犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

東京弁護士会労働法制特別委員会編 『ケーススタディ労働審判』より

2012-05-27 23:45:44 | 読書感想文

「はじめに」より

 労働審判制度は、平成18年4月1日にスタートし、初年度の申立件数は877件でしたが、その後年々増加して、同21年度は3468件となりました。今後も大幅に増える勢いを示しています。評価が高い理由の1つは、迅速性の確保にあります。

 労使の評価も概ね好評です。労働審判手続に精通することは、弁護士などの法律専門家、人事担当者などの企業関係者、働く人や労働組合の役員などにとって、必須の課題となっています。本書が、多くの関係者に利用され、個別的労使関係紛争の一助となることを期待してやみません。


***************************************************

 一口に「労働問題」と言っても、一方では低賃金が問題の元凶であるとされ、他方では人件費の削減が根本的な問題だとされれば、最初から話が噛み合わないことになります。労働問題の委任を受けている弁護士において、従業員側から依頼を受けた案件と会社側から依頼を受けた案件とでは、そこで主張する理屈は正反対です。しかも、それぞれの案件においてその理屈は正義であり、それが並立している矛盾について内省がなされることは皆無に近いと思います。

 従業員側からパワハラやサービス残業の相談を受けた弁護士にとって、何よりも重要なことは、証拠物件を集める前に会社を辞めないよう指示することです。会社を辞めた後でどんなに悔しい思いをしても、退職者は社内に入れないからです。その意味で、発作的に机を蹴って辞表を叩きつける者は損をします。会社を辞める前には、こっそりと必要な書類のコピーを取り、必要な会話は内緒で録音したうえで、満を持して辞表を出すのが賢い辞め方です。

 こうして従業員から「労働問題」を突きつけられ、弁護士に相談に来た会社の担当者は、通常は怒り心頭に発しています。本来、そのような理由で辞める社員は心身の限界に追い込まれているはずなのに、なぜか技巧的な臭いと余裕を感じるからです。仕事を中途で投げ出すからには、組織人としてそれなりの責任を果たすべきところ、引継書も書かずに会社の備品を使って証拠集めをしていたのかという驚きは、社員に裏切られたという感情を生みます。

 日本の裁判所では、平成18年に労働審判の制度が設けられましたが、申立時に争点に関する証拠をすべて提出する決まりになっています。また、審判がまとまらなければ通常訴訟に移行しますが、ここでは争いのある事実を認定する際には必ず証拠によらなければなりません(弁論主義の第3テーゼ)。そのため、弁護士に相談されて裁判所で議論される労働問題は、単に証拠による事実認定の問題となり、人間の内心の苦悩からは話が離れるように思います。

 私は、労働問題における実存的苦悩は、常に従業員側に発するとの印象を受けています。仕事のやりがいや職責を果たすことへの誇りが人間の生きがいをもたらし、単に生活の手段として賃金を稼ぐに止まらないという論理を従業員側が有しているとき、それを経営者側が断ち切る場面が最も残酷だからです。仕事への献身が宙に浮いた場面で、弁護士から「証拠を集める」という新たな仕事を与えられた瞬間の相談者の生気のみなぎりは、証拠裁判主義がもたらすルサンチマンだと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。