私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

映画『ドストエフスキーと愛に生きる』

2014-03-29 14:49:15 | 日記
March 29, 2014

間違いなく桜の季節は訪れる。といっても春の天気は変わりやすい。来週にと予定していた映画『ドストエフスキーと愛に生きる』を見に、朝早く家を出た。実はちょっとしたアクシデントがあった。昨日図書館の社会人枠の部屋で自分の点訳したものを校正していたら携帯に電話が落ちてきた。自宅にかかった電話が携帯に知らせてくるように設定してある。便利だけれども、どこまでも鎖につながれているような感じは否めないが。近くの友人からだった。そろそろ校正に飽きてきたところだったので図書館を出て、折り返し電話をすると、何でもたくさんチョコレートをいただいたのでおすそわけして下さるとのこと、友人もお買い物があるというので、駅前のコーヒーショップで落ち合い、少しお話をして、チョコレートを3箱いただいてバスで帰った。バスの中でいただいたチョコレートをつまもうと思ったが、手持ちの袋に入れたつもりのはずなのに見当たらない。別の袋も探したがない。帰宅してすぐお店に電話すると、忘れものとしてとってあるということだった。床に置いた袋に入れるときに、間違えて外に落としてしまったらしい。せっかく持ってきてくださったものを粗雑に扱ってしまったことで、反省しきり、これも老いのせいにした。で、今日10:00から始まる映画の前にお店に寄ってコーヒーを注文し、チョコレートを渡してもらた。きれいな袋に入れてくださって、気持ちが和んだ。

さて映画のことを書こう。1週間、しかも1日2回しか上映しない映画なので、映画的にはどうかと思いつつ、題名に惹かれて見た。素晴らしかった。 ついぞ買ったことのない小冊子になっているパンフレットを買った。 その「Introduction」の最初に、「84歳のスヴェトラ―ナ・ガイヤーが織りなす深く静かな言語の世界と、紡がれる美しい言葉たち―。ドストエフスキー文学と共に歩んだ一人の女性の数奇な半生を迫ったドキュメンタリー。」とある。数々の世界のドキュメンタリー賞を受賞している。映画の構成は、孫やひ孫に囲まれながらも、料理を自ら作り、生活を気持ちよくする工夫をし、楽しみながら思いのままに暮らす主人公の日常が紹介される。その日常の中にドストエフスキーの翻訳(ドイツ語訳)という生活が折り込まれる。この場面もなかなか見ごたえがあリ、題名の由来ともなっているエピソードだ。これは見るものそれぞれで感慨が異なるだろう。私は「知の力」といったものを感じた。さらに故郷のウクライナの大学に講師として招かれ、孫娘と首都キエフへ向かう列車の中で、回想として彼女の半生が語られる。ウクライナで生まれたロシア人であるが、母親の勧めでドイツ語を学び、その言葉を頼りに戦中をナチスドイツの通訳として生き抜き、戦後は翻訳家として高い評価を得る。ドイツ語が話せることからゲシュタポに重宝がられ、また勉学の機会も与えられるが、ユダヤ人ではなくアーリア人であることを証する厳しい身体検査をされたといった言葉に、背筋が寒くなる場面もあった。民族の歴史と個人の歴史がさまざまに交錯する問題提起も、ドイツ映画だからこそであろう。ナチが行った人種差別の恐ろしさを目の当たりに感じさせるくれる映画でもあった。

ウクライナが最近新聞紙上に登場する。世界には、人類には、とことん紛争が付きまとうものなのだろうか、などといったことも考えさせられた。ほとんどがドイツ語なのだが、キエフに滞在している時など、ロシア語も混ざる。すっかり忘れていたと思ったロシア語が、ほぼ理解できたことには驚いた。日常会話で話される語彙は本当に少ないのだということも実感した。

画像は、「すみれ」。去年は1本だったのが今年はこんなに増えた。すみれが咲くといつもこの歌が思い浮かぶので、例年のことながら次に記す。

    春の野にすみれ摘みにとこしわれそ野をなつかしみ一夜寝にける   山部赤人

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