神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

戯言

2013年11月02日 | その他

以前にも戯言というタイトルで記事を書いたことがあるけれど、最近は写真を撮りに行っていないので、再びどうでもいいような内容を。


最近読んだマンガ

「よつばと!」 
なんというか、独り身の私でも父性愛に目覚めます。
同時に、童心に返ります。
蝉を捕ったり、ドングリを拾ったり、あるいは、我侭し放題だった自身の子供時代を思って、周りの人たちの優しさを想います。 

「ぎんぎつね」
稲荷神社が舞台のマンガ。
主人公が私のお友達と同じ名前の「まこと」ちゃんです。
こんな風に、神社と、それに関わる人々と接することが出来たらいいなぁ、なんて思います。

「のんのんびより」
田舎が舞台のマンガです。
アニメ化もされています。
アニメの方が田舎の風景描写が美しくて、ちょっと涙ぐむくらいの憧憬を抱きます。
でも、やっぱり原作のマンガの方が好きかなぁ。
にゃんぱすー。

「絶園のテンペスト」
中二病的ではありますが、主人公が愛する人を想う気持ちに共感します。
愛する人を喪いたくはないけれど、 失ったことなら何度かあります。
いや、喪ったこともありますね。
反省や悔恨の積み重ねですけど、無償のそれを抱ける日は訪れるのでしょうか。


自然災害

今年は台風の多い年でした。
以前、コメント欄に書いたことがあると思いますが、台風が来るとワクワクする、という知人がいたりします。 
警報が出れば学校が休みになるから嬉しい、という子供の気持ちは理解しますけど、大人になってもそういった感覚でいる人は理解できません。
年をとればとるほど、地震も台風も雷も怖くなります。
台風が日本列島に向ってくる度に、どうか逸れてください、と祈ります。
日本列島に限らず、フィリピンや台湾であっても、それは同じです。
毎年のように台風による犠牲者が出るから慣れっこになっている人がいるのでしょうか?
違います。
そういった人は、想像力が足りないのでしょう。
自分にとって、身近な人、大切な人が犠牲になることに。 
台風が来る度に、どこかで誰かが犠牲になることに想いを寄せてください。


最近、知り合った人

深夜に、突然、若い女性に声をかけられた。
たぶん、近所に住んでいる人で、何度か顔を見た覚えがある。
「変なお願いしていいですか?」
「え、何でしょう?」
「何か変な人がいるんで、送ってもらえませんか?」
え? え?
何だか私の情報処理能力を超えている。 
彼女の足許には二匹の小さな犬。
私に向かって吠え立てるので、困っていると、
「撫でてやってくれますか? そうしたら吠えなくなるんで」
・・・・・・。
おお!
確かに撫でると吠えなくなった。
なかなかやるな! と思ったけれど、昔、私が飼っていた犬ほどではない。
だってあの子は、怪しい、と思う人以外に、吠えることは無かったから。
あれ?
それって、私が怪しいと思われている可能性も・・・、って、声をかけてきたのは彼女のほうですよ?
それはともかく、 並んで歩く。
何でも、犬の散歩をしていると、サラリーマン風の男に声をかけられたらしい。
で、無視して歩くと、追いかけてきたらしい。
警戒しながら歩くが、それらしき怪しい人影は無い。
さすがに彼女の家の前まで行くのはどうかと思ったので、最寄の信号のところで、さよならをする。
以後、何度か顔を合わせて、挨拶をする関係になったけれど、まあ彼氏がいない筈はないな、と思える可愛らしい人でした。

前回、辻の四本杉に一緒に行った人とは友達のつもりだけれど、知り合ったのは比較的最近のことだ。
仕事の取引先の人で、週に一回は一時間以上、話し込んだりする。
彼は音楽をこよなく愛しているが、私とはその趣味が明らかに違う。
けれど決して偏狭ではなくて、私がよく聴くボカロに対してもある程度の理解を示してくれる。
私の撮る写真に対してもそれは同じだ。
ある時、私は「宗教はともかく、それなりの信仰心はあるんですけどね」と言ったことがある。
それに対して彼は、
「そらそうやわなぁ。そうでなきゃ、あんな写真は撮れんわなぁ」と言ってくれた。
私自身は、写真を撮るときに、あらゆる感情を排しているつもりだ。
けれど、 何故か嬉しかった。
私の写真に対して、何か感じてくれる人がいるのなら、それはかけがえのないものだと思う。


11月は紅葉の季節でもあります。
写真びよりなので、撮りに行けたらなぁ、と思っています。