犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

修復的司法の問題点 その5

2009-06-04 23:23:09 | 実存・心理・宗教
元受刑者: 「私は犯人でないにもかかわらず、警察と検察の強引な捜査によって有罪判決を受け、無実の罪で17年間も刑務所に服役しました。冤罪は公権力による最大の犯罪です」

カウンセラー: 「それはお気の毒様でした。新たな生活への再スタートが切れるよう、私が立ち直りの援助をさせて頂きます」

元受刑者: 「そんなに簡単に立ち直れないと思います。私は外の世界に出ることもできず、義務のない刑務作業をさせられながら、悔しくて、虚しくて、辛くて、悲しくて、惨めで、哀れでたまりませんでした。この気持ち、わかって頂けますか」

カウンセラー: 「良くわかります。それで、あなたは今でもその気持ちが忘れられないのですか」

元受刑者: 「忘れたくもありません。無実の罪で服役したこの17年間は、もう永久に戻ってこないのです。私の人生を返してもらいたいです」

カウンセラー: 「まだ被害感情が強いようですね。私が心のケアをして、社会生活に戻れるようにしますので、ご安心ください」

元受刑者: 「そんな安心などしたくありません。社会から冤罪をなくすために、市民、マスメディアは何をするべきかを考え、怒りを表明しなければならないと思います」

カウンセラー: 「落ち着いて下さい。感情的になってはいけません。あなたは、自白を強要した警察官や検察官、有罪判決を言い渡した裁判官をまだ赦すことができないのですか」

元受刑者: 「そういう問題ではありません。当時の警察官や検察官には絶対に謝ってほしいと思います。決して許すことはできません。間違ったで済む問題ではありません」

カウンセラー: 「あなたのお怒りはもっともですが、警察官も検察官も人間ですから、当然過ちを犯すでしょう。いつかは赦さなければ先に進めないのではありませんか」

元受刑者: 「いいえ、私は絶対に赦したくなんかありません。私を犯人と決め付け、私に蔑んだような視線を向け、私の全人格を否定した人達を赦せるわけがありません」

カウンセラー: 「本当にそうでしょうか。そのようなことをして、あなたはさらに苦しむのではありませんか。あなたが本当にしたいのは、事件のことは忘れて、元の平和な生活に戻ることなのではありませんか」

元受刑者: 「絶対に違います。私がしたいことは、二度と冤罪を生まないために、この経験を忘れずに語り継ぐことです」

カウンセラー: 「それも大切なことです。しかし、最も大切なことは、憎しみではなく寛容さなのではありませんか。それは、何よりもあなたのためなのです」

元受刑者: 「失礼な方ですね。実際に経験したことのない方に何がわかるのですか。私は、無辜の人間に自白を強要した警察官や検察官に何が何でも謝ってもらいたいのです」

カウンセラー:「 そのようなことをしたら、警察官や検察官の家族や親戚、友人までも不幸にしてしまうのではありませんか。憎しみと不幸の連鎖はどこかで断ち切らなければならないのではありませんか」

元受刑者: 「いい加減にしてください。警察官、検察官、裁判官だけでなく、弁護士、マスコミも含めた社会全体の問題です」

カウンセラー: 「恨みや憎しみの先に何があるのでしょうか。一生かけて恨み続けて、その先に何が待っていると言うのでしょうか。あなたはそれで救われますか。過去にこだわらず、未来志向で行くべきなのではありませんか」

元受刑者: 「話になりません。もういいです」


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真面目に「憎しみの連鎖からの解放」を論じているのに、なぜ間が抜けてしまうのだろうか?