漕げばロードの日和あり^^

ひねもすポタリポタリかな。
自転車活動や食べた呑んだ等あれこれを行雲流水のように書き綴っています。

知々歩奇行ポタ(皆野から帰路)

2017-01-25 20:25:15 | 埼玉を走る
道や土地の流行り廃り、それは今後益々加速していくだろう。
しかし、自分の知る道や町は絶えることなく在り続けて欲しい。その気持ちは傲慢だろうか。


ヒトボシ(火燈)峠はどこだ?
『旧鎌倉街道探索の旅(1976年発行)』を読んだ時のこと。
ヒトボシの名の由来は次の伝説があると知り、是非その峠を見たくなったのです。。
①地名は『一ト星』、歌詠みの一人の法師が児玉の方から峠に上った時に一つ星が輝いた。
「一人法師」か「一つ星」から地名となった。
②山の頂に日時計的な施設があり、その「陽通し」から地名となった。
③高松城落城の際、逃げ出した夫人達は、ここで追手に襲われた。
助け人を求め「人欲しい」と叫んだことが変化して地名となった。
④『風土記稿』には「火燈峠」とあり高松城と連絡を取るかがり火を炊く場所だった。


この路の先にヒトボシ峠があるのだ!
国神から根古屋、金沢にかけて「ヒトボシ峠を御存じですか?」と訪ねつつ走った。
往きつ戻りつして、ようやく入り口が判った。柴岡の常夜燈が置かれた路が鎌倉街道^^


柴岡の常夜燈、以前は県道沿いに設置されていた。
側には宿屋もあり、峠越えを控えた旅人が体を休めたようだ、と近所の紳士に教えて頂いた。
残念ながら旧街道はゴルフ場が出来て途切れてしまったようだ。
でも、古道の雰囲気を味わいたかったので行けるところまで行ってみよう!


と、走ること数分。さすがの泥ディーもツルツルの斜面に今回は断念デス。
余談だが「根古屋」は不便な山城から降りて普段寝泊りする場所の寝小屋の事。
ニャンコ派の拙としては猫谷でないのが、つくづく惜しい^^



だったら金沢側からの路を探してみようか。
訪ねてみれば、写真の個人宅の脇を抜けて金沢川を渡る路が鎌倉街道であったとのこと。
でも今は通る者とてなく、路の様相を呈していないことを教えて頂いた。
自転車停めて、暫く藪漕ぎしてみたが、たしかにこりゃ自転車乗りの恰好じゃ無理だわ・・・
川を渡った先には馬頭様がおわすようで、ヒトボシ峠への憧れはつのるばかりなり^^


昼メシは熱々の鍋焼きうどん
出牛の「花矢蔵」で手打うどんの鍋焼き(800円)を喰った。ほんのり立ちのぼる柚子の匂いが素敵^^


この季節にしては暖かい日だったが、やはり少しずつ末端から冷えてくる訳で。
熱々の食べ物がなによりの御馳走であります^^


煮込んでもコシのある拙好みのウドンを啜りながら、店の方から色々伺った。
出牛の浄瑠璃人形芝居は5月5日に金沢小学校前の萩神社で見物出来ること。
1月28日に店前の寺で不動様の縁日が開かれ、芝居で使われる人形が飾られること。
ひと昔前までは往年の宿場としての賑わいを感じられる町並みだったこと。
隠れキリシタンの話などなど。美味しく愉しい時間が過ごせました^^



皆野町 出牛の隠れキリシタンの墓
出牛は隠れキリシタンに関係あったと言われている。
出牛(ジュウシ)という読み方が、ゼウス、または十字(架)に似ているからだそうな。


西福寺、不動堂は火災でちと焦げてしまったが、本堂の中は壮麗で一見の価値があると聞いた。
都合良い事に今年の正月28日は土曜日。縁日見物と合わせて是非再訪してみたい^^


戒名や年号など文字が一切刻まれていない御宮のような屋根のついた石塔。
寺の墓地に散在する十三基のそれが隠れキリシタン墓ではないかといわれているようだ。
古い文献で見た写真と変わらぬ姿がそこに在り、感慨深いものがありました。


古道らしき小路の誘惑^^

さて、どうやって戻ろうか?
この路、宝登山から長瀞駅へと通じているらしいが・・・
これ以上、押し歩きしたら、クリートがペダルに嵌まらなくなりそうだったので断念デス。
次回はMTBペダルと靴に換装して本格泥ディー解禁かしら。


寄居町 田山花袋が見上げた榎はどの木?
何か昔のままで、残つてゐるようなものはありませんか?
あの木がさうだ。
かう言って、そこからさう遠くない小高いところに大きな傘を張つたやうな樹を指した。
ふむ、あれがその時分からある木かね。・・・かう私は言って此方を見て、
何の木だね?
榎だんべぇ。


花袋が「秩父の山裾」に記し、その樹の下に腰を下ろし、浪漫を感じた榎はどこだんべ?

齢を重ねていそうな樹を探しては下まで行って、仰いで見、撫でて見して問う。
御身がその樹かぁ?!
結局この日も樹達からの返答はなく、手掛かりは掴めなかった。
榎どこの木気になる木・・・拙はそう呟きつつ鉢形城址を後にした。

おしまい


追記 出牛は西福寺、不動様の縁日に飾られる出牛文楽人形

毎年1月28日におこなわれている不動様の縁日。
山門を潜って左手に本堂、右手奥の斜面にある不動堂でおこなわれる縁日に飾られる人形。
頭が大きく衣装が豊富な事を特徴とする人形芝居の主役達であります。
その人形芝居は、江戸時代末期から明治時代が爛熟期で大正3年から約50間断絶した。
そして昭和41年に復活して今に至るとのこと。


人形の衣装に挿された針は、針供養であるのだとか。
地域の各家庭に2本ずつ配られる?ような話を聴いたのだが、詳しく訊きそびれてシマッタ。
また機会を伺って訊きにいかなくちゃあだ。


道中各所で情報を下さった皆様へ
おかげさまで有意義な一日を過ごす事が出来ましたことを御礼申し上げます。
ありがとうございました。