兵庫県神戸市北区道場町塩田
地図を見て春日神社から最も近い場所にあると思われる神社が、直線距離にして春日神社の北北西1.7キロほどのところにある塩田八幡宮だ。
この神社は、固有名詞の記載が少ない国土地理院の地形図にもその名があるので、それなりの規模があることが窺える。
当然、ネットで検索すれば幾つかの記事がヒットするし、普段、私が行くような神社とは趣が違うであろうけれど、この日に歩くルートは事前にほぼ決めているので、まずはその塩田八幡宮に向かう。
徒歩での神社巡り、ということで、道中に気軽に撮ったスマホでの写真も小さいサイズで載せておこうと思う。
神社だけでなく、周辺の雰囲気も伝わると思うし、いちいち三脚を立ててカメラを構えるのもどうかという場所でもスマホなら気兼ねなく撮れる。
ここは春日神社を出てすぐのところ。
水入れの始まった田圃と、春の草花。
新名神高速道路の工事現場が近くにあるので、ダンプカーの往来が激しい。
それを避けて、途中から車の通れない武庫川支流の堤防を歩く。
特に惹かれる風景も無く、川の水も汚れているが、のんびり散歩が出来る道だ。
曖昧な空模様で、こういう風景を撮るには相応しくないけれど、神社を撮るにはちょうどいいくらいだと思う。
やがて塩田八幡宮の一の鳥居が見えてくる。
無数に建っている構造物は何なのだろう? 鳥居より手前には無いほうがいいと思うのだが。
二の鳥居までは200メートルほど。
背後に背負う緑は、なかなか豊かである。
見上げれば、緑に溶け込むように三の鳥居がひっそりと立っている。
明るすぎる神社かと思っていたが、この辺りはいい雰囲気。
階段ではシロテンハナムグリを見つけた。
久しぶりに見たので何だか嬉しい。
とはいえ、最近はカナブンが減ってシロテンハナムグリが増えているのだとか。
三の鳥居。
長い階段を上り切って、やっと拝殿が見えてくる。
やはり、豪華というか派手というか、普段、私が行くような神社とは違って、ちょっと落ち着けない空気。
ここより高く上がると真正面に御神鏡が見えるので、以後、正面からの撮影は控えることにする。
朱と白、黒の取り合わせは美しいとは思う。
本殿は少ししか見えない。
社殿は鮮やかで、鈴緒も何もかも綺麗だ。
駐車場は広いし、トイレも神社としては異例の清潔さなのだが、御神木の注連縄が粗末なのが気になる。
左手には授与所などもあって、恐らくは常駐であろう神職の方もいらっしゃった。
神社への造詣ある人なら、ここで神職の方とお話して更に知識を深めるところなのだろうが、私はただ神社の雰囲気と空気を味わいたいだけなので、神職の方がいらっしゃると寧ろ気後れして写真が撮りにくくなってしまう。
境内社も沢山あったが、早々に退散。
次の神社を目指すことにする。
撮影日時 150522 9時40分~10時(時間は神社のみで道中は含まない)
地図
兵庫県神戸市北区道場町生野
ご無沙汰しております。
約一年ぶりに撮影に行ってきました。
更新を待っていてくださった方には、お詫びと感謝を申し上げます。
この一年、家の近所以外は全く出歩いていなかったので、ちょっと足慣らし的な感じで、電車で手軽に行ける場所を選んでみた。
というか、電車で撮影に行くのは、15年以上ぶりだったりする。
この春日神社は、神戸市北区とはいいながら、まだまだ田畑や里山のような風景が残る場所。
二十歳前後の頃には、道場町の周辺は植物探しで歩き回った地域で、その慣れ親しんだ風景は、そんなに大きく変わってはいないようで安心した。
尤も、二年ほど前にアップした「参拝記?」という記事を書いたときに、この春日神社に立ち寄っているのだが、そのときはあまりに光線状態が悪くて、撮影しなかった場所でもある。
今回は、まあ悪くはないかな、という光が得られる天気だったが、実のところ、最近は休みの度に行こうとしていたのに雨だったり晴れすぎだったりして、やっとのことで訪れることが出来た。
