毎日毎日、飽きもせず・・・

韓国のドラマ・映画・音楽を楽しんでいます。
そんな小さな楽しみを綴っていきたいと思います!(完全ネタバレしています)

『私の頭の中の消しゴム』

2006-03-27 22:47:03 | MOVIE
出演:チョン・ウソン
   ソン・イェジン
監督・脚本:イ・ジェハン
2004年
日本公式HP ⇒ ココ


 コンビ二の入り口で偶然出会ったスジンとチョルス。
2人は再び出会い、恋に落ちる。
幸せな結婚をしたのも束の間。出会った頃からよく忘れ物をする性格だと思っていた
彼女だったけれど少し様子がおかしい。
自宅への帰り道も時々判らなくなってしまう彼女が病院で告げられた病名は
“若年性アルツハイマー”。
徐々に記憶があいまいになってきて彼を判らなくなってきてしまう。
スジンを愛しているチョルスは仕事をしながら彼女の看病をしていくのだが
一枚の手紙を残しスジンは姿を消してしまう・・・・


 最初にまず驚かされるのがオープニングのイェジンちゃんのメイク
私なんか深読みしすぎて、すでにアルツハイマーになっていてあんなメイクを
してしまったのか?と思ってしまいました。
それにしても工事現場での現場監督のチョン・ウソン、格好よすぎです
ワイルドすぎる車もお似合いでした。
お嬢様がちょっと無骨な男の魅力にはまる出逢いから結婚までもよかったです。
幸せな生活が続いていくはずだったのに彼女の病気が発覚します。
チョルスを前の彼と間違っていくくだりは胸が痛かったですね。
彼女は病気なんだから悪くないけれど、これはキツイなぁ~

 “許しとは心の部屋を一つ空けること”
スジンは母の事を恨んでいるチョルスに対しこう言います。

 全編を通してずっとよかったのですが、私としてはラストのコンビニのシーンが
気に入りませんでした。
なぜあんな終わり方にしたんだろう?
確かにこの難しい題材でラストをどんな風に持っていくのかなぁ?と期待していたのですが
あれはないな~と思ってしまいました。
なんかそれまでずっと現実的に続いていたものが急にファンタジーのような世界に行ってしまい、
そこまで続いていた緊張感がブツっと途切れた感じがしました。
急にあのコンビニのせいで冷めてしまったんです。
その後の車で走っていき、今まで言ってくれなかった「愛してる」という言葉を
言ってくれるのはいいのですが、あのコンビニのシーンだけが余計な気がして
最後の最後に残念な気持ちになりました。


 はっきり言うと私の中に残ったもの それは・・・・・
チョン・ウソンが“いちいち”格好いい!!!!!それだけです。

私は韓国映画に興味を持ち、見始めた頃はハン・ソッキュさんやソン・ガンホさん
ユ・ジテさんなどが出ている作品が多かったので『ユリョン』という映画で初めて
チョン・ウソンさんを見た時、「こんなカッコいい人がいたんや!!」と初めて
韓国俳優の中でカッコいい人を見つけた瞬間でした。
そんな私の中で特別な?!存在のチョン・ウソン。
この作品の中の私のツボはイェジンをお姫様抱っこしてベットルームへ
連れて行く時に、部屋に入った後姿のまま足でドアを閉める所。
なんか“かっこいい”ばっかりを連発していてあまり映画評では
なくなってしまっている所に自分でイタさを感じます(反省・・・・)


『永遠の片想い』

2006-03-27 00:22:43 | MOVIE
出演:チャ・テヒョン
   イ・ウンジュ
   ソン・イェジン
監督・脚本:イ・ハン
2002年


 ギョンヒとスインという2人の女の子と
1人の男の子ジファンの3人の友情。
ジファンはアルバイト先にやって来たスインに一目ぼれをし、告白。
でも悲しげな目で「迷惑なんです」と断られたジファンは
気を取り直して大きな時計を持って再び二人の前に現れる。
「時間を一時間前に戻しました。今度偶然会えたら、友達として会いましょう。」
それをきっかけに3人の友情が始まった。
3人の楽しい時間が過ぎていく中、変化が表れてくる。
この友情、恋に変わってしまったらこの関係が崩れてしまう・・・

 
 チャ・テヒョンは心の優しい男の子を演じさせたら
素晴らしいです。あの顔に味があるんだろうなぁ
ギョンヒがジファンの足を蹴りまくってる所は
すごく可愛くて青春のきらめきがあっていいシーンです。
ソン・イェジンはおとなしくて病気がちな女の子がほんとにはまり役です。
あとやっぱり残念だと思うのがイ・ウンジュ。
この役のギョンヒの明るさの裏にある悲しさや辛さを
上手く演じているのを見ると、実際の彼女もそうだったのかな?
と思い彼女の訃報は残念だなと心から思う。
私は彼女の話し方がとても可愛くて好きなんだけどな。


 もう一つこの映画でうまく使われているのがモノクロ写真。
最初から最後までいろいろな写真が出てくる。
写真は今たとえここに居なくても、そこに写っているものは
想い出も全部“たしかに存在した”という証になっているね。