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ぽかぽか春庭「消えます、きえます、、、日本語」

2018-09-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180901
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことば古今東西(1)消えます、きえます、、、、日本語

くちかずこさんからコメントをいただきました。(2018-07-23 21:10:09)
 言霊とはよく言ったものですね。
 絆も、色々と、諸説あるのですね。
 フランス人がフランス語にプライドを持っているように、
 日本人も、日本語に誇りを持って良いと思っています。
 変化も時の流れ、そしてその勢いであることは受け入れますが、消えてしまいそうな綺麗な 日本語をさりげなく完璧に話されるのを聞くと安堵するし、和みます。


春庭からの返信コメント
 今各地で、古民家や伝統芸能や工芸品を残そうという活動が盛んになってきました。これらの古いものが、町おこしに活用できることが地域の人々にも分かってきたからです。

 自民党のお馬鹿な女性議員がLGBTカップルは非生産的だと発言して物議をかもしています。障害者や労働しない高齢者も非生産者でしょう。この騒動から分かることは、金を稼がない人、子供を再生産できない人、そして古くなった役立たない物も、排除しろという政府のもとでわれらは生きており、それを支持し選挙で選んでいる国民のなかで生きているということ。

 (あまりの反発の大きさに、「大騒ぎすることじゃない」と、楽観していた与党もこりゃまずいと気づいたみたいですが、もともとこの党は、発表されている憲法案を見ても、「個人」の「個」を削ってしまいたい、という考えですからね。

消えていこうとしている方言を残したいです。しかし、純粋な方言は話せる人はもうわずか。若い人のは標準語混じりだったり変形関西弁まじりだったり。
 くちかずこさんが体操仲間のお母さんたちとおしゃべりする時、きっと地元のことばでしょうね。私はボイスレコーダー持って聞きに行きたいと思えるくらい。美味しいお茶受け以上に羨ましいことなんです。

