さんは、泣き泣き二人を裏山に埋めました。
 次の年の春。埋地から二本のタケノコが生えました。次の年も、その次の年も二本のタケノコが生えます。吉六さんは、
 「嫁さんと妹がこの世に未練があり、タケノコに化身して出るのであろう」
 これは、神罰のたたりに違いないと思い、近くにある大杉にしめ縄を渡し、「若宮の神」として祀りました。そして、日本のタケノコをお供えして二人の供養をしました。
 それからは、その埋地からタケノコは生えなくなりました。吉六さんは早合点し二人を死なせたことを悔い、戦いに負けた人や困った人をそこに住まわせ、みんなで野山を切り開いて田や畑を作りました。これが、『日浦畑』の始まりと言われています。



次回の湯来に伝わる民話は『大山の氏神様』です。お楽しみに。


 

 少し前から、どんな感触の菓子だろうかと気になっていて何度か買ってはいたんですけど、最近になってようやく写真のようなの形をしたものが中から出てきました。(ラッキー
 食感?。硬くはありませんでした。でも、甘いけど何だかよく分からない感触。噛まないで口の中に入れているだけだと、割と長持ちはするんですけどプニュプニュ感も無いし・・・・、よく分からない食感でした。


 食べた食感を伝えられる方がいらっしゃいましたらお教えください。



 今日も、日中は少し暖かくなるようです。室内に閉じこもらないで出かけられるときに出かけて、心と体の健康に努めて下さい。



 では、今日も元気に過ごしましょう。
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あこがれ

2011年11月28日 07時18分11秒 | 民話
11/28(月)10℃    


 おはようございます。
 充実した週末を過ごされましたか?

 私は、仕事の関係で似島に行ってきました。広島市南区、瀬戸内海に浮かぶ島ですけどこちらも既に紅葉のピークを過ぎ去っていましたけど、こちらの島で開催された公民館祭りに参加させていただき、美味しい「牡蠣ご飯」や「牡蠣の殻焼き・海鮮丼」、おごって頂いた焼き鳥などをいただいて、大満足な至福の時間を過ごさせていただきました。
 残念だったことは、準備していた釣りを昼の休憩時間にできなかったこと。吊り上げた魚の写真をアップできなかったことが
 その時間に、美味しい食事を満喫したんだから善しとしておきましょうかね


 今朝は久しぶりに湯来に伝わる民話『西峠のキツネ』です。

 むかし、西峠のふもとに、気のやさしいおばあさんが住んでいました。夏のはじめその家の近くに子ギツネが姿を見せるようになりました。おばあさんは、
 「さあ、さあ、お食べ」
 と言って、毎日、ご飯の残り物などをやっていました。夏も終わり、秋も深まる頃には、子ギツネもだんだん大きくなりました。朝起きてみると、山鳥やうさぎが家の前に置いてある事が時々ありました。
 そのうちキツネは、お婆さんに姿を見せなくなりました。
 次の夏、ある夜遅く、寝静まってから雨戸をたたく者があります。
 「おばあさん、おばあさん、うちの家内がお産で難儀をしています。産婆さんを呼んでくださらんか。籠を用意してきとるけぇ」
 おばあさんは産婆さんとともに用意された二挺(ちょう)の籠に乗りました。どこをどう通ったか知らぬ間に大きな家の前に止まりました。
 「こんなところに、こがぁな屋敷があったかいのぉ」
 と不思議に思いましたが、
 「さあ、早く」
 とせかされるままに内に入り、自分の力だけではお産ができない産婦に力を貸してやり、無事に出産させることができました。すっかり落ち着いたので、丁重な見送りを受け、籠に乗って家に着いた時には、東の空が明るくなっていました。
 数日後の夜更け、
 「今晩は、この前お産に来てもらった家の者です。あの時は、本当にありがとうございました。すっかり元気になりました。ここにお礼を持って参りましたが遅いので玄関に置きます」
 と言って帰りました。お婆さんが玄関に出てみると、大きな鯛と小判があります。翌朝よく見ると鯛は魚屋から来たばかりの生きのよいものですが、小判は、笹の葉でした。
 キツネのしわざだと気付いたおばあさんは、
 「キツネでもよい、難儀をしているものを助けてやったのだから」
 と言って笑っていたとさ。

