見ること・見えることが、社会を造っている
見ることは学ぶことである。身を晒して生き、経験することである。だから自分の成長にとっても、大いに“栄養”にすることができる。自分の健康を考えるなら、なるべく「心地よいもの」を見るようにすれば、健やかな気分になれる。言い換えれば、快適な時間を過ごすように工夫して暮らすことと言える。
成人になれば、見たくないものを見ないことがいいのかも知れない。絵画や音楽を鑑賞する。読みたい本を読めば、自分自身が見えてくることもある。知識がつき目の前も晴れやかになる。それで一歩前に進みたくなるだろう。
一時でも、この心地よい気分の感覚がほしい。思い出から始まることもある。たわいのない遊びから、期待もしていないことに出会うこともあるが、期待どおりであった、という場合もある。今年の京都の桜は、色合いや咲きそろい風情にも魅力があったが、全体に量感のある花々で埋め尽くされ景観に迫力があった。目の保養ということがあるが、目だけでなく全身が歓喜をあげていたかのようだった。桜の開花と健康の相関を図ってみればどうなるだろう。そんなことをしなくても、人々はそれが自身の健康にいいことを知っていると思う。
過日、京都新聞の記事でみて、いのちの電話が主催する「傾聴講座」に行ってきた。自殺を考えている人の多い事に驚いた。ボランティアの相談員が、電話に架かってくる相談に応じているのだが、それらの相談は、耳を傾けて聴き入る、これを「傾聴」といい、相談員は聞くことに徹する。しかし機械的な態度ではなく、十分に聞いている姿勢で対面(対話)することが基本となっている。その場に必要な対話が進むことになる。以前に通っていたソーシャル・ワークの理論講座、そのとき受けた講義を思い出した次第。
最近の様々なコミュニケーションにメールの利用が多くなっている。確かに効率を求める業務においては、それも重要な手段といえるだろう。しかし、言葉だけのメール連絡では心の通じるコミュニケーションはほとんど(私には)不可能である。電話なら、相互の声のやり取りの中で、ある程度、気持ちを察したり、表したりの会話は成立する。自分が伝えたいエッセンスや周りの環境とともに、伝えるために適切な仕組みを選ぶことも欠かせない。できればヴィジュアルの力を借りてのコミュニケーションも必要かもしれない。
いずれにしても、「見えること」や「見えたこと」が基本になる。その事実によって事が進んでいく。「心地よさ」に出会うには、人間の目に日常「見える環境」であり、「見える情報」であることを考えてみることではないか。子難しい話しかも知れないが、見えることは生きていくことである。つまり見る側にとって優しい存在の仕方について、もう少し考えていくとが心地よさを増幅させ、人の健康に寄与するように思われる。なにしろ、健康が求められるのは、「みんなの幸せ」のためにある。外見は飾るものではなく社会をつくるものでありたい。
お読みいただき感謝です。
NPO法人日本HIS研究センターからお届けしました。
来たる14日(土)午後1時〜5時
京都YWCAにおいて、病院広報の基本講座を行います。
基本講座ですから、どんな仕事にも関係があります。
受講をお待ちしています。
詳しいご案内は、 http://www.j-his.jp/
お問い合わせ・お申し込みは
事務局075-741-8219 info-his@j-his.jp
見ることは学ぶことである。身を晒して生き、経験することである。だから自分の成長にとっても、大いに“栄養”にすることができる。自分の健康を考えるなら、なるべく「心地よいもの」を見るようにすれば、健やかな気分になれる。言い換えれば、快適な時間を過ごすように工夫して暮らすことと言える。
成人になれば、見たくないものを見ないことがいいのかも知れない。絵画や音楽を鑑賞する。読みたい本を読めば、自分自身が見えてくることもある。知識がつき目の前も晴れやかになる。それで一歩前に進みたくなるだろう。
一時でも、この心地よい気分の感覚がほしい。思い出から始まることもある。たわいのない遊びから、期待もしていないことに出会うこともあるが、期待どおりであった、という場合もある。今年の京都の桜は、色合いや咲きそろい風情にも魅力があったが、全体に量感のある花々で埋め尽くされ景観に迫力があった。目の保養ということがあるが、目だけでなく全身が歓喜をあげていたかのようだった。桜の開花と健康の相関を図ってみればどうなるだろう。そんなことをしなくても、人々はそれが自身の健康にいいことを知っていると思う。
過日、京都新聞の記事でみて、いのちの電話が主催する「傾聴講座」に行ってきた。自殺を考えている人の多い事に驚いた。ボランティアの相談員が、電話に架かってくる相談に応じているのだが、それらの相談は、耳を傾けて聴き入る、これを「傾聴」といい、相談員は聞くことに徹する。しかし機械的な態度ではなく、十分に聞いている姿勢で対面(対話)することが基本となっている。その場に必要な対話が進むことになる。以前に通っていたソーシャル・ワークの理論講座、そのとき受けた講義を思い出した次第。
最近の様々なコミュニケーションにメールの利用が多くなっている。確かに効率を求める業務においては、それも重要な手段といえるだろう。しかし、言葉だけのメール連絡では心の通じるコミュニケーションはほとんど(私には)不可能である。電話なら、相互の声のやり取りの中で、ある程度、気持ちを察したり、表したりの会話は成立する。自分が伝えたいエッセンスや周りの環境とともに、伝えるために適切な仕組みを選ぶことも欠かせない。できればヴィジュアルの力を借りてのコミュニケーションも必要かもしれない。
いずれにしても、「見えること」や「見えたこと」が基本になる。その事実によって事が進んでいく。「心地よさ」に出会うには、人間の目に日常「見える環境」であり、「見える情報」であることを考えてみることではないか。子難しい話しかも知れないが、見えることは生きていくことである。つまり見る側にとって優しい存在の仕方について、もう少し考えていくとが心地よさを増幅させ、人の健康に寄与するように思われる。なにしろ、健康が求められるのは、「みんなの幸せ」のためにある。外見は飾るものではなく社会をつくるものでありたい。
お読みいただき感謝です。
NPO法人日本HIS研究センターからお届けしました。
来たる14日(土)午後1時〜5時
京都YWCAにおいて、病院広報の基本講座を行います。
基本講座ですから、どんな仕事にも関係があります。
受講をお待ちしています。
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