犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

森鴎外著 『山椒大夫』

2010-02-27 23:42:22 | 読書感想文
 中学校の国語の授業で、『山椒大夫』の感想文を書かされて、非常に困った記憶があります。感想文として書くべき感想が何も浮かばず、頭が真っ白だったからです。登場人物の中で特に印象に残ったのが、姉弟が別れ別れにならないように取り計らってくれた山椒大夫の次男の二郎と、厨子王を匿って逃亡の手助けをしてくれた曇猛律師でした。私は、両者が単なる善人ではなく、機転を利かせる要領の良さを合わせ持った人物であることに惹かれたのですが、それを文章にすることができませんでした。そのため、単なる脱走劇のドキドキを楽しむような、しょうもない感想文になってしまいました。

 クラスの友人の感想文も、精神年齢が発達していた数人を除いて、大体は同じレベルであったように思います。国語の先生のほうも、授業の狙いがなかなか実践できず、もどかしい気持ちであったものと想像します。私は、国語の先生の添削を受けながら、もう少し掘り下げて書けないのかと指導された記憶があります。私はその際、子供の頃に読んだ本は『安寿と厨子王』だったのになぜ主人公が違うのか、厨子王の名が萱草から正道へと変わって混乱したといった感想を述べると、先生に「いいところに目をつけた」とほめられ、さらに「だったら何でそれを書かないのか」と怒られた記憶があります。

 昔に読んだ本を何十年ぶりかで読むのは非常に面白いものです。細かく覚えている部分と、全く覚えていない部分とが見事に分かれていて、自分は完全に本に読まれてしまっているのだと感じます。私はその何十年かの間、大学の倫理の授業ではフランクルの『夜と霧』を研究し、北朝鮮による拉致事件のニュースにリアルタイムで接し、いまだに人身売買が残る国際社会の現状を知るなどして、文豪の凝縮された一言一句に驚くことができるようになったのかも知れません。現代の日本にも小粒な山椒大夫や三郎は至るところに生息しているでしょうし、その陰で命を落としている姥竹や安寿も絶えないように思われます。

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2 コメント

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Unknown (文月)
2010-03-04 21:48:11
こんばんは。
某Y.ikeさんの記事で、中学生か高校生の頃「高瀬舟」の感想文を書かされたことを思い出しました。
何を書いたか覚えていません。

若い頃には無理です!
年を取った今はいくらでも書けるような気がします。

安楽死とか肉親の死とか・・・。
文学ってそんなものなんでしょうね。
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Unknown (某Y.ike)
2010-03-07 23:57:08
こんばんは。

「高瀬舟」も課題図書の1つでしたが、こちらはさらに歯が立たなくて、「山椒大夫」にした覚えがあります。やはり、若い頃には無理ですよね。本当に、文学ってそんなものなんでしょう。

それでも、大人顔負けの感想文を書く女子が数人いて(男子は全滅です)、教室に張り出されたりしていました。 彼女達は文芸部で意味不明の詩を書いており、ガキの私には近づきがたいオーラがありました(笑)。
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