犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

長戸路政行著 『交通事故と示談の仕方』

2011-09-23 00:18:52 | 読書感想文
p.1~ はしがきより

 賠償金額が高くなるよりは、そもそも事故がなくなることが理想ですが、現実は、第2次交通戦争とも呼ばれるほどに交通事故による死亡者数、事故発生件数共に増加の一途をたどっています。結局、事故はなくならないものとするなら、やはり、重要なことは任意保険を十分にかけておくことでしょう。

 すべての車やドライバーは、必ず対人賠償保険(任意保険)をかけておくべきです。これがあるかないかで「示談」の話も大きく局面は変わります。現代は、生活のすみずみまで保険が浸透しており、保険の知識がないと、この世を上手に生きることが不可能とさえ言えるでしょう。本書がそのような事故の悲劇を解決することに少しでも貢献できればと念願しております。


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 先日、交通事故被害者遺族の救済に積極的に取り組んでいる弁護士から、本音の部分の話を聞く機会がありました。交通事故による死者は、ここのところ11年連続で減少しています。しかしながら、死者が戻らない限り被害者遺族が心の底から喜べることはなく、その思いは必然的に「二度と同じ思いをする人がいなくなること」、すなわち世の中から死亡事故をゼロにすることに集約されます。

 他方、弁護士のほうは、このような被害者遺族の言葉に共感を示しつつも、それは表面上の共感であることを余儀なくされます。現在の経済社会の中で生きるということは、「現代社会で死亡事故がゼロになることはあり得ない」という社会常識に従うことでもあり、この常識が理解できない者は一人前の経済人としての扱いを受けることが困難となるからです。その意味で、弁護士の被害者遺族に対する向き合い方は、上から目線であることを余儀なくされます。

 弁護士会の感覚としては、犯罪被害者保護の活動は、刑務所での講演や教誨の活動と並列されることが多いようです。どちらの活動も、不動産売買や相続争いといった弁護士本来の仕事からは外れており、利益や採算を度外視した社会奉仕活動であるとの位置づけです。ここには、経済社会の常識に至らない者への憐憫の視線があり、競争社会の論理からの脱落者への同情があるように思います。形而上の生死を法制度の中で解釈しようとすれば、どうしてもこのような結果になってしまうのだとの印象を持ちます。

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