病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

非言語コミュニケーションを知ろう

2017-11-14 16:42:52 | はとはあと最新情報
 広報理解に欠かせない非言語のコミュニケーションとは

 21回目、大阪・門真市の松下記念病院で開催していただいたHISフォーラム2017が終わり、その後片付け、とくに“人の目に見えないことの後片付け”も、やっとのことで終わり、早くから待っていただいているテーマの点検を始めたところです。
 で、このブログ「はとはあと」評価もグッタリから立ち上がるべく、このデスクに向かったというわけです。
 
 病院広報は、HIS思考の中で情報を担うという性質上、どちらかいうと分析的な視点を槍の先にして状況を確固たるものにしていくところがありますが、アートのような非言語系になると、いわゆるロジックよりも感覚に扇動されるし、伝えるためには、そうならないように頑張るなどという部分も否めないわけで、さまざまに難しいところ抱えているといえます。暴れ者の感性を手なづけながら、目的とする理性の展開へ引き寄せて話を展開することが求められる、それが非言語ということでしょう。
 
 たとえば、居酒屋の前に示されているメニューの表示には、カラフルな文字やイラスト?で表現されているのに、入ってみると偉く高級感のある内装や調度品にびっくりするような場合がありますね。これもサプライズとしていいのかも知れませんが、どこか裏切られた感がしたという経験はよくあるものです。
 
 チョーク絵で書いた看板が示すのは、「親しみ」であり「気楽さ」であり、少々荒っぽくても「お気軽よ」という視覚言語により表現されているのに、入ってみると釣り合いの取れない雰囲気や高級な空間が待っていた。安上がりを期待していたのに、これでは一種の裏切りに近いのですが、文面・言語ロジックで「約束」したのではないので、争議にはなりにくいうえ、内心つまり深層の心理ちゃんはただ泣いている、ということで終わりです。高級の印象を与えておきながら、安っぽいイメージだったというのでなく、まだ救われたと思いませんか。
 
 こうしたことは病院・診療所においても同様で、立派な玄関や掲げられた理念を信頼して受診したのに、粗雑な案内や職員の対応にがっかりしたなどという情けない事態となるのは、非言語を理解できる人がいないこと。つまり「ヒトの目に映る印象が語るイメージ」を組織が抑えてなかったからです。

 身成がそのヒトの品格を表す、ヒトを迎える玄関がご主人の人柄を表すなどというのも、そのような視点からの話というわけなんですね。医療機関は、苦しみを抱えた人々が出入りし、そして集まるところなのです。言葉ではなかなか出ないのですが、目は介助を求めて集中します。身体の状況にもよりますが、顔は笑っているとしてもその心理は深いところから叫んでいると思います。医療・介護施設に見えるモノが何を語っているのか、サービスの本質からいっても重要なキーポイント、それは手付かずのままの非言語のコミュニケーションといい、ここまでの概念を病院広報が取り込む必要があるのです。(いしだ・しょういち)