犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

冷泉彰彦著 『関係の空気・場の空気』

2012-07-08 23:37:16 | 読書感想文

p.60~

 考えてみると、誰もが「話が通じなかった」とか「会話が途切れて気まずい思いをした」という経験をしているのではないだろうか。そして、ここ十数年、そんな経験が少しずつ増えているのではないか。

 問題を前にして、何も言葉が出ない。明らかな対立があるのに、歩み寄れない。いや、その前の対立そのものを浮き彫りにすることもできない。明らかに傷ついている人がいるのに、慰めることができない。気まずい雰囲気が濃くなっていても、その場を救う言葉が出ない。世代が違うだけで、全く共通言語がない。男と女、教師と生徒の間で自然な会話が成り立たない。

 そんな中、空気が欠乏し会話が破綻する。やがて沈黙が支配する「日本語の窒息」の瞬間がやってくる。そんな事態が増えてきているのではないだろうか。それは、かつて日本語のコミュニケーションの中に色濃くあった「腹芸」とか「あうんの呼吸」といわれる雄弁な沈黙ではない。


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 初対面の人との会話における三大タブーは「政治」「宗教」「野球」の話題だと聞いたことがありますが、言い得て妙だと思います。これらは、「共通の話題」として飛びつかれやすく、しかも簡単に会話が弾んで盛り上がるものと思います。ところが、議論が白熱するや否や対立が避け難くなり、平行線が交わることはあり得ず、最後は予想外の破綻と沈黙を招くという落とし穴を持っています。私もこれまで何回も落ちました。

 昨年から日本社会に加わった最大のタブーは、原発に関する話題だと思います。私自身、それまで気が合うと思っていた友人や、人柄を尊敬していた先輩との間に微妙な空気が生じ、ギクシャクしてきた状況があります。原発に関する議論に端を発した夫婦の別居や家庭崩壊の話も聞きました。この問題に関する国民的な議論を推し進めれば、日本社会はますます会話が成り立たない社会になるものと思います。

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