犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

被告人の権利と被害者保護の矛盾

2007-02-19 21:03:32 | 国家・政治・刑罰
「被告人の権利と被害者保護は矛盾するものではなく、両立するものである」という意見がある。これは現状認識が甘い。現に存在する状況について、端的に「矛盾がある」と捉えなければ、問題の所在を見落としてしまうことになる。「いじめのない学校を作る」という目標を掲げた結果、いじめの存在を見落としてしまった本末転倒の愚と同様である。

現実には、とても「両立する」などとは言えない問題が山積している。例えば、被害者遺族が極刑を望んでいるのに、検察官が無期懲役しか求刑しなければ、裁判所が無期懲役を言い渡したとしても、遺族は「刑が軽すぎる」と言って控訴することはできない。それどころか、被告人には「刑が重すぎる」と言って控訴する権利が与えられている。この「刑が軽すぎる」という意見と「刑が重すぎる」という意見の衝突が全く解決できない状況を見ても、被告人の権利と被害者保護の両立など図れないことがわかる。

公権力は濫用されるものであり、市民によって抑制しなければならないという善悪二元論からは、被害者の問題を真剣に取り入れようとすれば、罪刑法定主義の構造が根本から崩れる。罪刑法定主義の基本的な構造がこのようなものであるからこそ、刑法学者は被害者の問題を戦後50年間も置き去りにしてきた。もし被告人の権利と被害者保護とが本質的に両立する理論であるとするならば、被告人の権利が優先されてきたこの50年間の説明がつかなくなる。

原理原則論を疑うことのできない大前提とする原理主義的な思考は、自己に都合の悪い理論を部分的に取り入れたり、妥協案を探ることによって、体系の崩壊を防ごうとする。「被告人の権利と被害者保護は矛盾するものではなく、両立するものである」という言い回しは、人権派の延命策としては優れているが、被害者の悩みや苦しみ、そして怒りと絶望とを正面から受け止めるという真剣さがない。