河村能舞台の待合室にはこんな張り紙が張ってありました。河村家の家訓でしょうか。
「心は楽しむべし、傷むべからず。身は励むべし、休み過ぎるべからず。
家は調べし、整うべし、身の欲(大酒・夜更し・マージャン等)を慎みて、体を大切にし、健やかに長生きすべし。
人と生まれたるを得難し、有難しと言い、天・地・人・父母の恩に感謝し、人々の幸せにつくし、心楽しく喜びて、人生を送るべし。
有難し、有難し。」
尚(べし)は命令にあらず、決意の語気なり。 河村禎二
とあります。
禎二さん、まだまだ健在で、古希のご挨拶も「今年でたったの80歳・・」とおっしゃった方で、さすが超前向きな方です。
各大名がおかかえの能楽師を養っていたという、武家社会の精神的バックボーンになっていた「能」です。
「能」といえば白州正子さんを思い出します。
吉田茂の弟子だった白州次郎さんがご主人で、戦後・マッカーサーと対等に交渉した唯一の外交官として評価されています。「従順ならざる唯一の日本人」と言わせました。
白州次郎さんの正子さんにケンブリッジから出したラブレターがすごいです。
「MASA YOU ARE THE FOUNTAIN OF MY INSPIRATION AND THE CLIMAX OF MY IDEA.」なかなかこうは書けませんね。
司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」は吉田松陰を描き切って、味わい深い作品ですが、この中にも「能」に関するくだりがあります。「人間など観じ来れば、一曲の舞にもひとしい。生あるもののなかで滅せぬもののあるべきか。・・・これほど愉快な文句があるものか。男子とうまれてその生涯を舞台に大事をなそうとする者、これほどの覚悟がなくてはかなわぬものだ。生死をわすれ、我執を去り、悪縁を切りすて、ただひたすらに生涯の大事をおこなうのみだ。」309ページ。
吉田松蔭、割腹直前の場面で語られます。
能は楽しめて、奥深そうです。
「心は楽しむべし、傷むべからず。身は励むべし、休み過ぎるべからず。
家は調べし、整うべし、身の欲(大酒・夜更し・マージャン等)を慎みて、体を大切にし、健やかに長生きすべし。
人と生まれたるを得難し、有難しと言い、天・地・人・父母の恩に感謝し、人々の幸せにつくし、心楽しく喜びて、人生を送るべし。
有難し、有難し。」
尚(べし)は命令にあらず、決意の語気なり。 河村禎二
とあります。
禎二さん、まだまだ健在で、古希のご挨拶も「今年でたったの80歳・・」とおっしゃった方で、さすが超前向きな方です。
各大名がおかかえの能楽師を養っていたという、武家社会の精神的バックボーンになっていた「能」です。
「能」といえば白州正子さんを思い出します。
吉田茂の弟子だった白州次郎さんがご主人で、戦後・マッカーサーと対等に交渉した唯一の外交官として評価されています。「従順ならざる唯一の日本人」と言わせました。
白州次郎さんの正子さんにケンブリッジから出したラブレターがすごいです。
「MASA YOU ARE THE FOUNTAIN OF MY INSPIRATION AND THE CLIMAX OF MY IDEA.」なかなかこうは書けませんね。
司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」は吉田松陰を描き切って、味わい深い作品ですが、この中にも「能」に関するくだりがあります。「人間など観じ来れば、一曲の舞にもひとしい。生あるもののなかで滅せぬもののあるべきか。・・・これほど愉快な文句があるものか。男子とうまれてその生涯を舞台に大事をなそうとする者、これほどの覚悟がなくてはかなわぬものだ。生死をわすれ、我執を去り、悪縁を切りすて、ただひたすらに生涯の大事をおこなうのみだ。」309ページ。
吉田松蔭、割腹直前の場面で語られます。
能は楽しめて、奥深そうです。