私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

本に救われて

2013-11-27 14:50:11 | 日記
November 27, 2013

点訳したデータをメール送信するために、代々木八幡経由で事務所に出かけた。この場所があまり心地よい場所ではないことは、先日のブログで少し触れた。 しかし引き受けたものを途中で放り出すわけにはいかない。またそんなつもりはない。 ここのところ忙しくてなかなか図書館からとってきてある本を読む暇がなかったが、 今日は、文庫本ではないがそんなに厚くないので、 小川洋子『ことり』(朝日新聞出版)をバッグに入れて、車中で読むの本とした。いつものようにローカルに乗るが、人身事故があったとかで、1時間近くかかってしまった。おかげでゆっくり読書が出来た。まだ少しのこているが、行き帰りの車中でほぼ読み終わった。

この本の登場人物は、 知的障害のある兄とその兄に寄り添い少し世間から外れた生き方をしている弟の二人、兄弟がことりを愛でながら生涯をひっそりと、しかし心豊かに暮らす物語だ。だいぶ前に読んだ『博士の愛した数式』に通じる、小川洋子ならではの人物設定だ。こういう物語が、この作家のどういった経緯から生まれるのかは分からないが、私は、登場人物の中の弟が兄により添うように、この物語が、今の私の気持ちにより添ってくれたと思っている。多分この中には、人間の持つ様々な要素が含まれているのだろう。人は静かに日常を送っていても、突然思いがけない出来事によってその平静がうち破られる。そういうことを恐ろしいほど予感させてくれた本であり、であるからこそ、日常の出来ごとに一喜一憂することはない、宇宙は何もなかったかのように動いていくのだと、そんなことを考えさせてもらった本だった。

そう、私も10年以上、 一羽の文鳥を相棒として暮らしてきている。あまり自分が感情移入するのがいやなので、朝、野菜とえさと水を新鮮なものに変え、水浴び用の水を取り換えたり、床の新聞紙を新しいものにするといった決まったこと以外は、鳥がいるようでいないような生活を続けてきた。それでも、最近は夜ケージを覆っているっ毛布を取り除いてくれと、朝の決まった時間に鳴いて起こされたり、夕方同じ時間になると、毛布をかけてくれと騒ぎだす、言葉はなくても、さえずりだけで、じゅうぶんに自分の意志を私に通じさせている。なるほどこれでいいのだ、いやここに、適度な距離を置くという人間関係の上手な生き方のあやが隠されているのだと気付かされたりもする。

もともとこの本を図書館に予約したのは、友人のブログを見てのことだった。今年の3月のことだったので、9ヵ月近く経ってやっと手元に届いたことになる。先にも触れたように、今読めたことは、good timing だった。ここで友人のブログをもう一度読ませていただいた。「(この本には)人間臭さというものがない…日本と違う国(フランス)に設定することで、この兄弟の詩的な世界が違和感なくみられるのでは・・・」」という言葉が目に入った。たしかに、右へならえが好きで、ちがったものを受け入れる要素が乏しい日本人の人間性には、手の届かない世界なのかもしれない。少し興味が出てきたので、小川洋子の作品、『ブラフマンの埋葬』と『ミーナの行進』を図書館に予約した。

画像は、妹のメールから、「ヒメツルソバ」。