犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

銀色夏生著 『子どもとの暮らしと会話』より

2011-12-03 00:05:56 | 読書感想文
p.29~

 例えば自分が健康な時は、病気の人を見たら、遠い世界だと感じるし、かわいそうだと思うけど、実際自分が病気になったら、そこでの暮らしが自然に営まれていくんだよね。自分が世界の中心だからさ、自分のいるところが自分の世界なんだよ。世界は自分の周りに広がってるんだよね。


p.125~

 よく巷には、オレも年をとったなあ~なんてガックリと肩を落として寂しそうにしている人がいるが、ああいう人たちって、老化や死がたまらなく悲しく怖いんだろうな。私はどういうふうに老化していくのか、どういうふうに死へとむかっていくのか、興味あるけどな。死に近づく自分がどう考え、どう感じるのか。想像と実際の比較をしたい。老化も死も自然なことなんだから、たぶん嫌なことじゃないと思うんだけど。


p.280~

 ある人と誠実に付き合おうと思い、誠実に対応しようとすると、その態度の中で他の人のことを話さなきゃいけなくて、そうするとその他の人を不愉快な思いにさせるという場合。どうすればいいのだろう。
 たまにある男らしい?人の場合、どちらにも申し開きせずに、誤解されても沈黙を守る。あえて汚名を着せられても、黙って受けるという。でも黙って墓場まで持っていかれると、問題の方はいつまでも解決されないということもある。真実は闇の中。
 複数の人がからむと、それぞれの人の正しさの方向や守りたいものが同じじゃないから、難しいよね。利害がからむと善悪の判断も複雑化する。


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 言葉に敏感な人の言葉は、それ自体が無数の洞察を行間に含んでいて、軽いところでも重みがあり、嘘がないように感じます。私は仕事上、常々「言葉に敏感であれ」との指導を受けてきましたが、それは他者から言葉の揚げ足を取られることの不安に端を発したものであり、内心の自問自答を精密に記述する敏感さとは種類が違います。この言葉への敏感さが、言葉に繊細な人を傷つける場面を私は多く見てきました。

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