Hanews-はにゅうす

ウィーン歌曲歌手、「はにうたかこ」の毎日のちょっとしたことを書いています

小話

2007年12月16日 05時30分23秒 | Weblog
実は昨日、タンデムをしているクリスチャンがプレゼント用にきれいに包んだチョコレートを持ってきてくれた。てっきりクリスマスプレゼントだと思って受け取ったが、彼は「お歳暮です。」といって渡してくれた。

「冬はお歳暮、夏は中元を、お世話になっている人にするんですよね?はに~にはいろいろ教えてもらったりしているので、お歳暮です。」と。
ひっくり返りそうになりました。もちろん「お歳暮は一回すると一生しないといけないというから、これでやめておこうね。」と言いましたが、ありがたくチョコレートは受け取りました。また日本人は普通はその場でこういったものは開封しないんだけど、私は中を見たいからあけてもいいか?と聞いてからあけました。(こっちではあけるのが普通だったりするから。)←もしかしてこれも迷信か?

それにしても、いったいどこでそんな日本を学んでくるんだろうという話になった時に、そういえば私たちも留学する前に「ドイツ留学の手引き」みたいな本をたくさん読んだ記憶がある。そこには「奥さんお手製のケーキが出たら必ず食べる。おかわりを勧められたら断らない。食べられない時は医者に止められていると言う事。」(ケーキは杯を交わすくらい重要だとされていた。)なので私は一度に3個のケーキを食べた記憶がある。添えられた生クリームはケーキより多かった。

また、ある留学生は、「ヨーロッパではロウソクの明かりで食事をする」と書いてあったので、友人を招待した時にロウソクを用意した。こっちの人たちがテーブルについて言った。「これ墓地のロウソクだよ。」(わかるわかる、だって、赤いローソクできれいなんだもん!)

ロウソクと聞いて、私は反対に、すき焼きを作って食べようとした時に、電気を消され、ロウソクだけになり、どれが肉でどれがネギかわからないくらい暗く、だんだん腹が立って(だってお肉がつかめない!)電気をつけてくれと頼んだ記憶もある。

他にも、巻き海苔を出しても「紙は食べられない」と反感を買うとか(今じゃ信じられないけど)、風呂に入りすぎると下宿を追い出されるとか(ドイツ人は朝にさっとシャワーをするだけ)など。

初めてドイツに行ったとき、ある家庭に臨時でピアノを借りたときも、なにかお礼をしたいと言ったら、そんなのしなくていいと言われた。(これくらいは普通に借りれてしまう感じだった)。プレゼントをすると大げさだと聞いたので、花束にした。もちろん日本人プレゼント最低価格で3000円くらい。すごい花束になってしまい、まるでプロポーズするかのようだった。
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モンセ、ウィーンへ!

2007年12月16日 01時05分03秒 | Weblog
その前に、今日は4人目のタンデム相手、コニーちゃんが我が家に来ました。彼女は先日の日本語学科飲み会で知り合ったとても日本語の上手な子です。今日はお茶を点て、日本の文化についていろいろ話をして、その後私のドイツ語をいろいろ直してもらいました。

さて、数日前いきなり「はに~!時間が出来たウィーンに行く!」とメールが来た。なんとスペインの友人モンセ。モンセはもちろんスペイン人。この人とは、今は亡きシルハウスキー先生のスペイン講習会に参加した時に出合ったんだけど、なんとなく馬があう。その次に講習会に行った時も一緒に食事をしたりして楽しかったのを覚えている。その後も何度か手紙のやり取りをしたりしていたが、今回初めてスカイプをした時に、最初だけ無料電話通話がおまけでついていたので、どうせなら一番遠いモンセに電話しようとかけてみた。そして久しぶりに話をし、私がウィーンに行くことや、よかったらウィーンに来て!といったりしてたんだけど、その時は「忙しくて無理~」と言っていたのに、いきなり来る事になった。本当に来ることになり、来てと言った私もびっくりしている。

彼女はスペインでドイツリート他、声楽を教える先生をしているはず。なので会話ももちろんドイツ語でオッケイなんだけど、大丈夫だろうか…ちょっとしんぱい。
でも、まあ、正味3日間なので(1月2日~5日)オペラにいって、美味しいもの食べているうちになんとかなるだろう。

とかくスペイン人のイメージからは遠い、勤勉なカタルーニャ人(バルセロナ地方の人は、スペイン人と一緒にしないでくれと言います。マドリッドなど他の地域の赤字を、バルセロナの稼ぎで埋めていると。)だし、商業も発達しているバルセロナはスペインの大阪みたいです。

バルセロナの思い出といえば、昔、バルセロナから空港に行く時、タクシーに乗り、座席にありったけの小銭をばらまき、「空港」だけ叫んで連れて行ってもらった記憶があります。そのお金がどの程度空港へ走るに充分だったのか、足らなかったのかいまだによくわかりませんが、とりあえず空港にいけました。

また、いまだにウィーンにはないプッチンプリンが昔からありました。2週間で21個食べた記憶があります。それ以外にもちろんケーキも食べていました。当時ウィーンに全然なかった魚介類も豊富で、市場ではマグロの赤身を「トロ」と称して売っていました。パエリアなど米料理もうれしかったです。また、高級レストランに乗り込み、ゼスチャーで「はに~特注プリンパフェ」を作ってもらったりしました。(ウィーンにプリンもパフェもありませんでしたが、スペインにはプリン・果物・生クリームをアイスに乗せるはあるわけです。なのでそれを全部一緒に盛ってくれとゼスチャーで頼みました。)つまりスペインは講習会が目的ではなく「身体が要求しているウィーンにないものを食べに行く街」でした。

今回モンセは「おみやげにトゥーロンがいいの?」と聞いてくれましたが、あの甘さは、もう食べられないと思ったので断りました。「黄身の砂糖漬け」です。これこそ震えの来る甘さです。私はこのトゥーロン以上にくどくて甘いものは知りません。

それにしても15年?いや18年ぶりくらい。お互いどんなにおばさんになっているか楽しみです!



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