犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

池田晶子著 『14歳からの哲学』 第Ⅰ章 第2節・第3節より

2007-10-21 14:54:22 | 読書感想文
司法試験の合格者を大幅に増員する政府の基本計画に対して、弁護士会から反対の決議が相次いでいる。反対論の理由としては、弁護士の競争激化や、人材の質の低下が起きることが挙げられている。このような意見に対しては、競争が激化すれば人材の質が向上するはずだとの再反論もなされている。人間に対して「質」という言葉を使うのは「人質司法」だろうという突っ込みは措くとして、このような争いを見せられれば、弁護士会の考える犯罪被害者対策など高が知れていることが暴露されてしまう。やはり人は14歳以降、一度は考えておかなければならないことがある。


『14歳からの哲学』 第Ⅰ章 第2節「考える②」・第3節「考える③」より p.11~23 随所を変形して抜粋

増員反対派の人たちは、こんなふうに主張するだろうか。「合格者の人数が増えれば、それだけ優秀でない人も増えて、人材の質が低下すると思います」。増員賛成派の人たちは、こんなふうに主張するだろうか。「合格者の人数が増えれば、それだけ切磋琢磨して、人材の質が向上すると思います」。

この議論の場合、それぞれの人が、それぞれ自分の思ったことを人に言っている。どちらも自分の思っていることが正しいと思っているからだ。人は、自分の思っていることが間違っているとわかっているなら、それを人に言うということはしないものだ。人は、自分が正しいと思っていることしか主張しないんだ。

増員反対派の人も、増員賛成派の人も、意見は対立しているけれども、どちらもともに「合格者の人数について問題としている」ということでは共通している。そして、「人材の質の向上について問題としている」ということでも共通している。けれども、共通しているその「合格者」「人数」「人材」「質」ということについては、どちらもともに考えてはいない。考えないで、ただ自分が思うことを、自分が思うのだから正しいと思って口にしている。意見が対立するのはそのためだ。

増員反対派の人は、つい、こう言いたくなるよね。「人数が増えれば質は低下します。だって私は本当にそう思うのだもの」。こう言われたら、増員賛成派の人は、やっぱりこう言い返すはずだよね。「人数が増えれば質は向上します。だって私は本当にそう思うのだから」。たぶん議論はこれ以上続かないな。売り言葉に買い言葉の喧嘩になるかもしれない。

「自分がそう思う」というだけなら、それが正しいか間違っているかは、まだわからない。本当のことを知るためには、正しく考えることが必要だ。「正しい」ということは、自分ひとりに正しいことではなくて、誰にとっても正しいことだ。誰にとっても正しいことならば、お互いの正しさを主張し合って喧嘩になるはずもない。

「合格者」が「合格者」であり、「人数」が「人数」であり、「人材」が「人材」であり、「質」が「質」であることは、誰にとっても正しいことだ。でも、人数を増やせば人材の質が上がること、これは誰にとっても正しいということではない。同じように、人数を増やせば人材の質が下がること、これも誰にとっても正しいということではない。それなのに、それを自分では絶対に正しいと思っていて、大きな声でそれを主張しているとしたら、これはすごく恥ずかしいことなんじゃないだろうか。

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2 コメント

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Unknown (qeb)
2007-10-22 10:26:15
この人のこんな文章に触れると、目の前に剣先が触れるか触れないかの間合いでそこにどっしりと構えられているのが目に浮かびます。

しかし、「合格者」が「合格者」であり、「人数」が「人数」であり、「人材」が「人材」であり、「質」が「質」であることのその先を問わずには、私はいられないのですが…。
斬りかかったそこは自分だったわけで、やはりその間合いで留めておくべきなのかも知れません。

本題と関係のないコメントで、すいません。
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ありがとうございます。 (法哲学研究生)
2007-10-22 21:37:59
その先を問うことも、その間合いで留めておくことも、気がついてみたら同じかも知れませんね。留めたつもりが先を問うていたならば、それは儲けものでしょう。
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