本当に久しぶりに道場駅に下車。
記憶は定かでは無いものの、駅は小綺麗になっているような気がする。
無人駅ではあるが、寂れた雰囲気は無く、大阪方面へ通勤する人がちらほら駅へとやってくる。
私はそういった人とは逆に進む。
民家や工場のある道も、武庫川の橋を渡れば田畑の広がる長閑な風景になる。
春日神社の杜は、もうここから見えているけれど、木々に覆われて鳥居は見えない。
駅から約10分。
明るい田畑から深い木々に潜り込むように進むと鳥居が現れる。
ここ数ヶ月、随分と地図ばかり眺めていたが、意外と駅の近くに良さそうな神社が多いということに気付いた。
ここも、そんな神社の一つだろう。
家を出てからちょうど一時間でこの風景に出逢えた。
参道の長さは大したことは無いものの、とても奥行きを感じさせる深さがある。
ただ、実際に見るよりも、写真に撮ると雑然として見えるような気がする。
竹林を撮るといつもこういった印象になるので、竹林というものは、よほど手入れされていないと荒れた雰囲気に写ってしまうようだ。
振り返ると、「内と外」という感じで、神社の杜に抱かれているような感覚を覚える。
石段と木々の向こうに、拝殿が見えてきた。
ここから振り返った参道は、とてもいい雰囲気。
拝殿の手前の緑が、誘うように鮮やか。
緑は、モミジの青葉で、参道に比べると少し味気ない社殿周りを彩っている。
どんな表情の狛犬であっても、幸せそうに見えただろう。
社殿周りは味気ないと書いたが、薄日の描く木漏れ日が、味わい深いものにしてくれる。
この一年の間に身体に溜まった都会の粉塵が洗い流されるような気がする。
拝殿。
本殿には近づけない。
反対側から撮れば、本殿の全体像が窺えるのだが、そちらは光線状態が悪かったので割愛。
拝殿を横から。
往きよりも明るくなった参道を戻る。
勿論、たった一社だけで帰るつもりはないので、次の目的地に向かって歩き出す。
撮影日時 150522 7時50分~9時
地図
兵庫県篠山市福住
前回、紅葉の進捗状況を見に行ったのに、いつしか紅葉のピークは過ぎてしまい、というか、怠惰に過ごしていただけなのだが、とにかく紅葉を心ゆくまで満喫することなく冬の寒さを迎えてしまった・・・。
とりあえず、熊野神社に行った日に、他に三ヶ所ほど訪ねた写真が残っているので掲載していこう思う。
丸山稲荷神社は、私が神社巡りでもしようかなぁ、と思い始めた頃に訪れた神社だ。
今から7年ほど前のことになるのだが、この辺りは普段から車でよく通る地域で、その鳥居を度々目にしていた。
周囲から30メートルほど高くなった小山の上にあって、遠目からでも「神社がありそうだなぁ」と思える風景でもあった。
初めて訪れたときは深い霧に包まれており、朱の鳥居と社殿前の黄葉が印象に残ったが、今回は晴れ渡っていて風景としては詰まらなそうだ。
たぶん、ブログに載せることは無いだろうなぁと思いつつ、久しぶりに参拝することにした。
ここは遠目に小山全体が入るように撮ったほうが、のどかでいい風景だと思う。
そのくせ私は、車の中から手持ち撮影という不精なことをした。
いや、農作業の人が訝しげにこちらを見ていたので、三脚立てて本格的に撮るのは気後れがして・・・。
直線で急な石段が尽きるところに二の鳥居があって、そこから更にジグザグに上っていくと三の鳥居が見えてくる。
坂道を上りきった先は、下から見た小山の印象に比して広い。
初めて訪れたときと同じように、この小空間を黄葉が彩っていて嬉しくなる。
ただ、コントラストが強いので、写真としてはゴチャゴチャとうるさい感じになってしまう。
いくつものベンチがあって、憩える空間になっている。
参道が急坂なので、ちょっとお年寄りには厳しいけれど、柔らかい空気に満ちている。
