犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

今年(去年)の漢字「絆」 その4

2012-01-08 00:05:29 | 言語・論理・構造

1月8日  朝日新聞朝刊 読者投稿欄
「『絆』をたやすく使わないで」 (埼玉県・69歳・主婦)


 民主党を離党した国会議員が「新党きづな」を結成したが、「絆」という言葉を安直に使っていないか。選挙では「国民の絆のために……」と熱弁をふるうのだろうか。

 私は昨年から「絆」の連呼にうんざりしている。大切な絆を大震災で失った人だけでなく、病に倒れ、事故に遭い、事故に巻き込まれ、絆をなくした人たちのことを思えば、安易に使ってほしくない言葉だからだ。(中略)私は夫と娘を病で亡くしたが、失意の私を救ってくれたのは同じような体験をした仲間たちだった。その絆は簡単には表現できないほど強い。

 (中略)本当の絆がいかに大切かを知った人の言葉は、その表情とまなざしで他人の心に届く。しかし新党きづなの記者会見から「絆」の重みは感じられなかった。


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 去年の4月、友人の知人が地元の議会に立候補しました。私は面識がなかったのですが、仕事上の付き合いでメルマガやDMの送付を受け、リアルタイムで選挙戦の様子を知ることができました。

 彼は4年前から準備を進め、地元の会合に地道に顔を出して票固めをしていたようです。そして、満を持してラストスパートに入り、いざ浮動票獲得の最後の勝負に出るというところで、東日本大震災が起きました。4年間、選挙の日に焦点を合わせてきたのに、彼にとっては最悪のタイミングでした。選挙運動にとっては不運で余計な出来事であり、事務所には地面の揺れ以上の激震が走っていたようです。

 それからは、予定外の資金を投じて急遽チラシを刷り直し、被災者へのお見舞いの言葉を加えるとともに、有権者への訴えを防災対策にシフトしました。彼は、地元にも直下型地震がいつ来るかわからないのに、現在の長と議会は無策である旨を強く批判していました。しかしながら、明らかに取って付けたような主張であり、地元の不安を煽り立てるばかりか、他の候補と横並びとなってしまったようです。また、4年間主張し続けてきた得意分野も後回しになり、逆に組織票が読めなくなっていました。

 彼を苛立たせていたのは、選挙運動の自粛ムードでした。出陣式や決起大会も取りやめとなりました。告示後も周りの様子を見ながらの選挙戦とならざるを得ず、特に駅立ちの時間短縮や選挙カーの自粛は、浮動票頼みの新人にとっては非常に痛かったようです。彼はついに痺れを切らし、最後は選挙カーを走らせ、名前を連呼していました。後日のメルマガには、「震災からの復興のあり方を有権者に向けて訴えかけるのが正しい政治である」「震災で民主主義まで滅びてはならない」と書かれていました。

 昨年末、「今年の漢字」が発表された数日後、4年後の選挙での初当選を目指す彼から送られてきたDMには、特大の「絆」の文字がありました。

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