犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

神田洋司著 『交通事故の損害賠償額』

2011-09-24 00:11:29 | 読書感想文
p.1~ はしがきより

 当事者の心理は、被害者はより多くの賠償額を、加害者はより少ない支払いを望むということである。望みが強ければ強いほど対立の度合いは増す。被害者・加害者の欲望の揺れ動く谷間で当事者を説得し、早期円満解決を実現するには、公正かつ適正な賠償額を示し、公平であることを当事者に納得させなければならない。

 東京地方裁判所などを中心とする民事交通裁判官などの努力で、過失割合基準表の発表、逸失利益の算出方法、積極損害の定型化・定額化、慰謝料の基準額などが公表され、それらが解決に大きな影響を与えたが、今では、それに代わり、日弁連交通事故相談センターあるいは東京三弁護士会交通処理委員会から、それぞれ損害額算定基準が公表され、これらの小冊子が紛争の迅速・適正な解決に多大の成果をあげている。

 しかし、物価の上昇、貨幣価値の下落などの社会経済条件の変動、「人の命は地球より重い」という人権尊重の理念が、年々基準額を上昇させていて、これがまた新しい紛争の火種ともなっている。最近の世相を反映してか、示談の中に無法者が介入する傾向に強い怒りを感じる一方、示談代行保険の普及に従い、加害者の事故に対する道義的責任、モラルの欠如にも別の怒りを覚える。


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 先日、交通事故被害者遺族の救済に積極的に取り組んでいる弁護士から、次のような話を聞きました。犯罪被害者の自助団体が増えるに従い、弁護士が関わることも多くなっています。若い弁護士は、最初の頃は、「悲惨な交通事故が社会からなくなってほしい」との言葉を率直に口にします。ところが、数年の経験を積むうちに、「交通事故がなくなってしまっては自分の仕事がなくなる」との常識論が支配的となり、同じ言葉に偽善が混入することとなります。

 死亡事故は、弁護士にとって「金になる案件」です。死者の生前の年収が高ければ高いほど、賠償額は巨大となり、成功報酬の単価も莫大となります。しかも、相手が保険会社ですから、賠償金の取りはぐれの心配がありません。そして、このような「金になる案件」の奪い合いの1つの形態として、弁護士の犯罪被害者の自助団体への参加がなされている状況もあるようです。どこかで死亡事故が起きたときに、その仕事を真っ先に紹介してもらうための布石を打っておくということです。

 人の不幸で飯を食う弁護士という仕事は、世の中から離婚のトラブルがなくなっては困りますし、相続の骨肉の争いがなくなっては困ります。同じように、世の中から交通事故がなくなっては困ります。この世の中の「大人の事情」というものが、この偽善性に気が付きつつあえて責めないことを意味するのであれば、弁護士が犯罪被害者の自助団体に参画する際には、この点の欺瞞性に自覚的でなければならないと思います。そして、これは弁護士という仕事の性質上、ほとんど不可能だろうと思います。

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