緑から黄色、橙色へのグラデーションが陽光を透かして綺麗だ。
覆屋の隣は「丸山亭」と書かれた休憩所だ。
人と神様の距離感がいいなぁと思う。
なんとなく、美しいと思えたので。
覆屋の背後には祠。
そういえば、ここは竹林だったな、と思い出す。
ここの竹林は荒れておらず、なかなかいい表情を見せてくれる。
柔らかな陽射しが降り注いで気持ちがいい。
掲載しようか迷ったが、この竹林とベンチのある空間は、心が安らぐものがあった。
撮影日時 131114 11時20分~11時50分
地形図
道路地図
駐車場 神社前駐車可
兵庫県美方郡香美町小代区秋岡
今回の但馬行きでは新温泉町の神社に6社訪れ4社掲載した。
最初の久谷八幡神社が一番の目的で、それ以外は流動的な計画ではあったけれど、今回掲載する香美町の小代神社は可能な限り寄ろうと思っていた。
この小代神社を知ったのも随分と前のことで、巨木を紹介するサイトであったと思う。
ここも久谷八幡神社と同じく、神社紹介サイトよりも巨木紹介サイトで取り上げられることが多いようだ。
五十鈴神社を後にして香美町に向かう。
素直に国道を使えばいいのに、つい山越えの道を使ったりしたのでえらく時間を食ってしまう。
現地近くでgoogleの地図を見ると、小代神社の名前が八代神社になっていることに気付く。
やっぱり国土地理院の地形図でないと信用できないな、と思うが、地形図に神社名が記載されているわけではない。
小代神社は山の上の方にあって、車道がそこまで通じている。
その分岐点と思しき場所には「秋岡稲荷」の看板が立っているのみで小代神社の名前は無い。
ちょっと不安になったので、散歩をされていた地元の方に、「小代神社はこの先ですか」と訊ねて確認を取る。
神社までの道は悪路を予想していたが、意外と走りやすい道で、難なく神社前に到着。
駐車場所は広場になっていて、そこから境内の方を見れば大木が聳える様子も窺えるのだが、思いのほか明るい。
鳥居付近も鬱蒼とした雰囲気は無い。
右手に何か建物があり、その傍にトチの大木がある。
なかなか見事なトチノキで、背後には杉の巨木もあって、やはり木々の豊かな場所であるようだ。
天気が良くなったせいもあるだろうが、木々は適度な間隔で立っているので、本殿周りも暗さは無い。
ただ、思っていたほどの巨木は無いし、奥深さのようなものにも物足りなさを感じる。
だが、思っていた以上に居心地はいい。
左手には池があって、モリアオガエルの卵塊がいくつか見られた。
写真にも何個か写っている。
拝殿と本殿覆屋。
本殿の左奥に鳥居が見える。
大木が林立していい雰囲気だ。
霧がかかった時などに見れば、とても幻想的だろう。
これが看板にあった「秋岡稲荷」の鳥居のようだ。
鳥居横の木が、とても良い表情をしている。
露出した根を覆う苔も見事。
杉の大木の間には、鮮やかな稲荷社。
塗り直されてから、それほど歳月を経ていないのだろう。
麓での看板が「秋岡稲荷」だったことからしても、地元の人からの崇敬が篤いことが窺える。
とある神社サイトでは、「朱の鳥居が並び」と書かれていたが、何故か鳥居は無く、鳥居の柱が立てられていた場所はドクダミの植木鉢のようになっていた。
稲荷社の前から杜の様子。
と、右下に何やら建物が見える。
少し草に覆われた石段を降りると、境内社らしき建物と鐘楼があった。
鐘楼に鐘は無い。
写真では判りにくいが、落書きのようなものが見えたので読んでみる。
字は滲んだりしているので読み間違いがあるかも知れないが、次のように書かれていた。
「大東亜戦争に出征した 梵鐘のめいふく お祈りします」
・・・恐らくは個人が書いたものであるから、落書きといえば落書きであるが、単なる落書きではない。
当時、あらゆる金属の供出が行われたことは知っている。
だが、「ただの金属」ばかり、というわけでは無かったのだろう。
