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茨城から八ヶ岳南麓へどどんぱっ

今までのタイトルがブログの内容に合わなくなってきたので、模様替え。

自由の権利の不平等。。

2016-08-24 12:33:32 | Weblog
自宅前の道路に一台の動いてなさそうな車が、
私の運転する車の前にいた。

道路の脇に停車してる訳でもなく、
まさに走行レーンにどかっと停まっている。
なのにハザードを点灯してる訳でもない。

どういう事?
私の目の前で急に動かれても困るから、
クラクションで、プッっと、
何かしら意思表示をせよ、
と促してみたが、、、
無反応。

うーん、、、
動く気はないのね?
と恐る恐る追い越してみた。
通り過ぎる週間、
運転手をジロ見。

じいさんだ!
80才は悠に超えていると思われるじいさんが。
もうろうとした虚ろのな目を遠くに投げかけていた。

こんな意識もおぼろげなじいさんが車を運転してるなんて、
危険過ぎる。。。

現に走行車線に(滅多に車が通らない道ではあるが)
何のサインも出さずに車を停めてる状態では追突の危険があるのだ。

こんなじいさんは運転してたら確実に事故を起こす。
免許をとっとと剥奪すべきである。

とっとと剥奪も出来ないのは、
個人の自由な意思の尊重、
憲法に定める基本的人権との兼ね合いや世論とか、
むづかしいのだとは思う。

でも、
例えばサッカー場で有無を言わさず、
蓋付きのペットボトル持ち込みを禁止してる、
あの不自由さ。
何で私がペットボトルを自由に持ち込む権利を
勝手に奪われなければいけないんだろう?

フーリガン、暴徒にサッカー上にペットボトルを投げ込まれては危険、
という警備上の理由なのはわかってはいるが、
何万人いる観客の99.999%、限りなく100%に近い人は
無関係であり1%いるかいないかの可能性の為に
99.999%の自由が奪われている事に納得がいかない。

それに引き換え、この、
高齢者の免許を取り上げなかった事による事故は
1%どころではないだろう。
統計など調べた事も、そもそもデータがあるのかもわからないが、
かなりの高い確率で高齢者起因による事故に多くの人が巻き込まれている。

少なくとも今日、私が遭遇した、あのジイさんが、
この先、事故を起こす可能性は限りなく100%に近い。

サッカー場でのペットボトルを持ち込む自由を奪うことより、
高齢者の運転の自由を奪うことをの方がよっぽど必要かつ緊急度が高い!
と思われる。

無駄に自由を奪っているんだったら、
高齢者の自由を奪う事の方が社会によっぽど緊急性があり必要だ。
それは無駄に奪うということでは決してない。
善良な第三者の生命を奪う可能性の封じ込めだ。




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