犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ちょうど1年前の今頃

2009-06-10 00:03:50 | 時間・生死・人生
● 『加藤容疑者は小泉改革の犠牲者』
今回の通り魔事件は、加藤容疑者が解雇通告を受け、派遣社員の処遇への不満や将来を悲観して自暴自棄になり、社会へ怒りをぶつけたものと考えられる。加藤容疑者と17人の被害者は、元をたどって考えるならば、製造業への派遣労働を解禁した小泉改革の犠牲者である。むろん、17人もの市民を殺傷するような方法は許されない。しかし、加藤容疑者の抱いた怒りそれ自身は、まったく正当なものである。この点をあいまいにすると、この事件の根本的な原因も見えてこないのではなかろうか。

● 『不安定雇用の増大こそが犯罪』
加藤容疑者の罪は重い。しかし、労働の規制緩和を進めてきたすべての政治家、学者の罪がそれ以上に重いのだ。この事件を契機に、派遣制度の問題点が社会で注目されるのは良いことである。もはや派遣会社は、一部の見直しで済む問題ではなく、即刻廃止すべきである。また、こうした制度の改変をめぐる問題と平行して、今回の事件に即して、関連する企業の法的・社会的な責任が問われなければならない。不安定雇用を増大させ、加藤容疑者を生み出したこの社会の構造こそが凶悪犯罪者なのである。

● 『第2、第3の秋葉原事件が起きる』
加藤容疑者のケースは、本人の性格と非正規雇用者が置かれた絶望的な状況が絡み合ったものとみられる。政府はこのような事件の再発防止のため、派遣制度の見直しを早急に進めるべきである。今回の事件は、加藤容疑者1人を責めて済む問題ではない。いたずらに感情論に走ることなく、派遣労働者への規制のあり方は今のままでいいのかを冷静に考え、早急に対策を打つ必要がある。政府が常用雇用を増やす方向で緊急に見直しを進めなければ、第2、第3の秋葉原事件が起きることになるだろう。


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加藤被告に背後から刺され、現在も後遺症で休職しているタクシー運転手・湯浅洋さんは、事件から1年が経った6月8日、「加藤被告の顔すら見ていない。彼に恨みや怒りはわいてこない。しかし、いくらきつくても、自分を信じてやり直せばいいだけ。なぜ加藤被告にはそれができなかったのか。なぜ無関係な人を傷つけたのか。どうしても彼の口から理由が聞きたい」と述べた。

この事件の直後、まるで1億総評論家のように、日本人の多くは加藤容疑者の内心を本人に代わって暴き、この事件の唯一かつ最大の原因を語り、ある者は会社や学校で盛り上がり、またある者はネット上で熱く論争を繰り広げた。そのような無数の正解が述べられたにもかかわらず、実際の被害者に全く届いていないとは、いったいどうしたことか。去年の6月8日にはリーマンブラザーズが破綻しておらず、10月から年末にかけての派遣切りと非正規労働者の失業は想定外であったことは、もとより想定内のことである。