改めて調べてみると、当時の金属類回収令によって、全国の鐘の九割以上が失われたという。
地元の人にとっては誇りや親しみのあるものだったに違いなく、鐘が擬人化された表現からも、そのことが窺える。
鐘楼の近くから本殿を見上げる。
何となくではあるけれど、ちょっと玉置神社を彷彿とさせるものがある。
山の上にあって大木が多い、鐘楼があって神仏混淆の名残が見られる、といったことがそう思わせるのだろう。
ここから参道のような道が続いている。
反対側を見れば通行止めになっているのだが、恐らくは車道ができるまでの旧参道なのだと思う。
旧参道らしき道は、ドクダミや苔に覆われつつある。
先に進んでみると、鳥居の手前に出た。
周辺の緑が美しかったので、その杜の風景を。
雪の多い地域であるからか、その分、緑は柔らかく豊かに思えた。
撮影日時 20130627 14時10分~15時30分
地形図
道路地図
駐車場 あり
兵庫県美方郡新温泉町用土
熊野神社の参拝を終え、当初の目的であった五十鈴神社に徒歩で向かう。
地形図には川沿いの堤防の道しか描かれていないが、田園の真ん中を進む未舗装の農道を進む。
というか、移動中はスマートフォンのグーグルマップを見て行動しているので、それにはこの道がちゃんと表示されているし気にならなかったが、どの地図よりも正確だと信頼している地形図が負けているのは困る。
更に、地形図では岸田川に架かる橋から神社まで一直線に繋がる道が記されていて、水田の真ん中に参道が続いている風景を想像させるのだが、実際にはこんな道は無く、これもグーグルマップが正しかった。
まあこれは地形図が間違っているというよりは、更新頻度が低いために道路の情報が古い、ということなのだろうが・・・。
田圃の向こうに鳥居が見えてくる。
鳥居へと一直線に続く道が無いのは残念だが、豊かな稲の緑の先に見る鳥居もいいものだ。
いったん鳥居の正面を通り過ぎて右折、更に突き当たりでまた右折する形で神社前へ。
熊野神社から7、8分といったところか。
神社の手前辺りから、一センチ前後の小さなカエルが無数に足許で逃げ惑う。
踏まないように歩くのに苦労する。
鳥居の手前に電気柵があるので、プラスチックのグリップ部分を掴んで外す。
鳥居の奥に本殿覆屋が見えているが、これまた一直線に向かう道はなく、右、左、左と曲がって進まねばならない。
鳥居と光を浴びる蕗と、ドクダミ、その他いろいろ。
もう雨が降ることもなく、陽射しが強くなってきた。
神社を外から見たときに、いちばん目立っていた木。
本殿覆屋。
本殿前から振り返る。
覆屋の扉は開けられるようになっていたので、本殿を見せてもらうことにする。
扁額には「礼川神明」と書かれているように見える。
ふと頭上からの気配を感じて視線を上げると、このお方と目がばっちり合ってしまった。
というか、知人のS君と顔がそっくりだったので微笑んでしまう。
神社の外に出れば、緑の色はもう夏の装いになっていた。
兵庫県美方郡新温泉町今岡
浜坂で日本海に注ぐ岸田川に沿って県道を南下していくと、用土というところで対岸に五十鈴神社がある。
立ち寄ってみようと思ったのだが、対岸に渡る橋が思いのほか狭そうなので、更に南下して金屋方面への道に入り、南側から神社に向かうことにする。
このルートだと途中に熊野神社があって、その前を通ることになるのだけど、集落のすぐそばにあるので特に興味を惹かれない。
まあ前を通るときに様子を見て、車が停められそうで雰囲気が良さそうなら立ち寄ろう、程度の軽い気持ちで殆ど意識していなかった。
左折して金屋方面への県道に入る。
岸田川を渡り、すぐにまた左折して熊谷川の橋を渡ると集落内の狭い道になる。
これがまた思いのほか狭い道で、果たして五十鈴神社まで行けるのか、どこかでUターンすべきでは、と頭の中で慌しく考えを巡らせていると、右手に熊野神社の鳥居が見えた。
