印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

無法者どうなってるの

2014-01-04 15:07:27 | 日記

侍が市民を切ったりするのは日常的?

しかしその場面は無くて済んだ。

毎回遊郭の女郎が現れて、いなす。

大勢の市民が現れる

「この状態では切るに切れないな」

無法者は姿を消す。

こういう状態今も理解できる。

少人数の時は突き刺す言葉を吐いている。同僚を讒言している。

他人が集まっている場所では、そういうことはしない。

さて不思議です。どの時代、世界にもありうるのですね。対処法の学習になります。いいいみでも悪い意味でも盗み取るのがいいみたい。 

しかしそのごの時代、うなぎ屋が繁盛しての屋台から店を出したとき、下総に転勤になったこの方たち、開店の御祝いにウナギの蒲焼きようのたれの壺を持ってきていた。

「使ってくれるかい」

それはずっと現代にも受け継がれているようだ。関東大震災にも、東京大空襲にも持って逃げたと言っていた。

いまでもいいウナギの蒲焼き出しているのでしょうね。


歴史の修正

2014-01-04 14:32:57 | 日記

現実の街並みはしゅうせいできないけれど。

タイムスクープハンター社は修復していく。

一昨日夜NHKで要潤さん主演であった。要潤さんはこの役をライフワークとしていくと去年何かで読んだことがある。

今朝又再放送があった。

ウナギの蒲焼き。緊急守れ秘伝の味

場所は江戸の街本郷 1777年 安永6年 正月

かねやすあたりであろうか。

かねやすまでは江戸の内といって本郷までは江戸の賑わいをはせていた。

「あんちゃん久しぶりだな~」

その6年前に大阪からここにきて、青空露天の屋台の店を出した人に、難題が起きる。

そして大正11年にとぶウナギの蒲焼きの仕込みをしている。中打ち3年割8年焼き一生

本郷なら学生が多い。東大があるから。。

その蒲焼きを息子に譲る瞬間に要潤はたちあう。こうして柳本うなぎやの歴史が誕生したのです。ごちそうさん。

その前に大正時代にタイムスクープしたときは、うなぎ屋はなく、たちの悪いカフェーになっていた。これでは悲劇的な結末を迎えていた。これではね。

歴史の修正お疲れ様でした。

今回初めて歴史の修正まで膨らませて、描いていた。

もしかしてこういう世界もありですね。数多の事件が六本木あたりで、他人を間違って、射撃して~なんて事件有りましたね。去年あたり裁判ありましたね。

表舞台でなく庶民レベルの生活に出会うのが楽しみです。このタイムスクープハンターは。毎回画面に釘づけです。


光と影をアンニュイな表現でというそれは何故

2014-01-04 14:11:53 | 日記

音楽が芽吹き始める。街が磨きをかけてくる。

中世バッハがクラシックの基礎をつくる。そしてベートーベンが花開かせた。

友人は毎年第9を唄っている。昨年の夏にはオーストリアまでいって、歌っている。市民の合唱団

オーストリアではそこの市民の人々が気軽に参加している合唱団があって、そこで歌っていて、一緒に歌ったという。

そしてドヴォルザーク、大好きなグリーク きれいな音楽 ヨーロッパからアメリカへと活躍したそうだ。

プロではないのでよくわからないけれど、これらの音楽がダッセーと思った人々がいて、新しく印象派が生まれていく。それまではロマン派という。

ドビュッシー(フランス人)がアンニュイな感覚として、人の感情を表現したという。

ドミソドの和音とミソシレの4つのEm とか m7とか友人がウクレレで言いながら、ひいているけれど。


街の歴史

2014-01-04 13:47:32 | 日記

注連飾りのない街並みができていた。綺麗な瀟洒な建物。

まだ道ができたばかりで、そして建物ができている。

初詣の人が取りすがりに言っている言葉が聞こえる。

「こっちにいってみようか」

迷い道はできていて、まだ通行人には認識がない。

歴史が替わる。

当局はtouchできない。

browserだけの問題と片付けないで欲しい。

いくつもの季節を潜り抜け味わい深い街となる。

街の建物

はじめに町ができる。先日ハイキングで行った能岳八重山へいくときにバスに乗った。窓に映し出された街並み。

そして鹿島の海辺にできた、何もない時にできた街並み。

街→建物ができる→絵ができる→音楽ができる