印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

どうやって讒言という言葉を知ったのか

2014-01-05 12:48:56 | 日記
どうやって讒言という言葉を知ったのか
気になってきた。
昨日無法者を読み返しているときに見つけた言葉
記憶のかけらがみつからない。あと一歩
 
じっと考えていて、辞書の履歴だー
そう気がついて履歴をみる。履歴にのってない。
 
それでは寝る前の出来事。では二階の辞書の履歴だ。
二階に調べに行くに行く。
 
昨日無法者どうなっているのを書いているとき、突き刺す言葉を吐いている。と書いていて、カ行は書きて→書いて 吐きて→吐いてなどと、中国人に教えているときを思い出していて、はて吐くとは、何段活用カナ、と広辞苑をみていると、
この讒言を新たに知ったわけである。

因みにこれはイ音便だとおもいあたった。


身近にある讒言(ざんげん)

2014-01-05 12:26:54 | 日記
讒言=事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと。
 
こういう目にあった人間は少なからずいる。案外そういう貴方もそのひとりだったりして。
 
自分のライバルや目の上のこぶを疎んじる汚いやり方で、それでも真に受けたり信じたりする上司もいれば、讒言かと疑う上司もいたりと、どちらが有能かはいうまでもない。
 
友人の好きな話を抜き書きしたのが懐かしい。
それは天保10年(1839年)の泉州岸和田藩のはなし
 
讒言したのは田代新三郎
讒言されたのは須藤英之介
上司は家老今堀八郎左衛門
 
「今堀は公儀に洩れる怖れありと公の取り調べはせず、田代に口止めを言い渡し、独自で内密調査をする。まずは須藤を呼び、訴状の一項一項を読み聞かせて問う。「如何か、この件実証か」。須藤は、「5日に一度木曾屋丹右衛門宅に集い、蘭学を学び意見交換しているのは事実であります」と即座に認めたが、密交易や密出国については、「根も葉もなき捏造事、一体誰がそのようなでたらめをご家老に提訴いたしましたのやら」と聞き返した。」
 
それで田代新三郎は当然の如く昇進した。
須藤英之介は当然の如く主従関係を解かれた。
それでなお罪になったひとも出てきた。財産没収された。貧困のどん底になってしまった人もいた。