参道横は民家があるものの、鳥居の奥に数本の杉の大木が連なっているのが見えた。
寄りたい! と思った。
だが道は狭く車を停めるスペースなど無いし、熊野神社を過ぎたところで道は未舗装の農道に変わっていたので、もう迷わずUターンすることにした。
県道に戻り、熊谷川の上流側に少し進んで道路の広くなっているところに駐車。
熊野神社まで徒歩4分ほどのところ。
再び、さっき車の中から見た風景を目にして胸が高鳴る。
前回の三柱神社から、この熊野神社に来るまでに、実は二社の神社に寄っているのだが、今に至るまで時おり小雨が降る天気が続いている。
ただ、運がいいのか悪いのか、神社に着く直前に雨が止み、車を降りて神社の杜に入る頃にまた降り出すということの繰り返しだ。
そしてどこの杜も、少しの雨なら遮ってくれるくらいの豊かさがあった。
鳥居をくぐれば、まずは三本の杉が連なって迎えてくれる。
外から見たときほど大きな木には見えないけれど、その奥にも樹種はよく判らないが大木があり、他にも比較的大きな杉が聳えていて狭い境内を包んでいる。
大木の外側は竹林で、暗さや圧迫感は無く、柔らかさを感じる空間になっている。
鳥居方向を振り返る。
本殿は石垣の上で覆屋の中だ。
本殿周りも杉の大木が聳えているが、やはり暗さは無い。
覆屋の壁には、啄木鳥が開けたと思われる穴が沢山ある。
狛犬は趣のあるものではないけれど、大木を背後に背負ってなかなか勇ましい。
本殿横の素朴な石の境内社。
雨も上がって薄日が射すようになってきた。
木々と竹の緑に包まれて、心ゆくまで安らげた。
ここは参道が深いとか、本殿が立派とか、目を見張る巨木があるとか、そういった特別な要素は何も無い。
境内は狭いから、写真だってそれほど撮るべきところも無い。
それでも、こういった神社に出逢いたくて山里を巡っているんだ、という気がした。
撮影日時 130627 10時40分~11時20分
地形図
道路地図
駐車場 本文中に記載した場所
兵庫県美方郡新温泉町赤崎
兵庫の北西の端まで来たものの、確実に行こうと決めていたのは前回の久谷八幡神社だけで、その後のことは、はっきりとは決めていない。
半日くらい割いて日本海を撮りたいとも思っていたのだが、生憎の天気であるし、やはりどこか神社に行く方が良さそうだ。
事前に地形図を見て、ある程度は気になる神社を絞っていたので、その中から、取り敢えずは久谷八幡神社に最も近い、赤崎の神社に向かうことにする。
久谷から北西に僅か2キロほどのところである。
尤も、気になる神社とはいっても、地形図や、その他の地図情報だけの判断なので、具体的にどんな場所なのかは全く判らない。
地形図を見ると、赤崎には神社記号が一つあって、神社名は記載されていない。
YahooやGoogleの地図を見ると、地形図とは違う位置に八柱神社の名前が見える。
どうやら赤崎には二つの神社があるようで、私は地形図に記載されている方の神社に惹かれた。
ところがこの神社、地図に名前が無いだけでなく、現地でも神社名が書かれたものが見当たらなかった。
帰ってから神社検索サイトで調べると、住所が赤崎になっている神社は八柱神社と三柱神社の二社。
ということで、三柱神社として掲載。
赤崎からは、峠のトンネルを抜ければすぐ日本海なので、一応見ておく。
やはりどんよりとした空で、雨も降ったり止んだりなので海の撮影は諦めて引き返す。
神社入り口は、ちょうど集落の民家が途切れた辺りにある。
小雨が降っているが、傘を差すほどでもない。
石段の先は広場になっているらしく、建物も見えてくる。
本殿覆屋かと思い、少し落胆する。
かなり粗末な建物だし、空間構成にも惹かれない。
と思いきや、参道は右に折れ、広場の奥へと続いていた。
杉林を背景に、少し高みにある建物が本当の本殿覆屋で、今度は少し嬉しくなった。
参道を振り返る。
