犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

現代の議論のすき間

2007-02-06 19:26:29 | その他
犯罪被害者保護の問題は、ようやく近年になって注目を浴びるようになった。しかし、このことは同時に、議論の混迷を極めることでもあった。一方では現実的・社会的な被害者救済の要請があり、他方では学問的・体系的な理論の構築の要請がある。前者に片寄れば単なる政治的な争いとなり、いわゆる人権派と厳罰派のイデオロギーの対立になってしまう。後者に片寄れば、学者の知的好奇心を満たすためだけの机上の空論になってしまう。

かような現在の状況において、このブログにおいては、そのすき間の部分を埋める試みをしてみたい。悲惨な事件や事故が起きれば、犯罪被害者保護に対する世論は急激に盛り上がる。しかしながら、この情報化社会において、世論はあっという間に移り変わる。このような情報化社会においては、世論に対して訴えかける活動とは別に、世論とはある程度の距離を置いた継続的な理論の構築をすることも必要である。

この点において、従来の哲学研究は、社会問題に対する理論の構築には貢献してこなかった。哲学は万学の祖と言われ、その中に法律の考察をも含む。しかしながら、現代社会では、哲学は役に立たない学問の代表のように言われ、軽視されている。このような現実の背景には、哲学研究自体の細分化がある。ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガー、ウィトゲンシュタインを専門に研究しようとすれば、それだけで一生かかってしまうような状況である。

このブログにおいては、哲学研究の専門家からは笑われることを前提とした上で、過去の哲学者の理論を被害者保護の文脈で解釈してみたい。あくまでも1つの視点の提示である。自分の考えは明確にまとまっていないが、迷いの過程をそのまま文章にしてみたい。