犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

神谷美恵子著 『生きがいについて』 「3・生きがいを求める心 ― 総論」より

2009-06-20 23:57:58 | 読書感想文
p.52~

生きがいへの欲求の領域はむしろ生物学的欲求のおわるところから始まると思えてくる。明らかにこれは、精神的存在としての、人間の欲求なのであろう。生きがいを求めてわざわざ社会的な安定をやぶるひとさえある。たとえば周囲の反対をおしきって青雲の志に生きる青年、社会的地位をなげうって貧しい伝道者の生活にはいる信仰のひと、愛する妻子をのこし、遠い異郷へ生命を賭けて冒険に出かけるひとなど。してみると、生きがいへの欲求というのは単なる社会的存在としての人間の欲求ではなく、個性的な自我の欲求なのであろう。いうまでもなく、この領域にも生物学的な欲求や社会的な欲求が侵入し、錯綜してくるが、それらをみたすにも人間は自我の本質的な欲求となるべく両立しうるやりかたでみたそうとする。

心理学者のなかでこの「生きがいへの欲求」について一ばん集中的に思いをひそめたのはアメリカのキャントリルかもしれない。彼の考えでは、人間の最も普遍的で本質的な欲求は「経験の価値属性の増大」を求める傾向であるという。そしてこの欲求がみたされたときには、それは経験の「高揚」として感じられるはずであるが、その感じの判断は本人のみによって行われる。ゆえに「あなたの行為が他のだれかにとって、いかに『成功』であるとみえようとも、もしあなた自身が経験の『高揚』を感じなければ、それはあなたにとって成功ではないだろう。それゆえに時折われわれからみると成功したようにみえるひとが自殺をし、世間が『偉大』であると考える芸術家なり作曲家なり政治家なりが、人生はむなしい、といってわれわれを驚かせるのである。」


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以前に書いた『生きがいについて』の感想文の記事に、何のキーワードで検索されたのか、「How to make your dreams come true ~あなたの夢を叶える101のヒント~ 成功、お金、恋愛、人間関係、健康」というブログのトラックバックが来ています。私はこの種の言葉が心底苦手で、言葉として体の芯に届かないのですが、何となく面白いので削除しないで取ってあります。それにしても、キーワードを検索してたかるスポンサーリンクの表題も見事です。「怖いくらいの成功法・・・仕事もお金も人間関係も健康もすべて怖いくらい成功する方法を無料公開!」、「世界の億万長者の秘密公開・・・2年半で1億円稼いだ男が教える。あなたの人生が劇的に変化する!」、「自分を成功人間にする秘訣・・・なぜ人は自分を不幸にしてしまうのか? 全く新しい自分に変える科学の本!」などなどです。本当に誰もが億万長者になってしまったら、インフレが起きて経済は大変なことになるのではないかと余計なツッコミを入れたくなるところです。

神谷氏が述べるとおり、人の生きがいへの欲求というものは、単なる社会的存在としての人間の欲求ではなく、個性的な自我の欲求によって構成されているようです。これは、時代や場所によって変わることはなく、現在の情報化社会・少子高齢化社会・格差社会においても同じく当てはまるように思います。人が一度きりの人生を生きて死ぬものである限り、精神的存在としての個性的な自我の欲求こそが、生きがいを充足したとの感覚をもたらすものなのでしょう。どんなに生物学的な欲求(食欲・性欲・物欲)や社会的な欲求(金銭欲・自己顕示欲・名誉欲)が満たされても、それが自我の本質的な欲求と両立していなければ、生きがいは充足されないようにも感じます。上記のトラックバックがどうにも軽薄で安っぽいのは、一見すれば個性的な自我の欲求(経験の「高揚」)を語っているようでありながら、その中身が社会的な欲求(成功)で埋め尽くされているところに原因があるように思います。前向きに希望を語る言葉に自分の生きがいを託してしまえば、それを失うことの恐怖から、自分の頭で物事を考えることは難しくなるはずです。