さして深い木々というわけではないけれど、よく神社で見かける手入れのされていない貧弱な杉林とは違って、奥行きと広がりがある。
それに、この少しずつ上っていく石段、しかも直線でなく曲がりながら、というのが好きだったりする。
趣のある石段の先には、出雲構えの狛犬。
本殿右側にある境内社。
こんな風に、目障りなものが一切画面に入らずに一対の狛犬が撮れる場所は意外と少ない。
本殿覆屋。
木々が遮ってくれる程度の雨なら、神社の風景は潤いを増して、寧ろ心地いいくらいだ。
殆ど杉林ばかりの空間だが、本殿向かい側の斜面に少しだけ、照葉樹らしき木々が残っていた。
左にある大木はスダジイだろうか。
ほんの小さな範囲なのに、ちゃんと杜の気配を湛えていた。
撮影日時 20130627 7時40分~8時30分
地形図
道路地図
駐車場 神社入り口から峠側に50メートルほど進むと少し道が広くなっている。
兵庫県美方郡新温泉町久谷
もう何年も前に、地形図でこの神社が気になったことがある。
北向きの谷間にあるので、苔生して鬱蒼としているのではないかと考えたのだ。
ただ、山陰本線の久谷駅のすぐ近くだし、目の前には国道が走っている。そんなに期待できる環境でもないかと、ちゃんと調べることもなく、いつの間にか忘れてしまっていた。
それに、新温泉町といえば兵庫県の北西の端っこである。
同じ兵庫県に住んでいるとはいえ、南東に住む私からすれば若狭の方が近いという位置になるので、まあいつか機会があれば、というくらいの気持ちだった。
二ヶ月ほど前、巨木関連のサイトを見ていて偶然に久谷八幡神社の記事を見かけた。
この神社にあるスダジイの大木が紹介されていたのだが、それよりも神社の参道の写真に目を奪われた。
苔がびっしりと参道を覆って、まさに緑の絨毯なのである。
これほどまで見事に、苔が道を覆うものか? と目を疑うほどだった。
もう、すぐにでも行きたくなったけれど、ぐっと堪えた。
ここは勢いだけで訪ねるべきではない、苔が最高の状態の時を見計らうべきだ。
だとすれば、6月下旬から7月上旬が最適だろうか。
ということで、梅雨のさなかに行くことにした。
行きたいと思いつつも、いざ行く日になると出掛けるのが面倒になるという性質が私にはある。
天気もイマイチだし、仕事も休みを取ったけど家でダラダラ過ごすか、なんて考えに傾きつつあったけれど、どうにかこうにかモチベーションを上げて深夜に出発。
但馬方面に出掛けるときはいつもそうなのだが、何故か福知山から養父の間で憂鬱になる。
時おり雨も降ってくるし、引き返すか、なんて考えに傾きそうになるが、素晴らしい苔を無理やり頭に思い描いて、半ば惰性で先へ進む。
予定より遅れて5時に神社前に到着。
鳥居から暫くは国道に沿った参道で、特にどうということはない。
民家も近いし、通勤時間帯になれば結構な数の車が行き交う。
久谷駅からは構内アナウンスも聞こえてくる。
とてもそんな奥深い場所には思えない環境で、果たして期待するほどの光景があるのだろうか、なんて思いながら、参道をほぼ直角に右に曲がる。
一瞬、え? という感じで思考が止まる。
風景が、緑という色の濃淡だけで形成されているのではないか、と思うほどの緑。
もちろん、木の幹や枯葉などの茶色はあるし、ドクダミやヤマアジサイの花も咲いていたけれど、これほど緑が優勢な空間は珍しい。
踏むのが躊躇われる苔の絨毯だが、全面が苔に覆われているから踏まざるを得ない。
ちょっと奇蹟みたいな風景だ。
息を呑む、或いは笑ってしまう、若しくは、陶然として思考停止、といった感じである。
振り返れば民家の屋根も見える。
それが不思議に思えてくる。
雨が降っているのだが、深い杜なので雨粒の殆どは木々が受け止めてくれる。
尤も、少々の雨など気にならないほど、目の前の風景に夢中になっている。
