
2014/03/02
ぽかぽか春庭@アート散歩>横浜鎌倉洋館散歩(1)外交官の家
1月17日、横浜美術館の下村観山展を見に行きました。美術館に入る前に、「横浜洋館めぐり」を楽しみました。一日天気もよくて、冬の散歩もなかなか楽しいものでした。うれしいことに、横浜市は太っ腹。横浜市所有の西洋館は、すべて見学無料です。
東京で、お金持ち私有のお屋敷見学には、入館料を払わねばなりません。例えば文京区音羽の音羽御殿、鳩山会館(元鳩山一郎邸)は、入場料金500円です。結婚式場運営などで儲けているのだし、去年亡くなったママは、政治家兄弟にポンと選挙資金おこずかい数億円をあげるくらいお金持ちです。実家の石橋家からの相続財産100億円。鳩山家からの相続150億円。ブリヂストン株の配当金だけでも年間3億。由紀夫邦夫への相続はどうなったのやら。見学料くらい無料にしたらいいのに。なんてぶつくさ言いながら、横浜へ。
JR石川町駅のホームから、前方の高台に洋館が見えます。駅で洋館めぐりの地図がもらえます。(インターネットダウンロードもできます。)
ホームからは近くに見えますが、あれだけの高台だとかなりの登りになるだろうからゆっくり歩くことにして、ゆるゆると坂道を上っていきました。
横浜山手地区の高台には、イタリア山アメリカ山などの名がつけれれています。イタリア山には、「外交官の家」と「ブラフ18番館」があります。駅のホームから見えたのは、「外交官の家」でした。

内田定槌(うちださだつち1865-1942)は、ブラジル移民事業などに力を尽くした明治・大正時代の外交官です。福岡県(豊前国)小倉に生まれ、帝大法科卒業後、外務省に勤務してブラジル公使トルコ大使などを歴任しました。
親交があったJ・M・ガーディナーに私邸の設計を依頼して、1910(明治43)年に、渋谷区南平台に洋館が完成。アメリカン・ヴィクトリアン様式にアールヌーボーやアールデコなどの意匠をとりいれた家です。
外交官の家、南面

最初の任地がニューヨークだった定槌と陽子夫人にとって、居心地のいい家となり、1924(大正13)に職を辞してから1942年に亡くなるまで住み続けました。
暖炉

渋谷周辺が東京大空襲で焼けた際も運良く火災にあわなかったため、戦後は例によってGHQによって接収され、米軍将校の住まいに。
米軍から返還後、内田定槌の孫、久子が相続しました。(久子は宮入進と結婚)
老朽化した家を取り壊してマンションを建てる計画が進んでいたとき、建築史家の陣内秀信と出会い、横浜市への寄贈が実現しました。
イタリア山への移築復元後、ガーディナー設計の個人住宅として重要文化財の指定を受けました。貴重な建物が壊されてしまわずに、ほんとうによかったです。陣内さんと宮入久子さんの出会いは偶然のこと。
陣内さんが建物探訪散歩をしていたら、入り口でばったり家の持ち主と出あったのだそうです。建築史にとっては幸運な偶然の出会いでした。

ドアの模様もすてきです。

老朽化して住むには適さなくなっていた家でしたが、資料に基づいて新築当時そのままに復元されています。また、アーツ&クラフツの影響があったという家具調度品も復元展示されていて、ひととき「明治大正の外交官の生活」をしのびました。
階段室

駅のホームからみえる丸い部分の内側は、

明るい談話コーナーです。

<つづく>
四月にも横浜に行くのですが、その時はちょっと無理かな?
横浜も素敵ですよねえ。。。
クリスマスの飾りつけは洋館にぴったりの雰囲気になるでしょうから、楽しみですね。
私もまたのんびり横浜散歩をしたいと思っています。