犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

京都家裁書記官 文書偽造事件

2008-12-09 23:31:36 | 実存・心理・宗教
廣田照彦書記官(35)による犯行動機の供述

私はもちろん、このような犯罪をするために裁判所に就職したわけではありません。現代社会において法律は必要不可欠であり、私はそのような重要な仕事に携わることに誇りを持っておりました。そして、私は事務官から書記官となり、社会正義の実現、国民に信頼される裁判所の実現に向けて大いなる希望を持っていました。ところが、数年たって段々と周りが見えてくるうちに、私は徐々に現実に絶望するようになりました。民事部は、消費者金融が金返せ、金返せと主張し、不動産屋が賃料払え、賃料払えと主張するだけの場所でした。刑事部は、遊ぶ金欲しさに強盗や引ったくりや振り込め詐欺をした犯人が、入れ替わり立ち替わりやってきては自分勝手な弁解を述べるだけの場所でした。家庭裁判所は、離婚事件では慰謝料を払えと叫び、相続事件ではもっと財産をくれと叫び、毎日のように人間の卑しい欲望が渦巻いて窒息しそうな場所でした。右を向いても左を向いても金、金、金、金でした。私は、就職した当時の初心を忘れないようにし、国民の権利を守るために真面目に仕事をすればするほど、なぜかどんどん心が虚しくなっていきました。

他方で、ここのところは不況が長引き、世論における公務員叩きは激しさを増していました。これに加えて、公的機関に対するクレーマーも目に見えて増えてきました。裁判所職員の給料は、裁判官だけは桁違いに高いですが、書記官や事務官の給料は民間企業の平均よりも低い状態です。それにもかかわらず、公務員というだけで、書記官は「給料泥棒」呼ばわりされることがよくありました。電話で何時間も苦情を言ってきたり、窓口に居座って帰らなかったり、挙句の果ては暴力を振るったり、近年ではそのような当事者が増えています。運悪くそのような当事者に遭ってしまった日には、私も心身ともにぐったりと疲れ果ててしまいました。のみならず、書記官の同僚の間で、そのようなクレーマーの押し付け合いが生じ、職場内の雰囲気もギスギスしてきました。しかも、裁判員制度の導入に伴う雑用が増大した時期も重なって、私は無力感に襲われるばかりでした。さらには、このような状況を真面目に考え、真剣に問題を解決しようとする人ほど、仕事への誇りや人生の目標を失って精神を病んでいきました。現に全国の裁判所で、メンタルな理由で休職する職員はどんどん増えています。そして、残された同僚はますます忙しくなり、また心を病むという悪循環にはまっています。

このような状況において、書記官としてのプライドを失った同僚の不祥事も増えてきました。それと並行して、不祥事を防止するための公務員倫理研修も増えてきました。法の番人である裁判所の一員として、国民に信頼される司法の担い手として、高い倫理観を持って毎日の仕事に臨まなければならないという立派な研修です。しかし、私も何回も参加させられましたが、実感として何かが心に響いたということは一度もありませんでした。裁判官には休日の雑用にまでこき使われ、弁護士からは国家権力の手先だとレッテル貼りされて名指しで批判文書を送りつけられ、毎日毎日神経をすり減らしてヘトヘトになっていた私にとっては、そのような机上の空論は偽善でしかなかったのでしょう。そして、私にはこのような悩みを相談できる人は誰もいませんでした。同僚の書記官は、心を病まないように、目の前の仕事を淡々と右から左に流し、しかもそのようなつまらない人生を送っていることに関して根本的な疑問を持っていないように見えたからです。たまに盛り上がると言えば、誰が係長になった、主任になったという人事の権力争いの話だけでした。私は、調書の上だけで何千万の金を動かしながら、安い給料で働かされている書記官の同僚の人生を軽蔑するようになりました。

預金を引き出すことに成功したときの高揚感は、紛れもなく私の生きがいでした。これは、同僚への優越感であると同時に、一介の公務員であった過去の自分自身への優越感であったのかも知れません。預金の引き出しに成功したときの達成感、満足感は、裁判官からの指示や公僕としての義務を上手く果たせたときのそれとは比較にならないものでした。私は、一度完全に失った人間らしい感情を取り戻し、生気に満ちていました。自分の力一つで多額の利益を得たときの充実感は、さらなる充実感を求めて自分自身を駆り立てました。もちろん、私は良心の呵責や規範意識を失ったわけではありません。良心の呵責や規範意識があったからこそ、私は自分自身の行為に酔えたのです。それは、安定した公務員の身分にすがりつくあまり、退職金と年金だけが生きがいとなり、平凡な公務員として一生を終えることが決定してしまった同僚の中で、自分だけが人間らしい人生を送っているとの圧倒的な自己肯定感をもたらしていました。今回の私の犯罪のせいで、ますます公務員倫理研修は厳しくなり、チェック体制は細かくなり、書記官の仕事は忙しくなり、残業は増えるでしょう。このような状況を謝るべきなのか、笑ってもいいのか、私自身にもわかりません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

単なる想像です。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。