犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

柳田邦男著 『壊れる日本人 再生編』 その1

2008-12-10 23:46:46 | 読書感想文
p.251~ 「日本語の豊かさ」より


人間の感情となると、水彩画の絵の具のにじみのように、輪郭はぼやけているし、濃淡もある。そういう濃淡やにじみの細やかなところが、人の心の動きや心模様を表現したり伝えたりするうえでとても大事で、日本の言葉は昔からそういうニュアンスの微妙な違いを多様に含むのを特徴にしてきた。

ちなみに、「かなし」という言葉を、『例解古語辞典』で引いてみる。古語では、「かなし」は(1)として「愛し」の漢字をあてて使われることのほうが多く、しかも「愛し」には2つの使いわけがある。①身にしみて、いとしい。かわいい。②身にしみて、おもしろい。すてきだ。
「かなし」の(2)は「悲し」で、2通りの意味がある。①かわいそうだ。②悲しい。 この辞典には、「かなし」の要説として、「じいんと胸にせまり、涙が出るほどに感じる情感をいう。(1)も(2)も、結局は同じところから出ている」と述べている。大事なポイントだ。「愛し」の気持ちがあるからこそ、「悲し」の感情も深くなるという、2つの「かなし」の根っこのつながりは、よくわかる。

では、現代の日本語における「かなしい」には、どのような意味が含まれているのか。『明鏡国語辞典』で引くと、まず漢字表記では「悲しい」と「哀しい」の2通りがあることが示され、次の2通りの意味で使われるとしている。①心がひどく痛んで泣きたくなるような思いがする。また、そのように思わせるさま。②情けなくて残念な思いだ。また、そのように思わせるさま。

現代語では、古語の「愛し」の意味が消えて、「悲しい」「哀しい」のほうだけになったわけだが、それでもニュアンスの違いは多様だ。辞典に示される言葉の意味は、標準的で一般的な意味であって、実際に使われる時には、文脈によってさらに微妙な意味のずれやニュアンスの違いが加えられて、ますます言葉が豊饒なものになっていく。『明鏡国語辞典』は、文脈の表現例や他の言葉による表現例などを示している。「かなしい」についても、その例の多さは、この言葉がいかに広い意味を持っているかを示している。<悲しみに打ちひしがれる・悲しみに打ちのめされる・悲しみが胸に迫る・悲しみが胸を衝く・悲しみが胸に突き刺さる・悲しみの底に突き落とされる・悲しみの淵に沈む・悲しみにふさがれる(閉ざされる)・悲しみに色を変える・悲しみに色を失う・悲しみに身(声)を震わせる・悲しみを湛える……>

日本語における往年の「かなし」あるいは現代の「かなしい」という一語を見るだけでも、日本語の言葉の膨らみの豊かさと、その背景にある感情のきめの細かさと豊かさがわかろうというものだ。


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悲しむ者と共に悲しみ、悲しみを共有するとはどのようなことか。それは、悲しみに打ちひしがれている人に対しては悲しみに打ちひしがれていることを理解し、悲しみが胸に迫っている人には悲しみが胸に迫っていることを理解することである。これはお互い様である。「悲しみに打ちひしがれる」ことと「悲しみが胸に迫る」ことの違いをわかろうとすることが、その「悲しみ」という言葉の意味を知ろうとすることそのものであり、他者の悲しみはわからないことがわかることによって他者の悲しみがわかるという確固としたわかりかたができる。実際のところ、「悲しみ」という言葉に対応する物質が先にあって、それを「悲しみ」という言葉で表現しているわけではない。「悲しみ」という言語そのものが悲しみである。

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