 言葉は人の存在基盤を決めるもの。アイデンティティの要です。ゆかしい言葉懐かしい響きを耳にすると心なごみます。しかし日本のほとんどの海岸から白砂青松が消え去ったのと同じく、ゆかしい言葉も消えてなくなります。なぜならゆかしい言葉も方言も金を生まないからです。経済優先の社会では、非生産的な存在は排除されてしまう。
 くちかずこさん、お母さんたちとの会話を大切になさってください。貴重な時間です。

~~~~~~~

 消えゆくことばについての感慨は、上のコメントに書いた通りなのですが、「フランス人がフランス語にプライドを持つ」ということについての私の考えを述べるのを忘れました。
 ことばへの誇り。大切です。しかし、同時に、近代フランス語は、フランス各地の方言を否定し、近代国家統一のために人工的に構成されたアカデミズム・フランス語である、ということを忘れてはならないと思います。

 近代フランス語は、俗ラテン語の子孫であるロマンス語の一つです。フランス国家は、地方ごとのばらばらだった方言がフランス国家の統一を妨げるとして、フランス北部で話されていたガロ=ロマンス方言を中心的な言語として、フランス語をまとめ上げました。(詳しいことはフランス語史をどうぞ)

 1634年にリシュリュー枢機卿によってアカデミー・フランセーズが創設され、フランス語の純化と維持を目的とする公的機関として、フランス語は「リンガ・フランカ」として公的な言語となりました。とくに、1789年のフランス革命とナポレオン帝国の後に成立した、国民国家としてのフランスは、フランス語を使用させることを通じてフランス人の統合を図りました。
 フランスの多様な集団に「国民意識」を持たせるため、すなわち、各人が共通の国家の一員であるという意識を作り上げるために、さまざまな方言や少数言語は根絶され、ナショナリズムの高揚とともに、フランス語は確立していきました。

 フランス人がフランス語について誇りを持つ、というとき、18世紀には2割ほどの人しか話すことができなかったリンガフランカを話せる人=エリート、という誇りもあったのです。
 今では教育も普及し、方言も消えてしまったので、みな標準的なフランス語を話していますけれど。

 日本語の標準語も似たような経過をたどりました。明治政府は、近代国家強化(特に徴兵による軍隊での言語統一)のために、国語制定を行いました。上田万年を中心に、標準語が確立し、公教育では「方言の撲滅」「標準語普及」が国家命題となりました。

 現代では、標準語の意味内容がまったくわからないという人は、おそらくいないでしょう。その陰に、アイヌ語母語話者はゼロになり、方言は消え去る、という言語政策が行われたのです。

 日本語に誇りを持つことは大切です。私たちは、紫式部や清少納言が語っていた平安時代の話し言葉も話せないし、江戸期の多くの語彙も忘れています。しかし、数々の言語文化を、受け止めることはできます。
 紫式部から千年で、日本語はあれこれ変わりました。発音も文法も。しかし、その根幹は残されています。継承していきたいです。

 ゆかしきことばを守りたい、というのも、それぞれの人にそれぞれのなつかしい言葉があり、残したい言葉がある。それぞれが大切にしていけばいいのでしょう。
 しかしながら、教育の現場にいると感じること、昨今の若者の日本語力の貧困化は予想以上の急ピッチで進んでいます。

 日本語を守りたいなら、若者に豊かな言語環境を与えなければなりませんが、文科省は英語のスピーチ入試のほうに力を入れていますし、日本語の読み書きが「若者ことばによるメール文、ライン会話のみ」になっている世代の日本語、先は知れています。たぶん、あと50年ひと世代で太宰治も村上春樹も、「日本語表現が難しすぎて、意味わかんねー」となると思います。「現代語訳太宰治」など発行されるかも。

 「メロス、激オコ、まじプンプンっす。ぜってー、あのめちゃワルのてっぺんコロしちゃるって、決めたっす。メロスにはまじセージとかわかんねー。メロス、ムラの羊飼い。笛吹いて、羊とあそんで暮らしてきた。んで、ワルは許せん、人よりそっこーアタマくる、、、、」(って、こんな表現も50年後には古臭くなっているのでしょうけれど)

 では、100年ちょい前の坪内逍遥による円朝「牡丹灯篭」速記筆録の前書き。(春のやおぼろ名義)を読んでみることにしましょう。

 およそありの儘に思う情を言顕いいあらわし得うる者は知らず/\いと巧妙なる文をものして自然に美辞の法に称うと士班釵の翁はいいけり真なるかな此の言葉や此のごろ詼談師三遊亭の叟が口演せる牡丹灯籠となん呼做たる仮作譚を速記という法を用いてそのまゝに謄写りて草紙となしたるを見侍るに通篇俚言俗語の語のみを用いてさまで華あるものとも覚えぬものから句ごとに文ごとにうたゝ活動する粗忽しき義僕孝助の忠やかなる読来れば我知らず或は笑い或は感じてほと/\真の事とも想われ仮作ものとは思わずかし是はた文の妙なるに因る歟か然しかり寔に其の文の巧妙なるには因ると雖も彼かの圓朝の叟の如きはもと文壇の人にあらねば操觚を学びし人とも覚えずしかるを尚よく斯くの如く一吐一言文をなして彼の爲永翁を走らせ彼かの式亭叟をあざむく此の好稗史をものすることいと訝に似たりと雖もまた退いて考うれば単に叟の述ぶる所の深く人情の髄を穿がちてよく情合を写せばなるべくたゞ人情の皮相を写して死たるが如き文をものして婦女童幼に媚んとする世の浅劣なる操觚者流は此の灯籠の文を読よみて圓朝叟に耻ざらめやは聊か感ぜし所をのべて序を乞こわるゝまゝ記して与えつ(春のやおぼろ)
 
 すうらすらとよめた人、すごい。私はとんとダメでした。紫式部清少納言の千年まえはおろか、たかだか100年前の坪内逍遥の文章の読みにくさ。つまり、太宰も村上春樹も、今の若者が読むと、こんな感じを受けるのかと思って写してみました。敬具。 

 以上、言語と国家意識と「ことばへの誇り」についての愚痴でした。

<つづく>
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