今、同時進行で二冊の本を読み進めている。
一つは池井戸潤の「陸王」
もう一つは川上弘美の「水声」
なぜ二冊、同時進行してるかというと、
たまたま借りてた本と予約の本の貸出しが重なってしまったから。
池井戸潤の本は予約から一年待った。
同時に読んでいるから感じるのだが、
同じ小説でも、全く性質が違うもんだ、と思う。
池井戸潤の本は物語だ。
これは誰が読んでも間違いなくその内容を寸分たがわず理解しえる。
そう、日本語が理解できる人なら万人にその中味はちゃんと伝わる。
でも、川上弘美の小説はどうだ?
これは誰でもが、この小説の世界を理解するのはむづかしい。
書いてある事は一部であり、その小説の韻である部分は、
文と文の行間に潜んでいるから、
もしかすると読んだ半分以上の人が、その韻の部分を読みほどけないかもしれない。
それにしても川上弘美のこの感性に触れると、
あぁそうだった、こういう感覚、感情ってあったよなぁ、
と自分の中に縮こまっっていた感情がモソモソと伸びあがってくる。
狭い箱の中に押し込められていた、
チリチリの丸まった糸が、一直線に伸びていく感じ。
そんな感覚にとらわれる。
世の中で感情として名前のある、
喜び、怒り、悲しみ、切なさ、嬉しさ、驚き、などなど、
名前のついてる感情では、全く足りない。
人間の感情には、まだまだ無数の名前のついてない、
様々な感情が埋まっているのだ。
何かの言葉を聞いたとき、何か出来事にでくわした瞬間、
自分の中から湧き出した感情。
それが何ていう感情なのかわからない。
でも、何か胸がいたくなるような感情や、
何か胸がドキドキするような感情が確かにある。
それが良いコトか、良くないコトか、
どういう感情なのか自分でもわからずに。
前も川上弘美さんの小説読んでいて、
自分の中に湧き上がる感情で、
全く何の価値もないゴミのような感情だと思っていたものが、
彼女の小説の中で、見事に美しく綴られていて、
あの感情って、価値、あったんだ、
とびっくりしたこともあった。
そんな人間がロボットとは決定的に違う、
感情のあらゆるとこ、
それを川上弘美は隠れていた感情を呼び覚ましてくれる。
面白いです。
どちらも。
一つは池井戸潤の「陸王」
もう一つは川上弘美の「水声」
なぜ二冊、同時進行してるかというと、
たまたま借りてた本と予約の本の貸出しが重なってしまったから。
池井戸潤の本は予約から一年待った。
同時に読んでいるから感じるのだが、
同じ小説でも、全く性質が違うもんだ、と思う。
池井戸潤の本は物語だ。
これは誰が読んでも間違いなくその内容を寸分たがわず理解しえる。
そう、日本語が理解できる人なら万人にその中味はちゃんと伝わる。
でも、川上弘美の小説はどうだ?
これは誰でもが、この小説の世界を理解するのはむづかしい。
書いてある事は一部であり、その小説の韻である部分は、
文と文の行間に潜んでいるから、
もしかすると読んだ半分以上の人が、その韻の部分を読みほどけないかもしれない。
それにしても川上弘美のこの感性に触れると、
あぁそうだった、こういう感覚、感情ってあったよなぁ、
と自分の中に縮こまっっていた感情がモソモソと伸びあがってくる。
狭い箱の中に押し込められていた、
チリチリの丸まった糸が、一直線に伸びていく感じ。
そんな感覚にとらわれる。
世の中で感情として名前のある、
喜び、怒り、悲しみ、切なさ、嬉しさ、驚き、などなど、
名前のついてる感情では、全く足りない。
人間の感情には、まだまだ無数の名前のついてない、
様々な感情が埋まっているのだ。
何かの言葉を聞いたとき、何か出来事にでくわした瞬間、
自分の中から湧き出した感情。
それが何ていう感情なのかわからない。
でも、何か胸がいたくなるような感情や、
何か胸がドキドキするような感情が確かにある。
それが良いコトか、良くないコトか、
どういう感情なのか自分でもわからずに。
前も川上弘美さんの小説読んでいて、
自分の中に湧き上がる感情で、
全く何の価値もないゴミのような感情だと思っていたものが、
彼女の小説の中で、見事に美しく綴られていて、
あの感情って、価値、あったんだ、
とびっくりしたこともあった。
そんな人間がロボットとは決定的に違う、
感情のあらゆるとこ、
それを川上弘美は隠れていた感情を呼び覚ましてくれる。
面白いです。
どちらも。