Hanews-はにゅうす

ウィーン歌曲歌手、「はにうたかこ」の毎日のちょっとしたことを書いています

モンセ、ウィーンへ!

2007年12月16日 01時05分03秒 | Weblog
その前に、今日は4人目のタンデム相手、コニーちゃんが我が家に来ました。彼女は先日の日本語学科飲み会で知り合ったとても日本語の上手な子です。今日はお茶を点て、日本の文化についていろいろ話をして、その後私のドイツ語をいろいろ直してもらいました。

さて、数日前いきなり「はに~!時間が出来たウィーンに行く!」とメールが来た。なんとスペインの友人モンセ。モンセはもちろんスペイン人。この人とは、今は亡きシルハウスキー先生のスペイン講習会に参加した時に出合ったんだけど、なんとなく馬があう。その次に講習会に行った時も一緒に食事をしたりして楽しかったのを覚えている。その後も何度か手紙のやり取りをしたりしていたが、今回初めてスカイプをした時に、最初だけ無料電話通話がおまけでついていたので、どうせなら一番遠いモンセに電話しようとかけてみた。そして久しぶりに話をし、私がウィーンに行くことや、よかったらウィーンに来て!といったりしてたんだけど、その時は「忙しくて無理~」と言っていたのに、いきなり来る事になった。本当に来ることになり、来てと言った私もびっくりしている。

彼女はスペインでドイツリート他、声楽を教える先生をしているはず。なので会話ももちろんドイツ語でオッケイなんだけど、大丈夫だろうか…ちょっとしんぱい。
でも、まあ、正味3日間なので(1月2日~5日)オペラにいって、美味しいもの食べているうちになんとかなるだろう。

とかくスペイン人のイメージからは遠い、勤勉なカタルーニャ人(バルセロナ地方の人は、スペイン人と一緒にしないでくれと言います。マドリッドなど他の地域の赤字を、バルセロナの稼ぎで埋めていると。)だし、商業も発達しているバルセロナはスペインの大阪みたいです。

バルセロナの思い出といえば、昔、バルセロナから空港に行く時、タクシーに乗り、座席にありったけの小銭をばらまき、「空港」だけ叫んで連れて行ってもらった記憶があります。そのお金がどの程度空港へ走るに充分だったのか、足らなかったのかいまだによくわかりませんが、とりあえず空港にいけました。

また、いまだにウィーンにはないプッチンプリンが昔からありました。2週間で21個食べた記憶があります。それ以外にもちろんケーキも食べていました。当時ウィーンに全然なかった魚介類も豊富で、市場ではマグロの赤身を「トロ」と称して売っていました。パエリアなど米料理もうれしかったです。また、高級レストランに乗り込み、ゼスチャーで「はに~特注プリンパフェ」を作ってもらったりしました。(ウィーンにプリンもパフェもありませんでしたが、スペインにはプリン・果物・生クリームをアイスに乗せるはあるわけです。なのでそれを全部一緒に盛ってくれとゼスチャーで頼みました。)つまりスペインは講習会が目的ではなく「身体が要求しているウィーンにないものを食べに行く街」でした。

今回モンセは「おみやげにトゥーロンがいいの?」と聞いてくれましたが、あの甘さは、もう食べられないと思ったので断りました。「黄身の砂糖漬け」です。これこそ震えの来る甘さです。私はこのトゥーロン以上にくどくて甘いものは知りません。

それにしても15年?いや18年ぶりくらい。お互いどんなにおばさんになっているか楽しみです!



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