Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

うたかた

2007-10-29 | 想い・雑感
うたかたという言葉を耳にすると
方丈記を連想し
どうしても流れに浮かぶ泡を連想する

ビールを注いだりコーヒーをいれたりしたときにできる泡沫も
うたかたと呼んでもさして問題は無いようにもおもうがどうなのだろうか

さて流れに浮かぶうたかたは
何かの拍子に空気が水の膜に包まれた状態になったものである
浴槽で手を湯の中に突っ込めば
容易にいくつものうたかたを製造することができる
しかしそのでき方を正確に制御することは不可能である
たかが手を突っ込むだけだが
手の勢い 手の向き 手が水面に進入する角度
湯の表面の波 温度 湯に浮かぶ雑物の種類や濃度
さらには月や太陽の位置
などなど 私の貧弱な想像力でも泡の出来方に関与する要因は
随分とある

湯に手を突っ込むという原因
泡ができるという結果
そこには単純な因果律があるようだが
様々な縁がその間を取り持っているのである

現代の私たちは
どうもその縁を蔑ろにし
こうすればああなるとまっすぐにつなげて考える傾向が強い様に想う

人間の体にしてもそうである
医学 生理学 生化学 その他
人間の体に関する学問が進むにつれ
人間の誕生 病 老い 死 のいずれにも
何らかの人為的操作を加えうるようになったことを見て
何とかすれば何とかなると単純に考えてしまう傾向があるように想う
生命の存在には人智を越えた要因(縁)があることを失念してしまってるようだ

人間が作り出した様々な機械ですら
必ずしも修理ができないのに
人間がその一部すら作り出し得ない人間自身の体を
想うようにできるはずがないのである

その当たり前の現実に謙虚に向き合い
医療問題を考えていけば
こうすればこうなったであろうという安易な連想で
無理な治療をすることは無くなるであろうし
望まぬ結果に対し
一方的に糾弾したりすることも少なくなるのでは無いだろうか

近年よく問題になる呼吸器をはずすはずさないという議論も
その時その時で関係する人々が
どうしようもない状況というものがあることにきちっと向き合い理解すれば
殺人だどうだとメディアが大騒ぎするようなことではないと思う