健康楽園。

健康に関する情報・提案を主にする。

沖縄へ。

2006-04-18 | 聴けた!imaging.
「21歳のとき、渋谷パルコ劇場で、ヘアーっていうミュージカルに出れるようになりました。主役なんてとんでもない・15番目の脇役です。ミュージカルはリハーサルを一ヶ月間やって、5日稽古して本番幕開けになります。リハーサル中から毎朝おふくろに報告に行っていました。あの喫茶店です。この芝居の{アクエリアス}っていう曲・おふくろも自分も大好きな曲でした。、最終リハーサルが終わり、打ち上げがありました。二次会を断ってアパートに帰ると、鍵が掛かっていません。ドアが開いています。玄関に、お袋のサンダルがあります。浴室から水の音が聞こえます。恐怖を感じました。おふくろが浴室で倒れていたんです。すぐに救急車・心臓マッサージもしたんですが、脳溢血で即死状態でした。オヤジにすぐ連絡したんです。入ってくるなり、お袋の髪の毛を一本一本撫ぜて、整えはじめました。そして、抱きかかえて静かにキスをしたんです。あんなに憎しみあっていたのに・・・・・。偶然に出会った二人なのに・・・。オヤジはいつもだらしなくて一番先に死んで欲しかった人でしたのに。(笑)私はといえば、部屋の片隅で小さな声でアクエリアスを歌っていました。
さて、初日がやってきました。中央の一番良い席にバラが一輪飾ってあります。思いっきり歌い・踊りました。
おふくろが突然いなくなってオヤジが一番弱かったです。浴室で倒れた時のスカートとワンピースの生地で、枕を作って、毎晩とっかえて抱いて寝ていました。まるでスヌーピーみたいです。(笑)
こちらは、俺を生んでくれてありがとう。このまま落ち込んでいるだけではダメになる、死んじゃうから、ブロードウェイに行くことを決心しました。ここで始めて親父と向き合いました。「行ってくるよ。」「ヨシ!!」としか言わんかった。
24年前のニューヨーク恐かったです。アパートのドアには4つも鍵が付いています。さびしくてたった一人泣きながら寝ました。チケットを買って見ました。世界最高!そこから毎年ニューヨークへ行きました。29歳のときにはロンドンにも行きました。
だけど、このまま逃げているだけじゃダメだと思い直し、自分で芝居を作ってプレゼンテーションしなければいけないと思うようになってきました。
東京に帰って来ました。150人しか入らない小劇場でアイガットママを上演しました。上演三日目から立ち見が出るほどの人気が出てしまいます。もう半年先のチケットも取り難くなります。日生劇場からもお呼びがかかります。{違いがわかる。}のテレビにも出るようになります。
だんだんに俺何しているんだろうっていう気持ちが膨れ上がるんです。タレントになりたいんじゃないだろう!!また、リセットの時期が来たんです。逃げるのはいつでもできるんで、すべての仕事・止めよう!一年間だけ休むことにしました。
沖縄に行きたいと思いました。
公設市場行ったことがありますか?おばさん・おじさんが暖かいですよ。違いがわかる人にしては、汚くって小さいね・誉めてやったから買って!だって。沖縄蕎麦を持ってくるときドンブリに指が入っている。ワー大丈夫ですか?って正すと・大丈夫・指熱くないさ!だって。ある日ゴキブリが入っていました。これ・おばさんゴキブリ入っているよ!って言ったって・コワイサーって言って行っちゃう。{コワカッタサー}で終わってしう。どうしてこんな発想が出るか判らない。自宅にもどんどん知らない人が入ってくる。どなた様ですか?・ハイ知り合いです!テレビで合った!ですからね。
沖縄では、全部が家族で血がつながっている・上下とか地位っていうものが無くなります。琉球国です。
玉城にきったない小さな喫茶店があります。漁師の物干し場かと思った掘っ立て小屋です。稲福さんていうご主人。違いが判る人、また夜8時に来なさい・待っているからということになりました。行ったらカヌーが用意してあります。コールタールのような全く明かりのない漆黒の海に漕ぎ出して行きます。恐くって多弁になって質問の速射砲をあびせるのですが・・・、あんまりいろいろ考えない!と一言。考えるのが人間だと思っていました。1キロ沖に出て、静止してしまいました。静かな凪・ナギ状態。そのままズーッと羊水にいるようにたゆたっています。もう最高!岸の近くでは、魚がジャンプしてきてキラキラ光ります。自然の中の沈黙って素晴らしい。風向きが変ったのが判る。沖縄の人は、花が綺麗だねっていうと、こんな根っ子をしているって、地下の根までわかるんです。生きるってことはすごいって思ったです。その玉城の喫茶店の横に土地を買って家を建てちゃいました。
東京のおやじはというと、落ち込んで、喫茶店もチェーン店に押されて廃業、犬が舐めてくれているんで元気っていう生活です。5年前自殺しようとしました。だけど元気。78歳で25歳下の嫁さんもらって、高校生の子供がいます。(笑)
生きていると、時々むなしさが襲ってきます。しかし、次のリセットができる・次の人生があるんだって思えます。見切りをつけてはいけません。必ず次が出来るって信じて生きています・僕は!!!120歳まで生きようと思います。若い人からエネルギーをどんどんもらいます。」
笑顔がとっても良い講演でした。苦難を乗り越えリセットしてきた亜門さん、絶対にうつ病にはならないですね。
コメント (2)
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