犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

関根眞一著 『となりのクレーマー』 その1

2007-10-04 18:58:07 | 読書感想文
人々の権利意識が向上すれば、お互いの権利を尊重し合う理想的な社会になるはずであったが、どういうわけか現代は「苦情社会」になってしまった。デパートや病院、学校などがクレーマーの主な標的である。他の客の前で怒鳴り散らしたり、仕事場どころか社員の自宅にまで電話攻勢をかけたり、挙句の果ては夜間に自宅に押しかけたりする行為も増えているらしい。名指しでこのような標的にされた人は、精神的におかしくなることもあるというが、当然のことである。おかしくならないほうがおかしい。

このようなクレーマーの増大の原因については、格差社会による年収へのコンプレックスが原因であるという分析がされている。確かにもっともらしい仮説ではある。しかしながら、現実には高額所得者がゴールドカードをちらつかせるタイプのクレーマーも増えているとのことで、例によって後知恵による分析は役に立っていない。低所得者でも高所得者でも、クレームを言う人は言うし、言わない人は言わない。つまりは、両方である。いずれにしても、社会が成熟した挙句に幼稚になってしまったというオチである。

問題なのは、元西武百貨店「お客様相談室長」である著者の関根氏の視点の取り方である。同氏は、社会の病理であるクレーマーの発生そのものについては興味を持っていない。すなわち、クレーマーの自己中心性、幼稚性、悪性については放置している。関根氏の視点は、あくまでも理不尽なクレームを受ける側の対応策である。そこでは、「クレームは宝の山」と言われ、クレームは営業改善の提案の一環となるばかりか、新製品の開発のヒントとなることもあるとされる。クレームに対処する仕事は、単なる苦情処理係ではなく、企業の社会的信頼を得るためにはなくてはならない重要な仕事であると述べられている。

さて、余計なことばかり言う哲学者のニーチェからすれば、このようなお客様相談室長の心理状態はどう評価されるのか。恐らくは、典型的なルサンチマンであると切って捨てられるだろう。単なる苦情処理係に「お客様相談室」という名称を付したのは、やり甲斐の感じようがない仕事にも何とかやり甲斐を感じなければ自分の身が持たないからである。そこでは巧妙に期待値を数段階下げることによって、クレーマーの理不尽さと戦うことをあきらめ、クレーマーを大歓迎するという心理操作が行われている。

「あなたはクレーマーと戦うために生まれてきたのか」「下らない人生だと思ったことはないのか」といった疑問文は、現代の苦情社会においては禁句である。しかし、言ってはならないことを言うニーチェからすれば、この禁句こそが問われねばならない。そして、企業の社会的信頼という論理に巻き込まれて、多くの社員が職場うつになり、過労死し、過労自殺をしている絶望的な状況においては、やはりニーチェの理論も少しは役に立つ。過労死や過労自殺といった人間の生死の問題につき、人生の文法を抜きにして語れるわけがないからである。

(続く)