犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

日垣隆著 『刺さる言葉』 その2

2007-10-02 17:37:22 | 読書感想文
日垣氏には、刑法39条や少年法を中心として、我が国の司法制度の欠陥を突いた著作が多い。これは同氏が中学3年生の時に、中学1年生であった弟が同級生に突き落とされて殺害されたという経験が大きい。その後、同氏の兄はこの事件が原因となって精神を病んで入院し、さらに同氏の父親も精神的に病むこととなった。少年犯罪について考えることや人権への疑いを持ち続けることは、同氏が生きることそのものとなっている。

ただ、このような経験から物を書くとしても、やはり体験や知識を普遍化する力量がものを言う(p.158)。生産性のない無駄な議論とは、自説を開陳しあうだけの退屈で不毛な儀式のことである。犯罪被害者が自らの体験を語り、広くその共感を求めるのは当然である。冤罪に苦しんだ人が自らの体験を語り、広くその共感を求めるのも当然である。しかし、それだけでは限られたパイの奪い合いであり、悲惨自慢合戦に終わってしまう。日垣氏が他人のために定義したわけでないにもかかわらず(p.198)、他人にとっても「刺さる言葉」になっているのは、個に徹するほど普遍に通じるという逆説の効果である。


日垣氏による「刺さる」定義

● 皮肉と失言(p.49)・・・・ 皮肉とは、「事実と異なる」性質に敢えて言及することであり、失言とは、言ってはいけない「本当のこと」をうっかり口にしてしまった結果である。

● 信用(p.67)・・・・ 消費する権利のこと。現状がマシだからという理由だけで、将来も大丈夫だろうと推し量る、銀行や信販会社が好む取引形態。

● 右翼と左翼(p.106)・・・・ 右翼とは過去の一時期を理想とする憂国言動であり、左翼とは絵に描いた未来を理想とする立場からの憂国言動である。現状を憂える根底で大衆や敵陣営を聡明でないと思っている点と、どこかに絶対的理想があるはずだと妄想する点で、よく似通っている。

● 専門家(p.167)・・・・ 良い専門家は、最先端の研究成果と一般人の現実生活をとり結んで語ることができる。悪い専門家は、わずかなリスクを大げさに騙って、「このままではとんでもないことになる」と脅すことに良心の痛みを感じない。

● 勝ち組と負け組(p.57)・・・・ この見分けは簡単につく。セコムしている家が勝ち組、していない家々が負け組である。

(続く)