犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

堀井憲一郎著 『いつだって大変な時代』

2012-01-10 00:02:45 | 読書感想文

第5章 「子供の名前を自由に付けてはいけない」
p.141~

 個人個人がひとりずつ別の名前を持っていることを前提として、だからみんなそれぞれの個性を持って生きていこうというおためごかしを強く押し出して教えてゆくと、その根本である「名前は自分で選んでない」という不愉快感がより浮かび上がってきてしまう。社会優先なのか、個人優先なのか、という問題である。そこをクリアーにしないまま、つまり社会に従えという圧力を無言で事前に与えておきながら、口では「個性を尊重しよう」と言われると、真面目な子はどうしても思考停止してしまう。

 個人個人がみんな自分を主張しても大丈夫となってから、子供の名付けも変わった。貧乏な時代の子供の名付けは、シンプルなものだった。シンプルであるがゆえに、名付けの力の行使についてはわかっていたのだろう。力について、さほど考えないですむ世の中になると、名付けは力ではなくて、意味のほうへと揺れてきてしまう。

 「できるだけオリジナルな名前」を考えようといういまの流行りは、名付けの根本からずれているわけで、みんなでそんなことをやっていると、ただただ苦しくなっていくだけである。つまり、ある程度の型があって、その型の中での自由さ、というのが、もっとも楽な自由なのである。われわれが本来もとめているのは、そういう自由さである。まったくの自由だとひたすら苦しい。

 真のオリジナルというのは、真の真の部分で真剣にやってしまうと、ただ発狂するのに近くなっていくので、あまり真のオリジナルをめざさないほうがいいということは、その真の闇を覗いたことがあればだいたい気がつくことである。発狂というのは、つまり社会の約束事が守れない人ということだから、本人は正しいのだけれど、社会としては容認しがたい状態のことを言うわけだ。だから、真のオリジナルをめざすというのは、社会の外に出てしまうことである。


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 幼児虐待事件の報道を聞くたびに、亡くなった子供の名前には親の強い思いが込められていることが多く、実際の虐待行為のギャップに奇妙な感を覚えることがあります。この命名に関する親の思い入れの強さとは、周知のとおり、表意文字である漢字の意味自体が考えられていない文字の羅列であったり、発音の規則に明らかに反していることによって、愛情表現の形と考えられているものです。しかしながら、実際に起こった事実に照らしてみると、命名そのものが虐待の始まりではなかったかと感じることもあります。

 法律家がこの問題を考えるとき、憲法の命名権の枠組みから自由になることは難しいと思います。幸福追求権(憲法13条)の一環である自己決定権の問題とするならば、命名権は精神的自由権に近いものであり、二重の基準論からは「厳格な合理性の基準」が導かれます。ここでの問題は、市役所・区役所という公権力が個人の命名権に介入し得るか否かです。出生届を受け付けないことによって国民の人権を侵害したかどうか、問題はここだけです。命名権は子供自身にあると考えても、親が代理権を有している以上、結論は同じところに落ち着きます。

 あまりに漢字の表意性や文法規則に反した名前については、教養の高い法律家は、心の奥底では当然好ましくない命名だと直観し、その子供のために心を痛めるはずです。しかしながら、憲法論としてこれを論じようとする限り、法律家は自身の直観に反して論理を構築せざるを得ません。その結果、命名権に関する論点では、「時代によって常識は変化する」「奇妙な名前であるか否かを公権力が決めることは許されない」「保守的な価値観を強制すべきではない」といった議論だけが目立つことになります。ここでも真面目に人間を論じているはずが、人権論の大鉈を振るうことによって、人生に対する繊細な視線を失います。

 私は、法律家が「人権を論じて人間を見落としている」と感じるとき、同時にその原因は体系を守るための思考の硬直であると感じます。法律家としての資格を得るためには憲法を頂点とする構造の習得が必要であり、その時期は法律家としての思想形成の時期と通常一致します。そして、上記構造の習得のためには、法律以外の本を広く読むことは有害となることがあり、実際問題としてそのような時間もありません。堀井氏が述べるような視角の取り方は、憲法の命名権の枠組みを壊すことであり、法律家にとっては耳を塞がなければ仕事に支障を生じるものだと思います。

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