犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

笹原留以子著 『おもかげ復元師の震災絵日記』より (1)

2013-03-09 22:41:32 | 読書感想文

太田宣承氏(碧祥寺副住職・特別養護老人ホーム光寿苑副苑長)のあとがきより

 被災地で最初に行なったのが、海に向かってのお参りだった。亡き人たちへの悲痛な思いと、自然界の猛威に対する畏敬の念、「なぜ」という問いが入り混じった複雑な心境だった。しかしながら、海はとっても穏やかで、青くきれいで、あの豹変した荒れ狂った顔が嘘のようで、皮肉なものだという思いを抱きながら眺めるしかなかった。

 悲痛の叫び、怒りのような空気を前に、心が折れそうになりながらも安置所を巡り続けた日々。ただし、私は現場でご遺族や警察の方々の心痛を感じながらの活動に過ぎなかったが、笹原さんはご遺体に直接関わり、そのたびごとに言われようのない悲しみと苦悩に苛まれていたのである。残されたご遺族の気持ちと共に生きる1つの形。それが、笹原さんにとっては復元ボランティアだったのだろう。

 身を粉にして向き合う日々は、笹原さんをしても平常心を保ち続けるのは困難を極めた。日を追うごとに心がギリギリの状態に追い込まれていった彼女。もともと、小さいながら北上市を拠点に株式会社「桜」という納棺の会社を一生懸命営んできた。何度も大きな葬儀会社からオファーがありながらも、「ご遺族の気持ちに寄り添う納棺がしたいから」という理由であえて属さず、「参加型納棺」という商標登録をしてまで進んできた。

 笹原さんのすばらしさは、その復元ボランティアという活動を評価されることを極度に嫌がる謙虚さにある。「全国の方々の支援物資や支援金、励ましのお言葉、被災されたご家族の願い、支えてくださった方々とのご縁無しには、私の復元ボランティアは為し得なかったことです。だから、本当におかげさまでここまで続けられました」。


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 数年前、納棺師を描いた映画『おくりびと』が話題になりましたが、私もかなり鮮明に内容を覚えています。その際には、マスコミによって一種のブームが作られ、それに乗せられるように「死をテーマにしているのに癒された」「気持ちが優しくなれた」といった感想も聞かれ、私は何たるおめでたい賛辞かと憤慨していました。そして、そのブームは例によってすぐに去り、納棺師という仕事への脚光も去ったことを覚えています。

 映画『おくりびと』に関しては、本当の哀しみを洞察した方においては「死を美化している」「感動などできない」との感想が強かったと聞きましたが、全くその通りだと思います。映画を離れた現実の世界では、人は死を忌み嫌い続け、ゆえに死に関する職能に対して怖れを抱き続けます。映像として与えられたものは単なる情報であり、作為による誘導が強くなることは避けられず、受ける側はそのことに気付くと苦しくなるものと思います。

 震災で亡くなった方々の中にも数年前に『おくりびと』見た方は多く、「癒された」「気持ちが優しくなれた」といった感想を持っていた方も大勢いたことと想像します。私もかなり勝手に頭の中に死の概念を仮構し、死を美化しています。利益や効率といった対立概念を想定し、それを批判することによって納棺師の仕事の尊さを解釈し、生きている人と亡くなった人を区別しているようであり、私の思考が楽なほうに流れていることに気付きます。

(続きます。)

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