京都府南丹市園部町黒田
紅葉の進捗具合が気になるので、ちょっと気軽にドライブに行くことにする。
こういう目的地も定めず気儘に走る場合、大抵は篠山市、南丹市、亀岡市の範囲だ。
篠山市から南丹市に入ったところで霧が出てきた。
一面が霧に覆われるという感じではなく、朝の光と濃淡のある霧が交錯するかのように陰影を描いて、刻一刻と風景が変化する。
写真に最も適していると思える状況でもあるが、べつに目的地があるわけでもなく、真剣に写真を撮るつもりもしていなかったので少し焦る。
この辺りでこのチャンスを活かすならどこがいいか?
最初に思い浮かんだのは摩気神社だが、つい一ヶ月ほど前に友人と訪れたばかりだし、出来ればもう少し風景の種類に幅のあるところがいい。
ということで次に思い浮かんだのが、六年前に訪れたことのある熊野神社だ。
あの参道と二の鳥居に霧が流れる光景は、かなりいいのではないか?
摩気神社への分岐を少し未練がましく見送りながら熊野神社に向かうことにした。
熊野神社前に着くと、あれ、霧は? という感じだった・・・。
遠目には霧に覆われているように見えた山裾なのだが、駐車場所から歩いてくる数分の間に晴れてしまったのだろうか?
それでも、六年ぶりに出逢う風景は心惹かれるものであったし、鳥居前の色付き始めたモミジと、奥へと続く参道の雰囲気を見れば、引き返す気にはなれない。
ブログ開設間もない頃にアップした、この神社の写真の出来の悪さを、ちょうどこの機会に払拭したいという気もしてくる。
記憶と違わぬようでありながら、どうして六年も再訪しなかったのだろうとも思えてくる風景。
途中、祠(愛宕山と刻まれた石灯籠があったから愛宕社だろう)があり、そこに記憶には無い電気柵があった。
グリップ部を握って外し、更にすぐ先にある鉄製の扉を開けて進むと、この自然石を積んだ石段が現れる。
動物による農作物の被害は深刻なのだろう。
参道沿いに植えられたモミジの苗木も、鹿による食害を防ぐためにネットで覆われている。
野生動物の被害には頭を悩ますところだが、こういった植栽が幾つか見られたのは嬉しいことだ。
地元の方が参道を美しくしようと思ってらっしゃるからだろうし、将来、この杉林の中でモミジが豊かに色付いている姿を想像すれば、心も豊かになる。
以前には無かった青い砂利も敷かれている。
ちょっと殺風景とも思える貧弱な杉林であり、無機質な感じのする荒い自然石の石段ではあるが、歩いていて楽しい。
振り返れば、ちゃんと潤いある光景もある。
石段を上りきり、緩やかにカーブを描く平坦な小道を進むと二の鳥居。
霧が残っていないのが残念だし、光線状態もイマイチでいい写真は撮れないが、この鳥居の風景はとても惹かれるものがある。
周囲の木が紅葉し、霧がかかり、右手から朝陽が差し込む、そんな瞬間に出逢えたら、と思う。
社殿に近づくにつれ、潤いが増してくる。
ちょっと変わった形状の拝殿の向こうには、狛犬と本殿覆屋も見えてくる。
以前にも書いたが、こういう「くぐる」建物は大好きだ。
それに、こういった建物を介して見る風景は、一幅の絵のようでもある。
お久しぶりです、という感じで本殿前。
お邪魔します、という感じで覆屋の中へ。
右手からの淡い光に描かれる陰影が美しかった。
本殿裏手にある木も、淡い光に表情豊か。
本殿前の木には、季節はずれの蝉の抜け殻が残っていた。
そういえば、夏にあれだけ賑やかな蝉の抜け殻は大量にある筈なのに、いったいどこへ消えるのだろう。
蟻などが食べるのだろうか? それとも、地面に落ちて土に返るのだうか?
手水への道は苔生している。
手水は山からの小さな流れを利用したものだが、以前とは違って四角く掘られて水を溜めるようになっていた。
まだ安定していないのか、水は少し濁ってしまっていたが、やがて苔生して清水を湛えるようになるだろう。
殆どの神社は何か手が加えられると残念な方向になってしまうのだが、ここはいい方向に向かっているようで嬉しい。
境内社の周りも苔が豊かだ。
霧がかかっていたわけではないけれど、薄曇のような光線状態だったところに陽が射してきた。
二の鳥居を見れば、寧ろ陽射しのせいで霧の名残が感じられる。
一番いい表情に出逢うために、何度か足を運ばねばと思う。
やや明るくなった参道を帰ることにする。
往きとは違って木漏れ日の道だ。
足許にはキノコが点在して秋の風景。
木の幹に引っ掛かった落ち葉も秋の風景。
往きには目立たなかった貧弱な公孫樹も、陽射しを浴びて豊かな黄葉を見せてくれる。
地面に落ちてしまった葉っぱにも、豊かな表情。
秋の撮影は、とても楽しかった。
撮影日時 131114 9時10分~10時20分
地形図
道路地図
駐車場 神社手前に観景寺とその駐車場もあって、神社と無関係とは思えないものの停めていいか判らない。
少し歩かねばならないが、府道に広くなっている場所がある。