参道横ではウワバミソウが群生している。
通常は谷川の水際でよく見かける植物だから、よほど湿度や水気の多い環境なのだろう。
参道の苔生す区間は6、70メートルほど。
横を向いたり振り返ったり、とにかくあちこち写真に撮りまくる。
苔生す参道と比べれば、ちょっと味気ない階段。
階段を上ったところに手水舎と御輿堂がある。
御輿堂の横にはイヌシデの大木があって、イヌシデとしては県下最大らしい。
本殿方向を見れば、雨空の朝の淡い光に、モミジの緑が輝いている。
周囲が暗いので、まるで葉っぱ自体が緑の光を放っているかのような明るさを纏っている。
少しずつ、
少しずつ歩み寄る。
何だか久しぶりに美しい光に出逢った気がする。
雨の朝の光を、長らく忘れていた。
この光景の中、狛犬も誇らしげに見える。
御輿堂を振り返れば、雨に濡れて滴るような緑に包まれていた。
本殿覆屋は事前にネットで見た画像からは判らないほど大きなものだったが、中に入れば本殿の大きさにも驚く。
彫刻も見事で、あまりに立派な本殿にまた息を呑む。
実際には相当暗いのでオートフォーカスが使えず、マニュアルでのピント合わせ。
絶対に失敗したくないので、カメラの背面液晶で撮った画像を拡大表示してピンボケしていないか何度も確かめた。
本殿右横にはスダジイの大木がある。
右の幹は空洞化、というより、もはや崩壊している状態だが、まだ葉は付けている。
朽ちてもなお生きながらえている古木の姿は、異形でありながらも威厳と美しさを湛えている。
推定樹齢は500年。
息を殺して、耳を澄ませて、その言葉を聞きたい。
雨が時に強くなるので、本殿や境内社で何度か雨宿りする。
境内社で雨宿りしている時に、下の方から何やら賑やかな声が聞こえてきた。
やがて参拝に来られた三人のおばさんが見えてくる。
地元の方らしく、恐らくは毎朝の日課なのだろう、とても息の合った参拝。
少し話をさせて頂いたが、この神社をとても誇りに思われている様子が窺えた。
雨に閉じ込められたりしつつも、雨っていいなぁという気持ちになれる。
その雨のお陰で羊歯も瑞々しい。
ヤマアジサイもドクダミの花も、この季節に咲くべくして咲いたように雨が似合う。
さて、帰り道、少し明るくなった苔の参道を、思う存分、味わおうと思う。
出口が近づいてきた。
前方に見えている場所には地蔵菩薩が置かれていて、ちゃんと狛犬もいる。
鳥居までの間には招魂碑もあって、餘部橋梁や桃観トンネルといった、付近の山陰本線の工事の際に犠牲になった二十七名の方の名前が記されている。
その餘部橋梁も新しいものに架け替えられ、往時の姿は見られない。
この神社はいつまでもこのままであってほしいと思う。
撮影日時 20130627 5時~7時20分
地形図
道路地図
駐車場 神社前駐車可
兵庫県篠山市川北
ここは以前に「雑多な写真」で、一、二枚の写真を掲載していたと思うが、今回はちゃんと一つの記事にしようと再訪することにした。
田圃の真ん中にある小さな神社で、神社としては典型的な風景だと思うのだが、私は今まであまりそういった写真を撮っていなかったから撮りなおしたいと思っていた。
とはいえ、そういった風景の良さは出せず、掲載しようか悩んだ。
しかもディスプレイの色補正をいじったりしていたら、どの程度の色合いが一般的であるのか、正しい色とは何なのかワケが判らなくなってしまい、どうも微妙に以前と違う色合いで落ち着いてしまった。
そのせいで、写真の選定をするにも「果たしてこの色合いの写真でいいのか」という疑問を抱きつつ、納得のいかないままだったりする。
明らかにおかしいようでしたらお教えください。
夜中に家を出て、南丹市のとある場所に立ち寄って蛍を見る。
ここへは毎年訪れるのだが、今年は例年以上に蛍が多い。
雨量が多い年は羽化前に流されたりするものもいるのか、少雨の年の方が発生数は多いようである。
