犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

実存主義と人権思想

2007-02-27 20:28:38 | 実存・心理・宗教
実存主義哲学からすれば、人権思想は人間の自己欺瞞である。それは、今ここに自分という人間が存在する事実と向き合わず、既成の理論を借りて安住しているという鈍感さである。人権思想は、人間が一度きりの人生において常に取り返しのつかない一瞬を生きている緊張感を捉えていない。

被告人にとっても一度きりの人生である。裁判という人生を賭ける場でこそ、実存の欲望は表面化する。死刑だけは絶対に逃れたい。短い人生で刑務所に入っている暇はない。刑期は1日でも短いほうがいいし、執行猶予で外に出て楽しく暮らしたい。罰金は1円でも安いほうがいい。これが被告人の偽らざる心境である。

しかしながら、このような人間の行動を実存主義のカテゴリーで捉えた瞬間、被告人は恐ろしい地点に立たされる。それは、被害者にとっても一度きりの人生であるという端的な事実である。このような現実に直面し続けることは、人間に哲学的な思考を促す。しかし、被告人はそのような思いをしなくてもよい。被告人には人権が保障されているからである。

被告人が死刑を逃れるために弁解したり、刑期を短くするために口先だけで謝罪したりすることは、自分勝手な実存の欲望などではない。立派な人権の行使である。しかも、歴史的に市民が権力者と戦って獲得してきた人権である。このような理論の裏づけを得て、被告人は自分の人生を離れて出来合いの人権論に安住することができる。

実存主義の視点は、このような自分の人生に対する甘い態度を容赦なく暴き出す。人権論に安住する者は、自分の実存をごまかし、他人の実存もごまかし、自己と他者がそれぞれ一度きりの人生を生きているという恐るべき現実から目を逸らす。歴史的に市民が権力者と戦って人権を獲得してきたことと、自分が被害者の一度きりの人生を傷つけたことには何の関係もない。一体誰が誰の人生を生きているのか、自分でもわかっていない。

実存主義の鋭い視点は、法律学にとっては恐ろしいものである。土俵の上で戦おうと思っても、土俵そのものを壊されてしまう。これまでの人権論は、実存主義は哲学の概念であって、法律学とは次元が違うとして処理してきた。しかし、犯罪被害者が訴えたいことは、まさに実存主義の指摘するところのものである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。