犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ハイデガーの哲学

2007-02-04 21:58:04 | 時間・生死・人生
ハイデガー(Martin Heidegger、1889-1976)は、ドイツの哲学者である。1927年に発表された『存在と時間』は、20世紀の最も衝撃的な著作と称された。しかしながら、高度に専門化した法律学は、このような哲学の視点を取り入れていない。

ニーチェの実存主義が「生の哲学」と言われるのに対して、ハイデガーの実存主義は「死の哲学」と言われる。ハイデガー哲学の根本は、人間である限り死を逃れ得ないものとして見据えることにある。これは、刑法学の理論が被害者遺族の心情を捉え切れていないことと対照的である。刑法学は死というものを極力人間から遠ざけようとする。

刑法学のテキストの中では、確かに人間が死亡する場面がよく出てくる。殺人罪に業務上過失致死罪、強盗殺人罪に危険運転致死罪など、人間の死を扱う場面が非常に多い。そして、裁判官や弁護士はこのような法律学を学び、その考え方を高度に習得して実務家となっている。

しかし、このような類型的なサンプルとしての人間の死の捉え方は、ハイデガーの「死の哲学」とは対極にある。刑法における死は、単なる条文の中の死であって、多数の人間の中の誰にも公平に当てはまる現象にすぎない。これに対してハイデガー哲学は、人生は一回きりであり、人間は一度しか生きられず、一度しか死ねないという端的な事実から目を逸らさない。

一般的な国民は、人を殺しておきながら自分は死刑になりたくないと言って抵抗する被告人に対し、強い違和感と憤りの念を持つ。これに対して法律の専門家は、近代社会ではどんな凶悪犯人でも公平中立な裁判を受ける権利が保障されなければならず、国民の怒りは無知に基づくものだと断ずる。このような平行線を解消する鍵が、ハイデガー哲学の中には含まれている。

存在論(ハイデガー)のカテゴリーでは、主に哲学者・古東哲明氏の著作を参考にしつつ、特に「死の人称性」の観点から、犯罪被害者が置かれる状態について考えたい。