 めでたし、めでたし。


 山里から市内中心部に通勤していると色々な動物を見かけることがあり、もちろん、しっぽがフワフワのキツネと遭遇することだってあります。目と目が合うとキツネもビックリこちらもビックリ。でも、身軽にぴょんぴょんしながら走り去る後姿は愛嬌たっぷり。飼い慣らせるものなら飼い慣らして番犬(狐)になってくれないかと思ってみたり・・・・。変な犬猫を飼うよりも話題性あるでしょ
 ホント、カワイイです。 

 次回の湯来に伝わる民話は『日浦畑のはじまり』です。お楽しみに~


 今日のアップした写真は、山陰の海岸です。勤労感謝の日にホンモノの蕎麦が食べたくなったので本場までチョッと行ってきた時に、休憩したドライブインで写した写真です。
 冬の日本海のイメージが感じ取っていただければ幸いです。


 今朝は、久しぶりに、”温かいな”って感じることのできる朝を迎えました。週初めは何故か気持ちがトーンダウンしがちなんですけど、今朝の気持ちは。あっという間に月末の週になったという実感を感じつつ、今週一週間を頑張ってみようと思いますので、今週もどうぞよろしくお願いします。
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湯来に伝わる民話「大原長者」

2011年10月06日 07時02分22秒 | 民話
10/6(木)13℃     


 おはようございます。
 一雨ごとに秋の気配が濃くなって、山々の木々の彩りや、寒さが一段と気になるようになってきました。さすがに、皆さんのご家庭ではエアコンをつけっ放しにして就寝ということはなくなったんじゃないでしょうか?(我が家にはエアコンがありませんけど)
 その代わり、朝が寒いと感じた日には、傍らにいつの間にか灯油ストーブ(薪じゃありませんから念のため)が出没してました。
 そうそう、電気を使わないタイプのストーブが震災のあった東北地方では見直されているようで、万が一の停電や個別仮設住宅での利用が増えているようで、製造メーカーも時期を早めて作り始めてるそうです。電気がこない使えない事態のもしもを想定したら、用意したほうがいいんでしょうかね。
 でもデモでも、化石燃料が無くなったら・・・・、いつまで化石燃料が使えるのか気になってきました。
 ”節約・もったいない等々”贅沢は敵だということを肝に命じておきたいところです。


 さて、今日の湯来に伝わる民話は「大原長者」です。 湯来町の木岡(ユズリハ)という集落の中心部に倉庫があって、郷土民具や版画を展示していらっしゃる場所があるんですけど、その版画の一つに「一粒のお米」が食べられるまでの版画があるんです。最近、物を粗末に扱う傾向が強くなってきてますから、一度見ていただきたいと思います。
 湯来交流体験センターで展示してもらい、来訪者に見ていただきましょうかね。
 物語を読んで正しく理解していただいて、「もったいない・物を大切にする」ってことを感じ取っていただければ嬉しいです。


