犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

内田樹・名越康文著 『14歳の子を持つ親たちへ』

2011-09-21 00:06:49 | 読書感想文
p.20~
 批評的立場の根本的矛盾なんですけど、厳しく現状を批判する人間って、どこか無意識的に事態がますます悪くなることを望んでいるんです。「もうすぐ危機が来ますよ、危機がそこまで来てますよ」って言い続けていると、「オオカミ少年」と同じで、僕の予測が正しいということが証明されるためには、本当に危機が来ないと困るわけです。だから、危機論者はいつのまに必ず無意識的に危機を待望しちゃうんですよ。これって倒錯してますよね。

p.55~
 ディベートなんて、コミュニケーション能力の育成にとっては最低の教育法だと思いますよ。そんなこと何百時間やっても、自分の中にある「いまだ言葉にならざる思い」とか「輪郭の定かならぬ感情の断片」を言葉にする力なんか育つはずがない。自分が自分について語ることは、つねに語り足りないか、語り過ぎるかどちらかで、自分の思いを過不足なく言葉にできるなんてことは起こりえない。だから、ぎりぎりのところでそれに触れそうな言葉を次々とつなげてゆくしか手がない。

p.105~
 僕たちが過去の物語を語るのは、語り終わったときに、聞き手が自分のことをどう思ってくれるか、僕を愛してくれるか、僕に敬意を抱いてくれるか、僕を承認してくれるか…… そういう語りの効果を狙って、自分の過去を物語るわけです。未来における効果を目指して語っていくわけだから、「嘘」とは言いませんけれど、原理的には「お話」なんですよ。過去の無数の記憶の中から、つじつまの合った話の材料になるものだけを選択しているわけだから、「作り話」なんです。

p.169~
 メディアって結局、基本的なフレームがあって、その中に上手くはまらない現象というのは報道しないんですよ。別に意図的に「しない」というんじゃないけど、うまく収まらないので番組にならない。プロデューサーやディレクターが理解できて説明できる現象じゃないと扱わないんです。だから、既存の説明枠組みそのものを書き換えないとうまく提示できないような出来事はマスメディアは伝えない。


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 この本の書評を見てみると、どのテーマについても「何をどうすべきか」という明確な解答を出しておらず、その点が双方向の評価につながっているようです。私自身は思考の傾向として、読者に考えさせる文章の深さに心地よさを感じるものであり、目の前の問題への対処を示す文章には押しつけがましさを感じます。しかしながら、そのような思考を持ちうるには、ある程度の精神的余裕の担保が必要であるとも思います。

 私はディベートが大嫌いであり、コミュニケーション能力の育成にとって最低であると感じています。上記の内田氏の見解には心底より共感しました。ところが、職場の研修で「明日は○○のテーマでディベートだから準備しろ」と言われてしまえば、もはや組織人は逆らうことができません。内田氏の言葉の説得力は、私の仕事の具体的な場面では、単に生きにくさを引き起こすだけです。私は、この考えさせる文章を考えることのできない妙な地点に立ち止まっています。

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