社会学に対するフーコーの影響は多大なものがあります。しかし、私は、彼の作品は、歴史や社会学のそれとしてではなく、やはり哲学の仕事であり、そうしたものとして読むべきだと考えています。
というのも、彼は『狂気の歴史?古典主義時代における
』の冒頭で、「阿呆船」を扱っています。この阿呆船、ルネッサンス(14-16世紀)のラインラント地方の運河で、「狂人」を「積み荷」としていたと、フーコーは言います。つまり、街に流入した「狂人達」を街の外に追放するための船だったというわけです。ここに彼は、狂人を正常人と区別し、それを社会から排除するシステムの端緒を見るわけです。
がしかし、この「阿呆船」、どうやら実際に存在したかどうかは怪しいものなようです。少なくとも、これに関するフーコーの主張の文献的根拠には、問題があるようです。
というのも、ウィニフレッド=バーバラ・メイハーとブレンダン・メイハーは、「阿呆船」の存在に疑問を抱き、フーコーにその文献的根拠の教示を依頼したのだが、フーコーはその返答で、スウェーデンのウプラサの図書館の資料を用いたため、パリではその資料が何でえ合ったかわからないと答えたと言います。そこで彼らはウプラサの図書館で調査をしてもらい、フーコーが依拠した二つの文献が判明しました。
一つは、セバンスチャン・ブラントの『阿呆船』(1494年)、そしてもう一つが、作家シンフォリアン・シャビエの伝記的な報告書(1859年)だったとのこと。このシャンピエは、ブラントに影響された作家で、結果的にフーコーの依拠した文献はブラントのそれのみだったことになります。そして、このブラントの著作は、歴史的に根拠のない創作だとされているようです(詳しくは、桜井哲夫『フーコー?知と権力
』講談社、現代思想の冒険者達26、p118)。
このように、フーコーの著作を、そのまま歴史そのものを扱った著作だと考えるのは少し無理があるようです。しかしながら、この「阿呆船」というテーマは、その当時の文学作品のテーマとしては実際に頻出するものであり、そうした言説レベル、あるいは文学的表象のレベルにおいて考察するのであれば、立派な対象たり得るわけです。
彼の叙述を鵜呑みにするのではなく、彼自身の言説実践の位相をしっかり見極めつつ、彼の叙述を追うという、多層的な読みがおそらく必要とされるのでしょう。
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狂気の歴史?古典主義時代における
というのも、彼は『狂気の歴史?古典主義時代における
がしかし、この「阿呆船」、どうやら実際に存在したかどうかは怪しいものなようです。少なくとも、これに関するフーコーの主張の文献的根拠には、問題があるようです。
というのも、ウィニフレッド=バーバラ・メイハーとブレンダン・メイハーは、「阿呆船」の存在に疑問を抱き、フーコーにその文献的根拠の教示を依頼したのだが、フーコーはその返答で、スウェーデンのウプラサの図書館の資料を用いたため、パリではその資料が何でえ合ったかわからないと答えたと言います。そこで彼らはウプラサの図書館で調査をしてもらい、フーコーが依拠した二つの文献が判明しました。
一つは、セバンスチャン・ブラントの『阿呆船』(1494年)、そしてもう一つが、作家シンフォリアン・シャビエの伝記的な報告書(1859年)だったとのこと。このシャンピエは、ブラントに影響された作家で、結果的にフーコーの依拠した文献はブラントのそれのみだったことになります。そして、このブラントの著作は、歴史的に根拠のない創作だとされているようです(詳しくは、桜井哲夫『フーコー?知と権力
このように、フーコーの著作を、そのまま歴史そのものを扱った著作だと考えるのは少し無理があるようです。しかしながら、この「阿呆船」というテーマは、その当時の文学作品のテーマとしては実際に頻出するものであり、そうした言説レベル、あるいは文学的表象のレベルにおいて考察するのであれば、立派な対象たり得るわけです。
彼の叙述を鵜呑みにするのではなく、彼自身の言説実践の位相をしっかり見極めつつ、彼の叙述を追うという、多層的な読みがおそらく必要とされるのでしょう。
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