そこから30分ほどで春日神社前へ。
日の出前、鎮守の杜は真っ暗だ。
東向きの神社だったら鳥居もはっきり写って良かったのだけど、まあ空の色が綺麗だから良しとしよう。
これもまだ日の出前だが、少しの時間で空の明るさが増し、空の青さは飛んでしまった。
ここは午後に来た方がいいかも知れない。
鎮守の杜は東西に長いので、鳥居のある西側から見るとやや貧弱だが、鳥居の先を見ればトンネルのように奥行きがあって心惹かれる。
杜の横には水田が広がって、何となく心が豊かになる風景だ。
参道はまだかなり暗く、写真は実際よりかなり明るく撮っている。
周囲が伸びやかな風景だけに、ちょっと異空間に入るような感覚になる。
鳥居を振り返る。
すっきりとした印象の本殿。
左奥が鳥居方向。
参道から直角の位置に本殿がある。
すっきりした印象であるが、装飾もしっかり施されていて端正なものだ。
杜の外が何となく賑やかな気配になる。
太陽が顔を出したようだ。
鳥居は太陽とは逆方向にあるのに、杜の中が暗いので眩いばかりに輝いて見える。
本殿付近も直射光が入りだした。
本殿背後にある境内社も、朝の金色の光に包まれていた。
蛍の光の美しさは写真では出せないと思って、今まで撮らずにいたけれど、ついでにちょっと撮ってみた。
画質があまりに悪いので小さめの写真で載せておきます。
撮影日時 20130614 4時20分~5時10分
地形図
道路地図
駐車場 神社の東側の道路に二箇所、広くなっているところがある
兵庫県丹波市氷上町沼
今回もまた八柱神社だけれど、べつに八柱神社に拘っているわけではなく、たまたまこの地域で行きたかった神社に八柱神社が多かっただけである。
私が行きたい神社を決めるときの基準は、参道が長そうであること、杜が深そうであること、苔が豊かそうであること、などなどで、氷上の八柱神社は苔に、前回の西芦田と今回の八柱神社は参道の長さに誘われたようなものだ。
集落の北の外れ、道が少しだけ広くなった場所に車を止めて神社まで歩く。
鳥居横の民家では庭弄りをされているおじさんがいたので、何となく気が引けて鳥居の写真は撮らずに参道に入る。
参道は200メートルほどあるのだが、途中に作業小屋のようなものがあって、それより手前からでは写真にしにくい。
コンクリートの側溝も少し目障りではあるけれど、杉木立の先に見える建物には惹かれる。
こういう建物、いつも何と呼ぶべきか迷う。
神門、なのだろうか? 反対側に回れば舞台のようでもあるし・・・。
まあ多目的な建物であろうから、呼び方はともかく、こういう「くぐる」建物が好きである。
鳥居もそうだけれど、結界感というか、ちょっと違う世界に足を踏み入れるような感覚になれる。
向こう側を少しだけ見せられることで、より向こう側を焦がれてしまうような。
振り返ればこんな感じ。
大木といえるような木は無いが、なかなか落ち着いた杉林。
ちょっとドキドキします(笑)
日陰に入ると同時に、ふっ、と心も静かになる。
ただ何となく撮りたくなって・・・。
こちら側に回れば、建物の用途は物置状態なのだが、何やら色々な物が置かれていて見ていて楽しい。
これは本殿の覆屋なのだろうが、こういう立派なものだと写真にもしやすい。
ただ、本殿の様子は全く判らないけれど。
帰りに「くぐる」ときには、「戻る」という感覚になる。
更に、暗がりから出て明るい鳥居をくぐれば俗世間で、仕事やら人間関係やら、日々ストレスと煩わしいことだらけ・・・。
とはいえ、先日、かつての仕事の後輩と話していると、「俺はいい先輩に恵まれてました」なんて殊勝なことを言ってきた。
話も合ったし、仕事とは何かを教えてもらえた、みたいなことを言ってくれたので、人間関係は大変だけれど、人間関係っていいなぁ、とも思う。
まあ彼は酔っていたので、どこまで真剣に言っているのか判りませんけど・・・。