犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

椎橋隆幸・高橋則夫・川出敏裕著 『わかりやすい犯罪被害者保護制度』

2007-10-17 17:45:01 | 読書感想文
典型的なマニュアル本である。表題どおり、非常にわかりやすいことは確かである。犯罪被害者保護制度を「易しい問題」と「難しい問題」に分けていることを自覚した上で、易しい問題を解決するためのハウ・ツー本として使う分には有用である。しかし、このマニュアル本が万能であり、これに沿って仮説を実行していけば社会問題は解消するといった甘い見通しは、それを超えた現実に直面すると手も足も出ない。お役所や学者の考える細かい制度は、完全にお手上げである。

「難しい問題」の所在を常に的確な形で国民の前に提示しているのは、やはり山口県光市の母子殺害事件における遺族の本村洋さんをおいて他にはいない。本村さんの深い洞察を含んだ一言一句の前には、このようなハウ・ツー本はお手上げである。「被告人の権利と被害者の権利とは決して矛盾するものではなく、これをいかにして両立させるかが今後の課題であり、詳細な研究が待たれる」と言ったところで、屁のツッパリにもならない。本村さんが被告人に対し、「あまりにも身勝手な主張が多く、亡くなった者への尊厳のかけらも見えなかった」と冷静かつ論理的に述べる姿は、修復的司法の輝かしい未来を推進してきた立場からすれば、実に苦々しい光景であり、自らの無力さを見せつけられる光景であった。

犯罪被害者保護制度を進めれば問題は解決するという仮説からすれば、以下のような事実が認められなければならない。すなわち、国から金銭的補償を受けられれば本村さんの怒りは収まるはずであり、本村さんに対してはカウンセリングで心のケアをすべきであり、本村さんはそれを受けることによって心の傷は癒されるはずである。これによって少年の人権も守られ、たとえ死刑でなくても、本村さんは納得するはずである。このようにならなければ筋が通らない。しかし、「易しい問題」のツールは「難しい問題」に切り込むことができなかった。これは本村さんという人称を超える論理の力であり、強靭な論理の力が脆弱な論理の力を破ったまでの話である。加害者の権利と被害者の権利は両立するといった安易な政治的な仮説は、哲学的な大問題の前には木っ端微塵である。

被害者や遺族の感情的な泣き叫びを世論が支持することは多いが、このレベルにおいては弁証法的な運動は起きない。近代刑法の原則は、このような世論の迎合を大衆のポピュリズムだと批判することによって、そのロジックを守ることができるからである。しかし、本村さんは論理的で冷静だったからたまらない。誰でも自分が被害者になった時には直面するであろう、万人に共通の地点を指し示してしまったのが本村さんである。これは弁証法の「正」でも「反」でもなく、それ自体が「合」である。この世から犯罪が消えない限り、このようなマニュアル本は確かに必要である。しかし、それは「易しい問題」を解決するのみであって、「難しい問題」を解決することはできない。