 石ヶ谷峡を登っていくと大原の里があります。むかし、ここに広い土地を持った長者が住んでいたので長者原とも呼んでいます。
 長者の大きな蔵の中には、米俵が山と積まれ、
 「蔵の中の米俵を並べたら、大原から一里(約4km)もある日室の里まで続くそうな」
 「土地は広いし、おとこし(男性)、おなごし(女性)をたくさん雇うていなさるけぇ、仕事はせんで毎日遊んでいなさるそうなと」
 「広い屋敷じゃけぇ、めったに旦那さんやおかみさんにお目にかかれんそうな」
 村の人達のうわさ通り、長者一家は毎日色々な遊びにふけっていました。
 中でも、「はま射」と言って、藁で作った丸いドーナッツ型の物を転がして弓矢で射る遊びをよくやっていました。
 ある年の正月、藁で作ったはま射に飽きた長者の息子が、ふと神棚にあった大きな鏡餅に目をつけました。
 「おい、あの鏡餅を持ってこい」
 とおとこしに言いつけました。言われたとおりに神棚から下ろして持って来ると
 「よし、はま射の時と同じように、餅を転がせ」
 餅はころころと転がります。長者の息子は弓矢で射ますが当たりません。一回目、二回目と転がし、三回目に矢はたがわずパシッと餅に当たりました。
 ところが不思議なことに、餅の矢に当たった所から、真っ赤な血が流れ出ました。あたりの雪もこの血で赤く染まりました。
 これを見た長者の息子もさすがに気味悪くなり、以後は、はま射を止めました。

 そんなことがあってからの長者の家では、することなすこと悪いことばかりが続きました。
 その年の春、長者は
 「こぶしの花はまだ咲かんが、木の芽をよう出たし、ぼつぼつ苗代を作らせにゃあいけまあで」
 そんなことを言いながら日室の里に様子を見に出かけました。途中の土手の丘からうつろの里を見てビックリしました。
 「うつろの里じゃあ、田植えの真っ最中じゃ」
 苗代に種もみを蒔いて芽が出て、田植えをするまでには一ヶ月以上もかかります。長者は驚いて飛んで帰り、おとこしたちに、
 「うつろの里じゃあ、田植えをしよる。はよう、苗代作りをせにゃあ、急いでくれ」
 苗代が送れ、田植えが遅れ、秋風が吹く頃にようやく稲の穂が出ましたが、実らず実米は取れませんでした。
 それやこれで、長者の家運もしだいに傾き、遂に絶えてしまいました。
 大原の里では、こぶしの花の咲く頃に苗代を作っていたのに、その年はこぶしの花が咲かなかったともいいます。
 その後、この里もだんだん寂れて家屋敷や田畑の跡を残す、昔の里山になりました。
 日室の里とは、湯来温泉の東北側の丘地で、うつろの里とは今の打尾谷のことで、うつろの大木があったことから、うつろの里が「打尾谷(うつおだに)」になったと言われています。


 次回の湯来に伝わる民話は「西峠のキツネ」です。お楽しみに~。


 ずっと以前のブログで書かせていただいたんですけど、日室と言う集落のあった場所に行ったことがあります。昔ながらの集落の形態を一部に残し、ふるさとを捨てて出て行ったときに植えられた杉の木が植えられていました。
 傍らに転がっていた五右衛門風呂の風呂釜や食器のかけらが今も脳裏に焼きついてます。


 色々な観光地へ出かけてみたい願望はあるんですけど、胸が苦しくなってしまうほど切なく感じてしまう”廃村集落”を再訪問してみたいと思うときもあるんですけど、傍らから見ると”変なヤツ”に見えてしまうでしょうね。


 秋晴れで、気分転換をしたくなったら、名前の知れた山への登山でない場所歩きもして見たいなー



 今日からまた数日は天気がいいようですね。気分いいから、冒頭の絵を私が書いて見ました。民話の原本にあった絵を真似て書いてみたんですけど、ヤッパリできは悪いですね。なにしろ完成まで3分足らず。認めていただけるものではありませんけど、何も無いよりはマシかと思い書いたしだいで・・・・・。失礼しました。

 私の週末スケジュールは残りの農作業の完済。しまりの無い身体にムチ打って、頑張ってみることにします。時間できたら、清水寺展が福山?で開かれているようですので、仏像を見たくて出かけてみようかとも思ってみたり、疲れを取るために只只寝ておこうかと思ったり・・・・・。体調しだいかな????



 では、今日も一日、充実した一日でありますように。頑張って!!
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