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ぽかぽか春庭「伊東忠太の龍・大倉集古館」

2013-01-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/29
ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(2)伊東忠太の龍・大倉集古館
 
 アート散歩。徘徊するのに気分のいい地域と、なんだか気分よくない地域があるのです。1月8日に歩いた周辺は、六本木ビルはじめ高いビルに囲まれ、スエーデン大使館やスペイン大使館の前からホテルオークラの前を通り、アメリカ大使館前の交差点を渡って大倉集古館へ入る。

 ホテルオークラの前を通れば、「ええ、歩行者ですみませんね。ホテルオークラに来る客は、みな立派なお車にお乗りで、歩いてなんか来ませんよね」というショーモナイひがみ気分になるし、アメリカ大使館前の警官を見れば、私なぞ、気が小さいもんだから「いえいえ、私、アメリカ大使館に爆弾とか投げ込もうなんて大それたマネは決して出来ない、ただただ、ぐるっとパスのタダ券で絵を見て回ろうというケチな人間でゴゼーますダ」と、だれもこのオバハンがテロリストだなんて思ってもいないのに、警察官の視線浴びただけで、疑われている気がしてしまう、気弱者です。そして、そんな卑屈になる自分に腹が立つ。堂々と歩けばいいじゃないの、ちゃんと税金払って暮らしてんだから。ああ、気分悪い。って、自分が僻みっぽいというだけのことなんですけれど。

 ネット友だちにして徘徊仲間のyokochannが
 ~首相官邸 日枝神社 赤坂御用地 迎賓館 などを横目に歩く。このあたりを歩くと なぜか嫌な気持ちになるのは相変わらずのこと。
と、書いているのを見て、私の卑屈チックな気分と中味は同じではないでしょうが、yokochannにも私と同じように「歩くに気分悪い通り」があるのを知って、「お仲間、見っけ!」の気分になりました。権力や財力を誇示する力業の地域は、やっぱりつつましく生きている者にとって、圧力感じるものなんですよね。

 まあ、こんな「ただで絵を見回ろう」と思っている私ですから、絵を見て教養高くなったり高尚な気分になったりというわけでなく、ただただ、自分の気持ちにピタっとくる絵が一枚でも館内に見つかればうれしく、「あらま、こんなイイモンただで見られて得した」なんて気分で美術館博物館をまわっているのです。(ぐるっとパスの料金2000円は払っているのですけれど、ひとつひとつの美術館では払わないので、タダの気分)

 大倉集古館のドデ~ンと、「これぞニッポンの正しい美術館であるぞよ」的な建物、伊藤忠太の作品です。伊藤忠太は、あちこちにおもしろい造型を残しています。大倉財閥との仕事でいえば、京都の祇園閣。当初は、大倉喜八郎の別邸でした。(現在は大雲院の中)屋根のてっぺんに長いツノが映えている。奇妙奇天烈に見えます。よくもこのデザインを大倉喜八郎はうけいれたなあと思います。
 円山公園の南側にあるというので、この次京都に行くことがあったら、見てみたい。前回京都に行ったのは、姪が岩倉にある大学に在学中のことでしたから、10年も前のことです。

京都祇園閣

 大倉集古館は、国の登録有形文化財。伊藤忠太の代表作のひとつでもあり、忠太好みの動物造型が、建物の周囲にいろいろあるので、おもしろいです。私が2012年の年賀状に印刷した龍も、おそらく忠太がこの集古館の庭に置いたものではないかと思います。

HAL2012年の年賀状の龍(大倉集古館の裏庭にあったのを撮影しました)


 大倉集古館は、大倉財閥の創始者・大倉喜八郎が1917(大正6)年に開館した、日本最初の私立美術館です。当初の建物が1923(大正12)年の関東大震災で被災したため、1927(昭和2)年に伊東忠太の設計によって再建されました。

 ホテルオークラ建設前の大倉集古館。現在は本館のみ残っています。ずいぶんと高台に建設したのであると、写真を見て思います。今は、ホテルが前にあるので、このような角度から大倉集古館本館の写真をとることはできません。


 片山東熊設計の国立東京博物館の表慶館は1901年着工、7年後の1908年に竣工し、翌1909年開館していました。表慶館が丸いドームをいただく洋風の形を見せていたのに対して、伊東は「東洋風、中国風」を意識したのではないか、と私は感じています。

 東京国立博物館は、コンドル設計の東博本館が大正の大震災で被災した後、1932年に本館の建設着工、1938年に開館しました。この本館、洋風のコンクリート建築物に和風の屋根を載せた帝冠様式の代表作品です。
 公募により、並み居る宮廷建築家(?)を押さえて当選したのは、在野だった渡辺仁。渡辺仁は、明治生命第一生命館や銀座服部時計店なども設計しています。おそらくこの帝冠様式は、大倉集古館を意識してのことだったのではないか、というのが、またまた、私の根拠なき推測です。
 コンドル→片山東熊→伊東忠太→渡部仁、博物館の形がこんなふうに巡っているのではないかと。

 今回の大倉集古館展示は所蔵画の中から「画の東西~近世近代絵画による美の競演・西から東から~」というタイトルで、京都を中心とする画家と江戸東京を中心とする画家に分けて、それらを比べる展示になっていました。



 西の画家は、狩野派の山口雪渓や円山四条派の円山応挙と呉春、近代京都画壇の雄・竹内栖鳳、川合玉堂。江戸東京は狩野探幽を始めとする江戸狩野の画家、近代日本画の横山大観。
 ただし、私が見に行った1月6日には、大観の「夜桜」は展示してありませんでした。展示期間は2月19日から3月3日。けちんぼしないで、1月2日から展示してくれたらいいのに。

 美術館で絵を見たり、都内各所の建築物を見たりしながら徘徊するのを、2013年も気楽に楽しんでいこうと思っています。

<つづく>
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