犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

江花優子著 『11時間 お腹の赤ちゃんは「人」ではないのですか』より その2

2010-08-08 00:06:42 | 読書感想文
p.225~

 桜子ちゃんと元気くんは、事故後の経緯の辿り方など、かなりの類似性がある。起訴状に適用されている条文は、刑法211条1項前段と同じにもかかわらず、なぜ元気くんだけが「業務上過失致死」が成立したのだろうか。これほどまでに明暗を分けてしまうことになった理由を土本武司教授(刑法)に、検証してもらった。
 「刑事裁判は訴因制度をとっています。従って、裁判官は検察官が組み立てた訴因の範囲内のみで審理し、判決をします。静岡のケースは、わずか30時間後であれ、生きて生まれてから死亡したケースであるので、検察官が赤ちゃんの死を致死罪に評価できると訴因構成したことに対し、札幌のケースは、少なくとも一部露出がなければ“人”とは言えず、胎児に怪我をさせたとしても罰則規定がないという従来の考え方で訴因に取り込まなかったからです」

 これまでの事件取材でも、同様の事件であるにもかかわらず関わった警察官、検察官、弁護士、裁判官によって、送検、起訴、量刑の違いが起こる事態を数多く目の当たりにしてきた。法のもと平等であるべきはずなのに、なぜこのような事態が起こるのか聞くと、ほとんどの法律家は、「そのようなもの」「仕方がない」と口をそろえるというのが悲しい現実だ。
 土本教授がこう続ける。「検察官は全国ピラミッド型で統一的な仕事をし、解釈についても統一性があるべきです。しかし、札幌と静岡の事件でこのように解釈が分かれてしまったということは、水俣病事件・最高裁判決の見方の違いによるものだと思われます」。やはり、この両者の裁判の判決の明暗こそ、熊本水俣病事件以来、議論が十分に進んでいないことの弊害なのではないかと思わずにはいられない。


p.232~

 いつから“人”になるのかと、法律家をはじめ、多方面の専門家と長年にわたり議論を続けている加部一彦医師(新生児科)が、こう言う。
 「この亡くなった子どもを通じた胎児の問題は、人間の始まりの時期という議論に関係します。医学、生物学、倫理学、宗教学、法律学とそれぞれの立場によって、いつから“人”になるのかという見解が大きくずれています。同じ問題を議論しているのに、これだけ大きくずれているということをいままで誰も問題視していません。それは、それぞれの立場でしか議論されなかったからなのではないでしょうか」


***************************************************

 刑法学における議論とは、結論を正当化する理由付けの議論のことです。そして、刑法の専門家が胎児の命を守るために色々と頭をひねっているのですが、どうにも上手く行っていません。
 昭和63年の最高裁判決(水俣病事件)は、「胎児は母体の一部を構成する」との理屈を示しました。しかし、母体の一部であれば刑法が自己堕胎罪を処罰していることと矛盾するという尤もなツッコミを浴び、引き続き「ああでもない、こうでもない」の議論となっています。何十年間議論しても答えが出ないのであれば、恐らく問題の立て方が間違っているのでしょう。

 法律はすべて言語による構成物であり、「人」も「胎児」も「生」も「死」も言語です。そして、ウィトゲンシュタインが述べるとおり、本来、言語ゲームに外部はなく、この世界のすべてのものは言語ゲームに回収されます。なぜなら、言語ゲームの外部という概念すら言語で表現されるしかない以上、それはすでに言語ゲームの内部に位置づけられざるを得ないからです。
 医学、生物学、倫理学、宗教学、法律学のそれぞれの立場によって、いつから“人”になるのかという見解が大きくずれているのは、それぞれの外部がある言語ゲーム、すなわち厳密な定義による人工的な言語ゲームの中のルールが違っているからだと思われます。そして、法律学のルールにおいて私が学んだことは、胎児の命の儚さに対して繊細な感情を持つことは、理性的・客観的な判断を害するものであり、恥ずべき態度だということでした。自分は無事に育って大人になっているという感慨も同様です。

 法律の専門家ではない江花氏は、客観性を標榜する社会科学に基づく法制度に客観性がないことを見抜き、法律家から「そのようなもの」「仕方がない」との言葉を引き出しています。厳密に定義された言語ゲーム内の論争においては、その言語ゲームのルールそのものを問うことはありませんから、江花氏のような指摘は非常に怖いと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。