犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

中野翠著 『この世には二種類の人間がいる』

2007-10-19 21:50:53 | 読書感想文
中野翠氏の本を1冊でも読んだ人ならばすぐにわかるが、この題名は逆説的である。すなわち、「この世には二種類の人間がいる。それは、『この世には二種類の人間がいる』と決め付ける人と決め付けない人だ」という意味である。もちろんこの命題については、さらにそのこと自体を決め付ける人と決め付けない人に分けることができるので、これはメタ言語による無限後退となる。中野氏はもちろん、そのことがわかっている。わかっている人とは、中野氏の言うところの「キメツケに怒る人」であり、「マニュアルを読まない人」であり、「ヘチマのような人」であり、「政治家になれない人」であり、「この本を買う人」である。

この本の表紙には「キメツケ人間二分法」と書いてあるが、これも恐らく「キメツケ人間二分法」は不可能であるという逆説である。実際のところ、50通りもの分け方をしているので、二分法になっていない。それどころか2の50乗、すなわち1125兆8999億0684万2624パターンに分けられることになるが、これも恐らく計算済みである。とかくこの世の政治的な議論は、何でもかんでも善と悪、正と誤に分けた上、自分を正義の側に立たせないと気が済まない。しかし、中野氏によるふざけた二分法には、頭の良い人々の真面目な二分法を笑い飛ばす余裕がある。別にどちらに分類されても大して困らない分類ばかりだからである。

弁証法とは、初心者向けの哲学のテキストを見ると、三角形をイメージして描かれることが多い。正-反-合という動きからすれば、それも下手だとはいえない。しかしながら、最初から三角形が図として見えてしまうと、正-反-合という動きがかえって見えにくくなってしまう。正と反がぶつかりあう時点においては、「合」ないし「成」が見えていてはならず、三角形の図は邪魔になる。皮肉にも、プラトンがイデア論で述べた三角形を捉え損なって、実物の三角形に振り回されている状態である。弁証法とは対極にあるような二分法が、実は弁証法のスタートである。ところがこの世では、二分法からは妥協案、折衷説が探られてしまうことが多く、弁証法の動きがなかなか認識されにくい。

「この世には二種類の人間がいる。それは、『この世には二種類の人間がいる』と決め付ける人と決め付けない人だ」。これは自己言及の矛盾を見事に示しており、端的に弁証法を指摘している例である。何でもかんでも差別だといって争う人に対しては、「あなたは差別をする人と差別をしない人とを差別している」と言えばいいし、少数派の権利を訴える人に対しては、「あなたは少数派を尊重する人を多数派にしようとしている」と言えばいい。このような弁証法の核心を指摘すれば、恐らくは「ふざけるな」と言って怒られるが、実際にふざけているのだから仕方がない。