犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

格差社会・ワーキングプア 何が問題か

2008-10-01 23:40:34 | 実存・心理・宗教
ワーキングプアの原因と対策については、それぞれの専門家が喧々諤々の議論を繰り広げ、分析するだけ分析して、これ以上目新しい理論は何も出てこないような状態である。低所得者が増加すれば国や自治体の税収が減少する、所得の低下が少子化の原因の1つになるといった議論は、対象を客体化した上での高みの見物である。これに対して、生活をする家がないネットカフェ難民が街にあふれ、格差社会によって社会に退廃的・暴力的な空気が支配し、毎日のように人身事故によって電車が止まり、時には負け組のエネルギーが無差別大量殺人となって現れるとなれば、対象の客体化は維持できない。これは、実存的なニヒリズムへの直面である。ワーキングプア対策は、個人の問題ではなく、社会全体として捉えなければならない大きな問題だと言われてきた。そして、国や自治体の政策によって最低賃金の引き上げ、採用や解雇のルールの明確化など、非正社員の待遇改善への施策が進められてきた。しかしながら、このような問題の捉え方が、それ自体において拭いようのない虚無感をもたらしている。問題の解決した先に、理想的な社会が待っているような期待感はない。社会全体として捉えられた問題は、実存的なニヒリズムへの直面を見えにくくする。

アメリカの心理学者・マズロー(Abraham Harold Maslow、1908-1970)の「欲求段階説」というものがある。人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物であり、人間の欲求は5段階の階層で示されるというものである。人間は、最初は動物として生きるための原始的欲求を追求するしかないが、それだけでは人間たり得ない。そして、低次の欲求が充足されることによって高次の欲求へと段階的に移行し、最高次の自己実現欲求のみ、人間の欲求を最終的に充足させることができるものと結論づけた。
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第1段階 「生理的欲求」 (生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求)
第2段階 「安全の欲求」 (衣類・住居など、安定・安全な状態を得ようとする欲求)
第3段階 「親和の欲求」 (他人と関わりたい、他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求)
第4段階 「自我の欲求」 (自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める認知欲求)
第5段階 「自己実現の欲求」 (自分の能力・可能性を発揮し、創作的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求)
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人生の中で、仕事の時間は大部分を占める。仕事は、単にお金を得るためだけの単純作業ではない。「生きるために働く必要がなくなったとき、人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる」とは、イギリスの経済学者・ケインズ(John Maynard Keynes、1883-1946)の有名な言葉である。一生涯を貫く仕事を見つけ、誇りを持って自らの仕事に従事し、その仕事を通じて良き仲間とめぐり合うことのできた人生は、幸福な人生である。人が働く理由は、単に生活の糧を得ることに尽きるものではない。会社とは、対外的な物の生産やサービスの提供の場であるだけではなく、対内的な交流の場であり、個々人の人格の成長をもたらす場である。人間は働くことによって初めて世界と接点を持ち、人生を形成することができる。もちろん、仕事に対する向き合い方は、年齢によって変わる。若い頃は夢を持って無謀に突っ走っても、中年に差し掛かると徐々に安定を志向するようになる。さらに成熟が進めば、自分の利益だけではなく、全地球規模の視点が持てるようになる。すなわち、給料の高低だけでは測れない仕事への誇り、豊かな人生を送ることへの条件の模索である。ところが、ワーキングプアや格差社会対策の問題設定は、これらの構造を根底から破壊してしまった。仕事のやりがいなどという呑気なことを言っている場合ではない、そもそも求人がないのだというまさにそのことが、さらに虚無感を倍増させている。

国や自治体の政策によって、非正規雇用者の最低賃金を引き上げるべきだ。この主張が実現され、問題が解決した先に待っているものは何か。マズローの5段階理論のうち、あくまでも第1段階の「生理的欲求」、すなわち生命維持のための動物的な欲求が満たされるに過ぎない。我が国は戦後の高度成長の時期を経て、経済的には一億総中流と言われる時代を迎えた。それによって、日本人の欲求は、動物的なものから人間的なものへと変化してきた。すなわち、第5段階の「自己実現の欲求」を追求できる素地が整ったということである。「物の豊かさから心の豊かさへ」というフレーズも流布するようになった。第5段階の欲求の究極は、無償のボランティア活動である。ところが、ここに来ての格差社会が、この段階の上昇を白紙に戻してしまった。ワーキングプアの問題の前には、ボランティア活動など夢のまた夢である。この何ともいえない閉塞感と絶望感は、人間的欲求から動物的欲求への逆戻りと切り離して考えることはできない。最低賃金の引き上げを中心的な問題とせざるを得ないことは、それ自体が空虚感をもたらす。自分はどのような仕事をしたいのか。どのように社会に貢献したいのか。そしてどのような人生を送りたいのか。このような問題のスタートラインも立てない。選択肢のない他律的な人生である。ワーキングプア対策は、個人の責任の問題ではなく、社会全体の問題である。それゆえに、最後は個人の実存的なニヒリズムの問題である。