犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ヘーゲルと西田幾多郎

2007-02-15 21:01:31 | 国家・政治・刑罰
ヘーゲル的な哲学観を基礎に、東洋思想と西洋思想を根本的な地点から融合した哲学者が西田幾多郎(明治3年-昭和20年)である。日本を代表する哲学者であり、「善の研究」などで広く知られる。西田哲学は、二律背反の止揚というヘーゲルの弁証法を基礎としつつ、仏教の禅の思想を取り入れた独自の思想である。その真髄は「絶対矛盾的自己同一」であり、般若心経の「色即是空 空即是色」にも通じるところがある。

ヘーゲルや西田幾多郎は難しくても、般若心経であれば我々にも簡単に理解できる。それは、我々人間が生きている限り、誰もが必ず老い、病気になり、いずれは死ぬという単純な事実(四苦)を直視しているからである。目まぐるしい現代の情報化社会において、脳ドリルブームに乗って場違いとも思える般若心経が注目を浴びているのは、時代を超えた真実を指しているからであろう。全国人権擁護委員連合会が長年にわたって人権尊重の普及のための啓発活動を展開しても、国民の心に響かずに空回りしているのとは対照的である。

犯罪被害による最愛の人の死は、残された者にとって、四苦のうちでも最大のものである。最愛の人の存在は、二律背反の弁証法における構成要素であって、自分自身の存在根拠となる。従って、その死は自己の存在根拠をも危うくする。それは時に自分自身の死よりも深い絶望をもたらす。一般的な病死ですら言語を絶する経験であるが、何の前触れもない突然の犯罪被害による最愛の人の死という経験は、人間の言葉では絶対に言い表すことができない。その沈黙こそが、哲学が2000年以上にわたって考え続けても答えが出ない問題の根本を指し示している。

現代の法治国家では、殺人罪、業務上過失致死罪という具合に、人間の死を条文に当てはめて簡単に処理している。このような流れ作業ができるのは、法律学が哲学から細分化しており、法律家のほとんどが西田幾多郎など読んだこともないからである。